六十話
「やつは随分柳木さんに怯えているよ。外傷は特にないけど……何かしたのかい?」
間近に迫る食糧調達の会議を終えた後、織田さんに呼ばれて俺は彼の部屋に来ていた。
やつ、とはあのカエデを襲った色黒鼻ピアスのことだろう。
「アジトのことを隠していると思って今日も取り調べしていたんだけどね。その時やつは、柳木さんのことをずっと気にしていたんだよ。」
「……どういうことだ?」
「さあ。あいつは居ないのかだとかなんとか。会わせないでくれって、訳のわからないことを言っていたよ。だから何かしたのかなって思ってね。」
「……ただ取り押さえて関節を決めただけで折れてはいないはずだが、そんなに痛かったのかね?」
跳ね上がりそうな心臓の鼓動を抑えて、シラを切る。
やつには俺のことは喋るなと言っておいたはずだが、その程度のことは話すか。
それとも、時間が経って"威圧"スキルの残滓も徐々にだが薄れて来ているのかもしれないな。
スキルを使用したのはともかく、瞬歩まで使ったのはやりすぎだっただろうか?
しかしあの場面では万が一にもミスは許されなかった。
カエデに目を瞑れと言ったのだって、ギリギリのラインだっただろう。
まあたとえ、俺が瞬間移動した、などとやつが言い出したところで、それを信じる者は誰もいないだろうが。
頭がおかしいやつ扱いされるのが関の山だろう。
「ところで話は変わるんだが。」
何にせよ、さっさとこの話題は終わらせたい。
話したいことがあったから、織田さんが俺を部屋に呼んでくれたのは丁度良かった。
俺はそう言って、昨夜考えていたことを話し出す。
知らぬふりをして、そう言えばネットでそういう話があったのをこの間思い出したと切り出した。
織田さんは何か知っているか、と。
そして、やはり織田さんはその事実を知らないようだった。
「それが事実だとすれば……」
「あぁ。あまり多くの人を同じ部屋に集めるのは得策ではないだろうな。まあここの避難所はそんな状態にはなってはいないが、二人部屋でもリスクは多少ある。」
「そうなるね。しかし……」
「あー……と言うか、今気付いたが、やつに聞いてみるのはどうだ?」
おそらくはあの色黒鼻ピアスの男も、下っ端とは言えあのグループに属していたのだから、この事実を知っているだろう。
やつの口からそれが聞ければ、この話の信憑性も多少高まるだろう。
「……なるほど。危ない連中だ、殺人のひとつやふたつ、やっているかもしれないね。後で聞いておくよ。」
「頼む。」
「知人と一緒にいたいという気持ちもあるだろうし、カエデちゃんがあんな目にあったばかりで、女性も一人部屋は不安だろうし、もしそれが本当ならみんなの意見も聞かなきゃならないね。」
織田さんは、これまた面倒ごとが増えたね、と困った顔をしながらため息をつく。
それに対し俺は肩をすくめ大きく息を吐き出して、全くだな、と同意を示した。
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ゾンビ化についてのこと、駐屯地が壊滅していた理由。
昨夜帰って来てから考えていたのは、それだけではない。
自室に戻り、俺はあの敵対グループを壊滅させた時のことをまた思い出していた。
俺は、異世界から日本に帰ってきて、初めて人を殺した。
異世界と日本では違うと、何かと理由をつけて行動はしてみたものの、終わってみれば、当初思っていた程には何か感じるものは無かった。
異世界で初めて人を殺した時のような罪悪感に苛まれることもなく、ただただ、やはり三年前のようには戻れないのだなと改めて思っただけだ。
人は人。
異世界でも日本でも、それは同じだった。
殺意を持ち敵対する相手、しかもそれがパンデミック前からの根っからのクズだとわかった時には、すでにそれを殺すこと自体に何か思うようなことは殆ど無くなっていた。
だが、ひとつだけ異世界に居た時とは違うものがあった。
やつらは皆、俺に恐怖していた。
勿論、躊躇なく自分を殺そうとする相手にその感情を抱くのは極々自然なことだろう。
しかし、話はそれだけではない。
"化け物"。
やつらのうちの何人かが、その言葉を俺に向けた。
それを言わなかったやつらだって、きっと心の中ではそう思っていたに違いない。
ゾンビなどものともせず、一人の人間をたかがバールで真っ二つにし、銃弾すらも効かない。
この世界においては、まさに人知を超えた力と言ってもいい。
やつらにそう思われた、それ自体については何も問題はない。
クズに何を思われたところで、俺の知ったところではないからだ。
だがその事実は、確かに俺の心にしこりを残した。
それは、この力を織田さんやカエデやユキ、他のみんなに知られた時、どう思われるのか、と言うことだった。
俺は、それが怖くなってしまった。
この力を隠すのは、ただ単に、異世界にいた時のように国にいいように使われるかもしれないだとか、事態が収束した後俺を恐れ狙われるようになるかもしれないだとか、そういう面倒ごとが嫌だからそうしていたわけなのだが、昨夜のことでその理由が一つ増えてしまった。
俺を見る、やつらの怯えた目。
それが脳裏から離れない。
それと同じ目を皆から向けられたなら、俺は、どうなってしまうのだろうか。
同じように、化け物などと言われた日には。
やはり、この力は隠さねばならない。
何、目の前で見せなければいいだけの話だ、いくらでもやりようはある。
あの時、カエデを迎えに行くと車を降りた時のように。
あの時、カエデに目を瞑ってもらった時のように。
せいぜいやりすぎないように、注意すればいいだけの話さ。




