五十話
パラパラとした小降りの雨の中、俺は久し振りに夜の見張り番として織田さんの部下と共に屋上に立っていた。
駐屯地へと赴いた夜から二日が経った。
当然のように、今日も救助のヘリが来ることはなかった。
駐屯地があの様子では、ともすれば救助されなかったことが幸運であった可能性も十分にあり得る。
しかしそれを知る由も無い避難民たちの間には、徐々にだが良く無いムードが漂い始めていた。
今こうして屋上で見張りはしているものの、もし避難民が来たところでそれを助けるのは、市役所に誰もいない現状かなり困難を極めるだろう。
もっとも織田さんたちの話によれば、俺とカエデは久し振りの避難民であるらしいが。
不謹慎な話かも知れないが、出来れば新たに避難民は来て欲しく無い、そういう思いがあった。
目の前に助けられる命があるのに、俺はそれを前にしてどうすればいいのか、決めかねているからだ。
助けようと思えばいくらでも助けられる、だがそれは同時にこの力を白日のもとに晒すことにもなるだろう。
「む?」
と、そんなことを考えながら外を見ていると、視線感知に反応があった。
同じ屋上にいる警察官からでは無く、警察署の外からの反応だ。
方向的には、大通りを挟んで斜め方向、少々離れた位置にある建物からだろうか。
生者の反応だ。
そして同時にその視線には、敵意感知も反応していた。
警戒反応を超える、明確な敵意感知。
危機感知の類はないが、しかしこれは、間違いなく敵対している者からの反応だ。
自分たち以外の新たな生存者、しかもそれが敵対者とあっては、どうにも面倒なことが起きそうだと俺は頭を抱えてため息をついた。
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昨晩の視線感知の反応が気になり、俺は翌日昼間屋上へと出た。
そこにはすでに織田さんの部下が二人いて、駐屯地の方角を気にしては見張りをしていた。
「おや、柳木さん。どうしたんだい?」
「少し気分転換だ。今日は晴れたが……救助は相変わらず来ないか。」
「……そうだな。この調子だと、さすがに向こうで何かあったのかもしれないな。」
空を見ながら、スキンヘッドの警察官と軽く会話を交わす。
視線感知に、昨夜と同じ建物の方向から敵意を含む反応が感じられる。
見張られている、ということか。
昨夜は久し振りに屋上に出たからこの見張りがいつから居たものなのかわからないが、少なくとも自衛隊の救助ヘリがここに来た時には、視線感知に反応はなかった。
となるとその後に来たものであろう。
しかし、なぜ敵対しているのか、目的は何なのか。
また今のところ視線は一人からのものだが、相手は実際何人なのか。
相変わらず危機感知に反応はないから、銃でこちらを狙っているなどということはなさそうだが。
銃といえば食料調達の際に見た銃痕のあるゾンビの死体だが、もしこれをやった者がこの視線の人物に関係しているならば、非常に厄介なことになるかもしれない。
……夜のうちに潰しておくか、迷うところだ。
しかしスキルで敵意を知ったからと言って、まだ何もしていない相手にそれをするのはなんだか違う気がする。
敵対しているにしても、実際何かこちらに実害のあることをしてくると決まっているわけでもない。
異世界であればその限りではなく、そのような荒事も日常茶飯事なのだが。
だが今俺がいるのは、こんな世界に変わってしまったとはいえ日本だ。
疑わしきは罰せず、の言葉の通り、こちらから先に手を出すのは躊躇われる。
しかし予定では天気が晴れた今日から数日、このまま救助が来ないのであれば、俺の乗ってきた車を回収することになっている。
その時は織田さんがなんと言おうと俺が外に出ようと思っているし、すぐ近くの車を回収するだけだからいいが、問題はその後日だ。
おそらくは物資回収で外へといつものように大勢で出かけることになるだろう。
当然、警察署には殆どの男性警察官が残らないことになる。
もしこの視線の主が銃を持った集団の中の一人であったら、この避難所自体が心配だ。
また、外に出る警察官達もゾンビだけでなくともすれば人間を相手にすることにもなりかねない。
そうなると、一体どうするのが一番いいのか……
「おいっ!柳木さんあれっ!」
と、スキンヘッドの彼が唐突に叫んだ。
そしてすぐさま無線機で報告をしている。
彼の見ていた方に目をやれば、大通りを車が一台こちらに向かって走って来ていた。
スキンヘッドの彼の報告により、署内の警察官達はすぐさま動いているようだった。
これは、出来れば来て欲しくないと思っていた、避難民の可能性が高いか。
そう考えていると、しかしその車内から一瞬だが屋上へと視線が飛び、それに敵意が含まれていた。
車は警察署前に乱雑に停められた車の間を縫うようにして、敷地内に侵入しようとしていた。
「ちっ。」
これは、ここを見張っているやつの仲間なのか?
俺は急ぎ屋上を出て、階段を降りる。
二階についたあたりで、外から銃声と思しき乾いた音が何度か響いた。
誰かが撃たれてしまったのかと不安になったが、幸いにも気配感知に弱まった生者の反応はない。
「織田さんっ!」
だがそれでも自然にその名が口をついた。
窓から梯子をかける部屋へと勢いよく入れば、鼻ピアスをした色黒の若い男が、銃を構えた警察官達に囲まれて両手を上げていた。
男はその格好を崩さず、突然部屋に入って来た俺に視線を向ける。
そこには、とびきりの敵意が込められていた。




