七十話
場を乱す。
俺があの色黒鼻ピアスについて思ったことだ。
やつを生かしたままここに連れて来たならば、たとえどこかの部屋に手錠をかけて閉じ込めていたとて、それをただ放置しておくには不安が残り、そこに見張りの一人でもつけておかねばなるまい。
警察署の留置所ですらそうだったのだ。
やつはそんな無駄な手間のかかる存在で、そもそもカエデを襲うようなクズだ、だから殺した。
だが、場を乱す、ただそれだけを考えるのならば、そうやって冷静に人を殺してしまえる俺という存在も、それに当てはまるのだろう。
織田さんにとって、いや、他のみんなにとってもきっとそれは同じなんだ。
異世界に行く前の俺でも同じことを考えたかもしれない。
邪魔な奴は殺して排除する。
そんな危険な思想は、少なくとも元の世界の思想らしくない。
そんな思想を持つ奴と、普通の人間が共に生活したいと思うだろうか。
そんな奴に対して、不安を持たず、胸の中に怖れを抱かず、接することができるだろうか。
守りたい人々の中にそんな奴が紛れ込んでいることを、見て見ぬ振りができるだろうか。
それはきっと無理な話だ。
やつを殺した理由で、織田さんには言っていないことが、ひとつだけあった。
それは、やつの存在が元で俺の力が白日の下に晒されるかもしれない、という理由だった。
自分の中では、それが理由として占める割合はそう大きなものではなかった。
結果として、今こうしてこのコミュニティを抜けることを考えたら、それは余計にどうでもいいこととなるだろう。
化け物と恐れられ、ここを離れるのも大した違いはないからだ。
しかしそこに含まれた理由の大小はどうあれ、自分の力を隠すために人を殺すなど、以前考えた、こんなゾンビの溢れる世界になってしまい壊れてしまった人、それと自分は殆ど同じ存在ではないかと思う。
皆を守るためという大義を掲げながら、その実自分に利するからと誰かを殺すことなど。
だからこそ、織田さんの言葉に対して反論する気なんてさらさら起きなかった。
織田さんの考えも理解出来るし、そんな自分が何かを言う資格もないだろう。
まだ皆が寝ているような早朝、俺は織田さんと部下二人と共に、車で外へと出ていた。
他の警察官達には、署内に忘れ物をした、ついでにデパートには置いていない物資をホームセンターから調達してくる、と伝えていた。
「……話は聞いたよ。なあ、本当に、これでいいのかよ。」
後部座席に座るスキンヘッドの彼がぼそりと口を開いた。
「別に、あんなやつを殺したくらいで……」
「いや、いいんだ。」
その言葉を俺は遮った。
彼の言葉からして、織田さんは俺の本質を彼らには話したのだろう。
だがそれでも彼はそう言った。
「だがよ。柳木さんにはこんな手伝ってもらって……」
「世話になったのは俺の方だ。」
髭面の彼の言葉を、さらにそう言って遮る。
確かに彼らにしてみれば、その言葉の通りかもしれない。
彼らの見えないところでも、少々手助けをした。
だが俺にしてみればそんなものは大した手間ではなく、何より好きでやったことだ。
彼らがいなければ、ユキはおそらく死んでいただろう。
それだけで、世話になったと言うには十分だった。
織田さんは苦悩しながらも避難民の皆を助けるために奔走していた。
彼ら警察官の面々だってそうだ。
そんな彼らを少しでも助けたくて俺が勝手にやっていたことで、それを理由にどうこう言うつもりもないし、言われる気もない。
「そんなことより、カエデとユキを頼んだ。」
「……柳木さんと初めて会った時も言ったはずだよ。ちゃんと、責任を持って保護する。約束する。」
俺の言葉に織田さんはしっかりと頷いた。
それならば、もう俺が気にすることはない。
元々避難所を探していた時は、カエデを預けてどこかへ行こうと思っていたくらいだ。
ただその時に、戻っただけのこと。
あのデパートならば物資の心配は長いことないだろう。
何か足りなくなっても外に出るときは前より安全だ。
自衛隊もおそらくはまだ機能していて、そのうち救助に来ることもあるかもしれない。
……ユキには、怒られるかもしれないな。
「あー、織田さん。あとこれは出来たらでいいんだが。」
「……なんだい?」
「俺はゾンビ共にやられて死んだことにでもしといてくれ。」
まあ、もう会うこともないだろうから、そんなことなど気にするのはおかしな話かもしれないがな。
だがカエデにとっても、その方が後腐れがなくていいだろう。
「……昨夜のことは、この四人しか知らないし、他の人に話すつもりもない。だから、元々そうしようと思ってたよ。」
俺の頼みに、織田さんは静かにそう返事をした。
変なところで気を回すもんだなと思う。
しかしそれは、織田さんなりの葛藤の末に出た答えなんだろう。
俺としてもそれはありがたかった。
随分自分勝手な願いだが、あの時ほんの少しだけ見せた織田さんの瞳に宿る感情、それをカエデやユキが抱くかもしれないことが、嫌だったのだ。
「織田さんは、さすがだな。」
ゾンビ共の数が随分と減ってきた様子の外を見ながら、俺はそう言って苦笑した。
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ホームセンターでは、デパートにはない発電機などの機械類や、鉄パイプなどを運ぼうと思っていた。
しかしそれらがあるのは二階のフロアで、無線機で連絡を取り合ってもそれほど多くは運べないだろう。
彼らとは、ここでお別れする予定だった。
二階にはバリケードを設置していたとはいえ非常階段から二階に上がっても油断は出来ず、また店内は暗いため、結局何種類かの発電機を運んで二往復目に差し掛かる時、車に乗る織田さんから無線機での連絡が入った。
「やつらが現れた。作業を中止してすぐ戻ってきてくれ。」
その指示に俺たち三人は、車へと急ぐ。
まだ距離はあるが、そこそこの数のゾンビ共がすでに広い駐車場と道路の境目辺りを歩いていた。
店の入り口側に向けられた荷台へと、スキンヘッドの彼と髭面の彼が、乗り込んだ。
勿論俺は、それには続かなかった。
「柳木さん、やっぱり……」
「取り敢えず危ねえから一緒に……」
「じゃあ二人とも、達者でな。しつこいようだが、カエデとユキを、よろしく頼む……織田さんのこともな。」
荷台から掛けられた声に俺はそう言って、つけていた無線機を荷台へと放り投げる。
「織田さんにもよろしく言っておいてくれ。」
そして手を挙げ、車に背を向けてホームセンターの中へと入っていった。




