三十九話
「それで、話ってのは?」
部屋の中、前に来た時と同じように、俺と織田さんはテーブルを挟み対面でソファに座っていた。
そう尋ねられた織田さんは、肘掛に肘をついてあらぬ方を見ては、喋るのをためらっているようだった。
そんな様子の彼を俺は不可解に思いながらも、じっと言葉を待つ。
やがて意を決したのか、織田さんは口を開いた。
「……柳木さんは、凄いね。」
長い沈黙を破り吐き出された言葉が意表をついたもので、俺は首を傾げた。
訝しげな視線を受けた織田さんはそれに構わず、言葉を続ける。
「柳木さんが最初ここに来た時、僕に謝っていたよね。僕も、今謝らなければならないことがあるんだ。」
身に覚えがない。
そんな告白を受けた俺がまず思ったことだった。
「まずはね、あの子の救出を手伝ってあげられなくてすまない。」
あの子、とはカエデのことだろう。
それについては、俺は織田さん達の事情を分かっているつもりだし、何も思うところはない。
織田さん達に何かあったら、それは同時に他の避難民達の命を奪うことにもなる。
「当然の選択だ。だから俺も織田さん達の手は借りないと最初に言っていたしな。」
「柳木さんならわかってくれていると思っていたよ。でも、本当に謝りたいのはそれじゃないんだ。僕はね、柳木さん。君からあの子の話を聞いた時、言いかけたんだよ。食料調達を終えた時もそうだ。」
そう言えばあの時、織田さんは何か続く言葉を飲み込んでいたように見えた。
それがなんだったのか全く想像できなかったが、こうして語られている今でも、皆目見当がつかない。
織田さんは俺から視線を外し、瞑目するのも束の間、再び口を開いた。
「……わざわざ危険を冒してまで、助けに行かなくてもいいんじゃないかって。」
「……そうか。」
「でも柳木さんは、きっとそんなこと頭の片隅にも思っていなくて、そして見事にやり遂げた……」
「……」
「本当に、ごめんね。」
織田さんの言うことも、わかる。
家族や、友人や、恋人ならば命をかけてでも助けに行くのはある意味当然の行いかもしれないが、それがつい先日会ったばかりの赤の他人というのであれば話は別だ。
こんな世の中となった今であれば見捨てるのはおかしくもない話で、ともすれば近しい者にすらそれをしたところでそう非難されないことなのではないかとも思う。
「別に、謝るほどのことじゃない。気にしないさ。むしろ、織田さんがそんな風に言うことの方が意外だな。」
そもそも織田さんこそ、こうして市役所と連携しながらここを新しく避難所として開放しているじゃないか。
そして赤の他人であるその避難民達を食わせるために、危険を顧みず食料調達に外へと出かけている。
それも含めて、俺は疑問の視線を向けた。
「ありがとう……柳木さん、僕が今こうしているのはね……贖罪なんだよ。」
「贖罪?」
織田さんが、どんな罪を犯したというのだろうか。
「……パンデミックの起きたあの日。僕はたくさんの市民を見捨てたんだ。助けを求める人が外にたくさんきた。でも僕は、早々に入り口を閉めて彼らを追いやったんだよ。外にはもう感染者も溢れていて、そのまま彼らは餌食となった。」
「……」
「外の人達の対応をしていて、噛まれてしまった部下も何人かいた。僕はすぐにバリケードを作らせたよ。怪我をした部下達は署内で手当てをしたけど、朝には全員感染者の仲間入りをしてしまった。そんな彼らを……僕はこの手で全員殺したよ。」
織田さんは、震える手をじっと見ていた。
助けられたかも知れない市民を見殺しにし、自分の部下を手にかけたその胸中は、どれほどのことだったか、俺にはわからない。
いや、違うな。
俺は異世界で同じように人を見殺しにし、人を殺している。
それも、きっと織田さんよりも遥かに多くの人を、だ。
同じような経験をしていて、本来わかってもいいはずの感覚なのに、しかし俺はすでにそれに慣れてしまっていた。
それを罪だとはもう思えなくなってしまっているだけなのだ。
そんな自分と織田さんを比べて、何か劣等感のようなものと、彼に対する罪悪感のようなものと、自分に対する嫌悪感のようなものがごちゃまぜになったような感覚を覚える。
「……織田さんは悪くない。仕方がないじゃないか。当然のことをしただけだよ。」
自然に発されたその言葉は、果たして彼に向けて言ったものなのか。
もしかしたらそんな自分に向けたものだったのかもしれない。
俺の言葉を聞いた織田さんは、ぐっと唇を固く結ぶと、再び口を開いた。
「……僕は、その罪を償うために、ここを新しく避難所として開放するとネットに書き込みをした。近くの指定避難所が全滅したことを知ったからね。感染者で溢れる外に出たうちの何割がここまでたどり着けたのかはわからないけど、その日のうちに決して少なくはない人達がここの下まで来た。でも、その中で無事に避難出来たのは一人もいなかった。」
「……」
「ある人は下で死に、ある人は噛まれながらも梯子を登りきった。元々怪我をしていた人もいた。その人達も……みんな僕が殺した。」
「織田さん……」
「なんとかもう少しマシな避難方法が無いものかと考えたよ。やつらの特性を自分で見て、ネットで調べて、少しずつ今のやり方にしていったんだ。それでも、たくさんの人が死んでいったけどね。ここを避難所にすると書き込みをしたのも、今になって思えばそれ自体罪を重ねただけだったのかもしれない。」
肘掛に置いた織田さんの右手がかたかたと震えていた。
織田さんは眉間にしわを寄せて、左手で口元を覆っている。
必死に涙を堪えるように。
「僕は、一体どうすればよかったんだろうね。」
「……何度も言うが、織田さんは悪くない。それに、今こうして織田さんはよくやっている。織田さん達が生き残ってくれたおかげで、ユキのように、救われている人がいる。それで、いいじゃないか。」
「柳木さん……」
織田さんは、涙を溜めた目で俺を見た。
まるで迷える子羊が神の赦しを得たかのように。
だが、俺はそんな高尚な存在ではない。
そんな誰かの穢れを祓い、罪を祓えるような存在では、ない。
むしろ、織田さんよりも多くの者を殺して来た俺こそが、本来そちら側に立つべき人間なのだ。
だから織田さん。
俺を、そんな目で見ないでくれ。




