七十七話
「モモ、ちょっと……」
どれだけの間そうしていただろうか。
腕につけた時計を見れば、すでに時刻は昼を回っていた。
そんな中、タケルがモモに小さな声で呼びかけた。
「すみません、ちょっと向こうで話をさせてください。」
「……好きにしろ。」
タケルはそう俺に断ると、二人はキッチンの方へと移動した。
二人は奥の方でちらちらとこちらを見ながら、顔を近づけ何やらぼそぼそと小声で話していた。
まあ……それくらいの声量ならば、俺にとっては意識すれば丸聞こえなのだが。
話している内容は、要約すれば俺を信用するのかどうかという話のようだった。
モモの方は何やら訳ありで反対していたが、タケルは俺を信用したいと言っていた。
一番の決め手は、どうやら拳銃を渡したことかららしい。
それは確かに普通の人間にとっては自分の命を預けるに等しい行為だが、俺にとっては拳銃などおもちゃと同じなんだがな。
話はモモが不満ながらもまとまったようで、二人はこちらへと戻ってくると、タケルが口を開いた。
「すみません、柳木さん。あの、柳木さんにお願いがあります。」
「……なんだ?」
「……俺達を、助けて、くれませんか。」
「助ける、ね。」
今こうしているのもその助けたうちに入ることなのだが、彼らが言っているのはその先のことだろう。
そしてそれは、俺が二人を助けたその瞬間から、ずっと考えていたことだった。
ここで助けたからには、どこまで、助けるのか。
少なくとも、ここを出る時に手助けくらいはしようと思っていた。
周囲のゾンビを蹴散らし、安全に送ってやろうと。
二人が今まで実際にどうやって生き延びてきたかは知らない。
しかし慎重さが足りないのか、たまたま運が悪かっただけなのか、先程のような状況に追い込まれている時点で、それで彼らを送り出したとてこの先無事に生きていけるとは思えなかった。
いずれまた同じ状況になり、今度は彼らはあっさりと命を落とすだろう。
「それで?どこか避難所にでも届ければいいのか?」
ならばカエデにしたように、どこか避難所のようなコミュニティに届けるというのが落とし所か。
そうなると、まずはそれを探すところから始めないといけないな。
俺が知っているのは織田さん達のいる場所だけだ。
今更あそこに連れて行くわけにもいかないし、そもそもあそこは人口密集地帯を挟んでここと反対側で距離も遠い。
平時ならともかくこのゾンビ溢れた世の中で、そこを避けさらに遠回りして行くとなるとかなり苦労を要するだろう。
「すみません。でも、安全な場所に、心当たりがあるんです。柳木さんにとっても、悪い話じゃないはずです。」
面倒そうな気持ちが態度に出ていただろうか。
タケルは一度俺に謝罪してからそう言葉を続けた。
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タケルの話にあった、安全な場所、とはどうやらそこに無言で佇む少女、モモの母方の実家らしかった。
パンデミック発生からしばらく、まだ携帯が使えていた時期に、避難所から両親はそこと連絡を取っていたのだそうだ。
ここからだと結構な距離がある場所だが、その地域は都市部からさらに遠く離れた寂れた町だ。
人口も少なく、そのおかげかこの騒動の初期のうちにある程度は封じ込めに成功していたらしい。
さらにモモの祖父は町道場を営んでおり、その場所は町の外れ、しかも結構な段数の階段を上った先にあるという。
そこに町の住民が集まって避難していたのだそうだ。
「どうでしょう?柳木さんも一緒にそこに行ってくれませんか?」
タケルは、そこが今も無事であると全く疑ってはいないかのようにそう言う。
その自信とでも言うべきものは、件のモモの祖父に起因しているようだ。
タケルとモモは中学までその町で過ごしていたのだそうだ。
二人の関係はいわば幼馴染のようなもので、タケルはその道場に通い剣道を習っていたらしい。
タケル曰くモモの祖父の腕前は相当なもので、一度たりとも一本を取ったことはなかったと言う。
そんな強いじいちゃんがやられるわけない、とタケルもモモも、考えているようだった。
まあ、そう思いたくなる気持ちも、わからないではないが、な。
そもそも町の人口が少ない、また避難場所は高所。
ある程度は、ゾンビから逃れられる可能性は秘めている。
しかしすでにパンデミックが起こってから2ヶ月ほどが経過している。
自衛隊の駐屯地が壊滅したように、果たしてそこが今も無事でいるのかどうか……
「そうだな……少し考えさせてくれ。」
その場所が本当に今も無事であるなら、距離は多少あるがこの二人をそこに運ぶのは決して悪い選択肢ではない。
何故なら今いるところの近場にコミュニティが存在していたとして、そこが色んな意味で安全であるかどうかは分からないからだ。
織田さんのところの面々は避難民含め言ってしまえばお人好しが多かったが、それでも最初は敵意感知が反応していた。
そんな中ですぐに打ち解け、内情を知ることができたのはユキが偶然いたからに過ぎない。
それを一から調べるとなると、敵意感知のスキルを持ってしてもかなり面倒だろう。
「一つ聞きたいんだがな。タケル達は二人でそこへ行くつもりだったのか?」
「……はい。」
なるほどな。
二人をそこに連れて行くなら車で運ぶことになるだろうが、そうなるとまずは向こうの無事を確認してきてからの方が良さそうには思える。
しかしそれでもし向こうが全滅していたとすると、俺は気が変わったとでも言ってこの二人をそこに運ぶのをやめることになるだろう。
その場合、それで彼らは納得するだろうか。
結局は、すでに全滅しているその場所を目指して旅をすることになるのではないだろうか?
「あー……わかった、いいだろう。ただし条件がある。」
「……なんですか?」
「俺の言うことを黙って聞いて貰う。」
考えた末に俺がそう言葉を発すると、二人の敵意の強さが僅かばかり上がった。
「それは……程度に、よります。」
「まあ、それでいい。じゃあまずさっそく一つ目だ。」
モモが、身じろぎをしたのが分かった。
「俺は車を調達してくるから、お前達はしばらくここで大人しく休んでろ。絶対に外に出るんじゃないぞ。」
「……え?」
それならば、向こうの無事など関係なく、まずは二人をそこへ運ぶことが一番重要だろう。
俺はそう言うと、タケルの制止の言葉を聞かずにシャッターを開けて外へ出た。




