七十一話 不二楓10
新たな避難所であるデパートの中、それぞれのテナントの殆どには格子状のシャッターが取り付けられていて、それを使うことで部屋としました。
中は丸見えなのでそのままではプライバシーはありませんが、そこは仕切りを設けるなどして各々で工夫しました。
もっともそれをするためのものはここにはたくさんあり、苦労することはありませんでしたが。
それに何かあった場合にはすぐに他の人の目につくと言うことでもあるので、あんなことがあった私にとっては、それはむしろ少しだけ安心出来ることでもありました。
新たな部屋割りは、私とユキさんの部屋とアザミさんの部屋は、隣同士になりました。
それは私にとって、このデパートに移動してきてよかったと思えるひとつの要因となりました。
しかしやはり新しい場所だからなのでしょうか。
その不安からか昨夜は胸の中が落ち着かず、なかなか寝付けませんでした。
ユキさんも同じだったようで、アザミさんが織田さんに呼ばれて行ってしまった後も、しばらく二人で小声で話をしていました。
結構な時間そうしていたと思うのですが、その間、アザミさんが戻ってくることはありませんでした。
きっと何か大事な会議でもあったんだろうなと思いました。
朝起きて、アザミさんに挨拶しようと隣のテナントを覗くと、すでにアザミさんはいないようでした。
「カエデちゃん早いね、おはよー。」
「ユキさん、起きたんですね。おはようございます。」
「あれ、先輩はもっと早いなー。どこ行ったんだろ。」
目をこすりながら私の後ろからアザミさんの部屋を覗くユキさんが、何気なく発したその言葉に、私の心臓がどくんと大きく脈打ちました。
「って、カエデちゃん!?」
私はすぐさま、ユキさんのその呼びかけに構わず、遠目に見えた警察官の方に駆け出しました。
何事かと目を丸くする女性の警察官の方に、私は挨拶するのも忘れて問いかけます。
「あ、あのっ!アザミさんはっ……!」
「おはよう、カエデちゃん。柳木さんなら、織田さん達と朝出掛けたわよ。警察署とホームセンターから何か取ってくるって言ってたかしら。」
「そ、そうなんですか。すみません急に。あと、挨拶遅れてしまってすみません。おはようございます。」
そんな失礼な態度をとった私に、彼女は穏やかにそう答えました。
外出したのは心配ですが、それでも私の嫌な予感が気のせいだとわかり、私はほっと胸をなでおろしました。
「カエデちゃん急に走ってびっくりしちゃったよー。あ、おはようございます!」
「雪ノ下さんも、おはよう。相変わらず仲がいいわね。」
後ろからパタパタと小走りで駆けてきたユキさんとも挨拶を交わすと、そう言って彼女はいずこかへと立ち去りました。
「カエデちゃんはほんと先輩のことが好きなんだからー。うりうりー。」
「きゃ!そっ、そんなんじゃ……」
「えぇー、ほんとかなぁー?」
ユキさんがそう言って抱きついては、私をからかってきます。
顔が真っ赤になっているのが、自分でも分かりました。
警察署内のアザミさんの部屋で、アザミさんが怖いと告白したあの日。
私はそれを言いかけてしまいました。
それなのに、何故だか怖い、と。
アザミさんはきっとそれに気づいていなかったと思います。
私の頭を撫でる手は、お父さんのように、お母さんのように優しいものでした。
ただ、あの時のその手にどこか震えのようなものがあったのはどうしてなのでしょう。
それを思い出して、先程撫で下ろした胸の中に、何かまたもやもやとしたものが生まれてきました。
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朝食を食べてからは、昨日の続きをしていました。
アザミさんは、俺の部屋は放っておいていい、と言っていましたが、私はそれでも、おせっかいかもしれないけど、アザミさんの部屋の掃除をしていました。
何か少しでもいいから、アザミさんの役に立ちたかったんです。
「帰ってきたみたいだよー。何か話があるってー。」
隣の部屋で作業をしていたユキさんが姿を現し、呼びかけてきました。
すぐにそれに返事をして、私はユキさんについていきます。
店内で一番広い、片付けられたテナント内に、避難民の殆どが集まっているようでした。
ユキさんと、なんだろうね、と話し合いながらそこへ向かいます。
私たち避難民が全員集まると、織田さんがその前へと立ちました。
その傍らには、いつもよく一緒にいる二人の男性警察官がいました。
私はきょろきょろとアザミさんの姿を探しますが、見当たりません。
ユキさんも同じなのか、辺りを見回していました。
「みんなに、言わなければいけないことがある。」
織田さんのその言葉に、私の胸の中に、ざわざわと波立つように嫌なものが立ち込めてきます。
そう感じて織田さんの顔を見れば、その顔はなんだかとても哀しそうで、とても辛そうで。
ごくりと息を飲んで、その言葉の続きを待ちました。
「……柳木さんが、亡くなった。」
一瞬だけ、避難民たちの動揺の声が聞こえてきて、それはすぐに無音になりました。
隣にいるユキさんが、口を押さえているのが、視界の端に見えました。
織田さんが口を開き、さらに言葉を続けているようでしたが、何も聞こえません。
まるで無音映画でも見ているかのようなその光景を、私は微動だにせず見つめていました。
隣に立つユキさんが、私を抱きしめてきます。
それに、何の反応も返すことが出来ません。
何も、聞こえない。
ただ映る無音の光景がぼやけてきた時、私はゆっくりとその足を進めました。
抱きつくユキさんに構わず、前にいた避難民の方にぶつかるのも構わず。
そのまま織田さんの前へと立てば、私は口を開きました。
「……アザミさんが……?」
「……柳木さんは、亡くなった。感染者に、やられたんだ。」
気付けば、隣にユキさんもいました。
二度目の織田さんのその言葉に、ユキさんはその場に泣き崩れました。
アザミさんが、亡くなった?
感染者に、やられて?
私はぼんやりとした頭の中で、織田さんの口から放たれた言葉を反芻します。
嘘だ。
そんなの、嘘だ。
そんな、ことって。
信じたくない。
いや、信じられない。
だって。
だって、アザミさんは。




