七十三話 雪ノ下すみれ5
先輩の、嘘つき。
感染者のことを怖くないなんて言っていたのに。
そんなことを言って、結局、感染者の手にかかってしまうなんて。
その事実は、避難民の皆を酷く動揺させた。
これまで避難所に無事たどり着いた人達の間で、誰かがそうなってしまうことなど、一度も無かった。
警察官達もずっと、感染者にやられることなくここまでやって来れていた。
勿論それは織田さん達が必死で頑張ってくれていたからということでもあるのだろうけれど、ちゃんと準備して対策さえしていれば大丈夫なんだと思い込んでいるふしがあった。
しかし、外にいる化け物どもにはやはり、どうしても抗えず死んでしまうしかない時もあるのだと、改めて思い知らされることとなった。
先輩はそんなにおしゃべりな方ではなく、必要なこと以外はそんなに話さないタイプだった。
先輩の部屋に私とカエデちゃんが遊びに行く時だって、殆ど相槌を打ったり話を振られたら答えるくらいだ。
だから私達以外の皆とは、余計にコミュニケーションは取っていなかったと思う。
それでも、先輩の死を皆とても悲しんでいた。
先輩は、きっとそれだけ避難民にも警察官達にも、頼りにされていたのだと思う。
織田さんは警察署にいた頃、避難してきた人がはしごの下で感染者にやられるたび、とても辛そうな顔をしていた。
あと一歩で助かったかもしれないのに、とそんな悲痛な表情を私は何度も見てきた。
けれど今思えば、織田さんが先輩の死を報告していた時の顔は、今まで見たことのないような表情だった気がする。
その話を聞いた直後は、私は頭が真っ白になって泣き崩れて訳がわからない状態になっていたから、本当に気のせいだったのかもしれないけれど。
なんと言えばいいのか、死を哀しむような表情ではなく、別れを惜しむような、罪悪感を抱いているかのような。
何故だか、迷っているかのような。
先輩が死んだという、その事実を述べただけのようなものではなかった気がする。
その時は、きっと織田さんにとって先輩はとても大事な存在だったんだ、だからそんな顔をしているのだと、そう思った。
カエデちゃんはあの日、織田さんの言葉を聞いて、茫然自失といった様子で立ち尽くしていた。
話が終わり解散となってからも、ただその場に佇み、じっと動かずにいた。
私のように泣き喚くこともせず、他のみんなが慰めの言葉をかけても、ただ空返事をするだけで。
私の涙が枯れ果てて、自分がこんなことではいけないと、そう思ってカエデちゃんを見れば、なおも彼女は悲しげな瞳でぼんやりと床を見ていた。
勿論先輩が死んだのだからその感情を抱くのは当たり前なのだけれど、それとは何故だか違うように感じる、まるで織田さんがしたような、死そのものに対する哀しみではなく、先輩がいなくなってしまったという喪失感、それを感じさせる瞳。
私は先輩が亡くなってしまったこと、それ自体をこんなに悲しんでいるのに、何故カエデちゃんはそんな風にしているのか、訳がわからなかった。
あれから、数日が経った。
デパートの片付けは一通り終わり、汚れていた床も綺麗になった。
洗剤の類はそれこそ売るほどあったし、洗い流す水も雨が降ったので屋上にバケツなんかを置いて溜めておいて、それを使えた。
それらの引越し作業が終わったことで、いよいよ新しい場所での生活が始まるんだなという実感の湧いた、夜のことだった。
「こんなことを、言うのも、おかしな話かもしれないですけど。」
就寝前、突然小さな声でカエデちゃんが口を開いた。
カエデちゃんはあの日からずっと口数少なく、私から何かを話しかけない限りは、作業に必要なこと以外は自発的に話すようなことはしていなかった。
そんな彼女が急に話しかけてきたから、私は、カエデちゃんが少し落ち着きを取り戻したのかな、なんて思った。
けれどカエデちゃんの口からは、そう思った私が予想だにしていなかったような言葉が飛び出した。
「私。アザミさんは、死んでなんかいないと思うんです。」
「カエデちゃん……?」
すでに明かりは消してあり、その表情は見えない。
最初は、ただ信じたくないという、子供が故の幻想を抱いているのだと思った。
けれど、カエデちゃんはとても冗談か何かを言っているような口調ではなかった。
落ち着いたその口調は、むしろ何処か確信にも似たものを抱いているようにすら思える。
「どうして、そう思うの?」
「それは……」
カエデちゃんは、何故だかそれを言うことを迷っているのか、随分と長く続く言葉を話さなかった。
私はじっとカエデちゃんの言葉を待つ。
「……なんとなく、です……」
「なんとなくって……」
「……それに、アザミさんは、ホームセンターで出会った時、何度も外へ一人で出掛けているんです。それなのに、そこに織田さんや他の警察官の方までいるのに感染者にやられるなんて、おかしいじゃないですか。」
その話は、前に二人が警察署に来た時に聞いた話だ。
先輩は確かに凄い。
たった一人で、カエデちゃんを守る為に奔走したのだ。
だからと言って、それが先輩が死んでいないという理由にはならないと私は思った。
「そう、かもしれないね。」
やっぱり、ただその事実を受け止めたくない、それだけの話なんだろう。
私はそう言うとカエデちゃんへと近付き、ぎゅうと抱きしめた。
「ユキさんは……何か、知りませんか?」
「……どういうこと?」
私の腕の中で身体を丸めて小さくなるカエデちゃんが、問いかけてくる。
何を言われたのか、意味がわからなかった。
「いえ……なんでも、ないです。」
カエデちゃんはそう言うと、少し身じろぎしたかと思えば、私の胸に顔を埋めた。
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