七十二話
ユキが生きていて、あの避難所にいたから。
織田さんの苦悩を聞いて、彼を手伝いたいと思ったから。
だから俺は、予定を変更してあの避難所で過ごそうと思っただけだ。
織田さんに拒絶されたこと、それに関して思うところがないわけではない。
だがその選択は避難所をまとめ上げるリーダーとして、ごく自然なことだ。
ならば俺はそれに従うだけのこと。
俺はホームセンターの非常階段を上ると、三階へと向かった。
バックヤードの銀色のスイングドアを開けて、スタッフルームに入る。
ソファにベッド、小さなダイニングテーブルと、おおよそスタッフルームとは思えないその室内の景観に、思わず苦笑する。
この場所ではたかだか一週間程過ごしただけだったが、随分と親しみを感じ、そして懐かしさを感じた。
どさりとソファの上に、登山用のバックパックを置く。
最後織田さんにわがままを言って、デパートから念の為持って来ていたものだ。
死んだことにするのならば、俺のリュックが無くなっていては不自然だからな。
二つ並べられたオフィスチェアーを見て、ベッドを見て、ふと頭の中に少女の顔が浮かんだ。
避難所を離れなかった理由。
先の二つだけではなく、もう一つ、彼女の存在も、か。
彼女を初めて見た時は、異世界から戻ってきたばかりだったからか、あの場で別れたイーリスを想起させて何となく親しみのようなものを感じたが、今はそれとは違う。
たまたま出会った知らぬ他人に、随分と情が湧いたものだな。
自分の手のひらをぼんやりと見て、気が付いた。
そう言えば、カエデが俺への恐怖を克服した時に言った、また頭を撫でて欲しいという頼みには、結局応えてやれなかったか。
スタッフルームを出て、更衣室へと向かう。
入り口を塞ぐように家具の積まれた、女子更衣室の前へと。
家具を寄せ、そのドアを開ける。
開けた瞬間、中から腐臭が溢れた。
あの時とは違い季節ももう夏だ、そうなるか。
ドロドロに溶け始め蛆の湧く、頭が酷く潰れたその死体に向かい、俺は言葉を投げかけた。
「あんたの娘さんは俺が安全な場所に届けたよ。安心して成仏してくれ。」
返事は、勿論無い。
ぼりぼりと頭をかく。
「……らしくないか。」
それを聞く能力すら元々ないのに、何をしているんだか。
もっともスキルがあったとて、死んだ直後でもないこの状況でそれを出来るかは疑問だがな。
俺はその死体にもう一度目をやって、部屋のドアを閉めた。
+++++
手に持った斧に魔力を込め、まるでプリンをスプーンですくうかのように、ゾンビの頭を斬る。
パックリと切れた頭蓋骨から、どろりと脳漿がこぼれた。
それを気にも留めず、気配感知の範囲内にいる次の獲物に一足飛びで近づいては再び斧を振るう。
すでに俺の通った道は、ゾンビ共の死体で溢れていた。
夜の帳が落ち、俺は外へ出ていた。
目的は、無い。
いや、あるにはあるが、果たしてそれが本来の目的なのかどうかは、分からなくなっていた。
ただ衝動的に目の前の敵を斬る。
心に残ったしこり、苛立ちや、悲しさや、虚しさや、寂しさ。
そんな負の感情を忘れようとするかのごとく、目につくゾンビ共を俺は狩りまくっていた。
最初は、あのデパート周辺のゾンビ共を安全のために間引いてしまおうと考えたのだった。
だがいつの間にか、こんなくそったれな世界にしてしまったこいつらが憎くなり、その怒りをぶつけていた。
だがそんなことをしても、感情のないこいつら相手では溜飲など下がらない。
それでも結果として織田さんたちのためになるならばと、得物を振う手は止まらなかった。
ホームセンターを出る前、俺は二階の工具コーナーから使えそうなものを全て一階に下ろしていた。
もしかしたら、そのうち織田さんたちが今日のように取りに来るかもと考えてのことだ。
もう、そこまでする義理などない、とは思わなかった。
追放されたとて、それを恨んでいるわけでもない。
カエデやユキを保護してもらうんだ、やれるだけのことはやっておきたかった。
何より、今でも俺は織田さんのことを尊敬している。
夜通しでゾンビを狩り、日が昇る頃にそこらの建物に入り夜を待ち、また日が落ちたらゾンビを狩る。
そんな生活を数日続けた。
すでに新たな避難所であるデパートから周辺数キロはゾンビの死体で溢れかえっていた。
デパートから目の届く範囲はさすがに手は出せなかったが、それらも徐々に散っていくはずだ。
全ては殺し尽くせていないし、特に建物内にはまだゾンビ共はいるだろうが、それでもここらは大分安全になっただろう。
もう、俺が彼らに出来ることはないはずだ。
そう思えば、多少胸のつかえが取れたような気がした。
これにて二章終了でございます。
感想、ブクマ、評価ありがとうございます。
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