三十八話
「柳木さん、キミってやつは……」
「ただいま、織田さん。」
織田さんと視線が合って、そんな軽口を叩いては、二人で笑い合う。
「っと……」
どすん、とカエデが抱きついて来て、その身体を支えた。
ひっしと服を掴んでは、心音を聞くかのようにその頰を俺の胸にと押し付けてくる。
「私達、出来たんですね。アザミさんも、怪我は、ないですか?」
「あ、あぁ。」
そのカエデの喜び方が随分と大げさなように思えてしまって少々それに合わせるのに気後れしてしまうが、しかし実際問題、異世界帰りの俺の力が無かったとすれば、下でのゾンビとの攻防は非常に危険な立ち回りであったろう。
この子のことだ、俺のことを心底気にかけてくれていたに違いない。
それでもカエデは俺の言いつけを守り、下を振り向かず梯子を登った。
そんなカエデの気持ちを汲んで、俺はカエデの頭を撫でた。
今度は、無意識にではなく。
それに応えるかのように、カエデは俺の腰に手を回してぎゅうと力を込めては、なおも胸へと顔を押し付ける。
と、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「先輩っ!」
「おぅ、ユキ。」
そこから姿を現したユキは、返事をした俺の姿を視認しては、ぴたりとその動きを止めた。
「……どうした?」
「いえいえいえ、なんでもないですよ?えーっと、その子がカエデちゃんですか?」
「そうだが……織田さん、取り敢えず怪我の確認だけしてくれ。」
なんだか挙動不審なユキだったが、先に身体のチェックを済ませてしまうとしよう。
どうせまたみんなに挨拶して回るんだ、紹介はその時にでもいいだろう。
「あ、うん。それじゃあ、カエデちゃん?は隣の部屋で調べてもらうね。」
織田さんの言葉に、待機して居た女性警察官達がカエデを連れて行く。
なんだか不安そうな顔をして俺を見るカエデに、また後でな、と俺はそれを取り除くかのように微笑みを向けた。
「……先輩、あの子とは、どんな……って先輩?!」
「ん?」
カエデと女性警察官達が部屋を出てからおもむろに服を脱ぎ出した俺に、ユキは顔を真っ赤にしながら小さく叫んだ。
それに構わずさっさとパンツ一丁になる俺。
ある意味一番勝手知ったる仲だ、この避難所での生活も長いらしいし、今更恥ずかしがることもないだろう。
と思って居たのだが、ユキの方はそうでもなかったらしく、顔をそらしながらもちらちらとこちらを見ていた。
「あー、ユキ、なんだかすまん。」
「先輩はデリカシーのかけらもないですね……って言うか、この間も思ったんですけど、先輩なんかゴツくなってません?」
ある意味情けのない格好のままそう謝罪する俺だったが、もうその姿にも慣れたのか、じーとこちらを見てはユキが漏らした。
確かにたかだか1ヶ月程度見なかったくらいでこれだけ身体が変化したのなら異常だな。
実際は異世界での3年で鍛え上げられたものなのだが。
「着痩せするんだよ。」
「着痩せって……腕とかそんなムキムキでしたっけ。」
「……秋冬の間筋トレしてたんだよ。」
ユキの前で脱いだことはなかったが、しかし半袖を着ていたことくらいならいくらでもあるからな。
疑惑の視線を送るユキに少々無理な言い訳をしながら、俺は織田さんのチェックを終えた。
「相変わらずいい身体だね、柳木さん。」
またも"それっぽい"言葉を言う織田さんに苦笑しながらもズボンを履く。
そして上着に顔を突っ込んだあたりで、ユキが近づいてきては、ちょんちょん、と腹をつついてきた。
「……何をしてる?」
「いや、先輩いい身体だなーって……」
「……」
「あっ!そうじゃなくて!織田さんの言う通り、いい身体だなーって!あはは……」
服を着終わった俺が怪訝そうにユキを見やると、当の本人は、ハッとなって目の前で手を振っては何か誤魔化すように笑った。
「何がそうじゃないんだ……」
呆れてため息をつく俺に、なおもユキは顔を赤くして空笑いを浮かべるのであった。
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あらかじめ言ってはいたのだが、同じ女性とは言え別室で他人の前で肌を晒したのはさすがに恥ずかしかったようで、身体のチェックを終えたカエデはしばらく顔のほてりが治まらなかった。
そんなカエデを引き連れ俺とユキは三人で居住区エリアへと移動し皆に挨拶をしたのだが、皆快く対応してくれた。
今は俺の部屋に三人で入り、人心地ついたところだ。
カエデの方を見れば、新しい避難所での生活への不安もあるのだろう、そわそわと落ち着きのない様子だった。
「カエデ。大丈夫だ、ここの人達は、みんないい人だったろう。」
今挨拶回りに行った際も、そして俺が初めてここを訪れた時も、こんな世の中で食料もそこまで十分な状況ではなかったにも関わらず、皆優しい笑顔で迎え入れてくれていた。
自身が避難民であるにも関わらず、それぞれに割り当てられた仕事を文句も言わずやっている。
男に至ってはあの危険な仕事をやってくれている有様だ。
不満がないわけではないだろう。
しかしそれでも、織田さん達を手伝うそんな彼ら彼女らは、決して悪い人たちではないと思う。
「はい。それに、アザミさんがそう言うなら。アザミさんのこと、信じてますから。」
「……まあ、ゆっくり慣れていけばいいさ。」
盲目的に全てを肯定されるのも考えものだが、それで不安が解消されるのであれば、取り敢えずはいいだろう。
「ってことでな、改めて紹介するが、こいつはパンデミック前からの会社の後輩でな。」
微笑むカエデと俺をじーと見つめるユキが、手持ち無沙汰そうにしているので俺はそう話を変える。
急に話を振られたユキは、ハッとなってまたも空笑いを浮かべた。
「あっ、あはは。雪ノ下すみれだよ。改めてよろしくね。」
「はい。不二楓といいます。雪ノ下さん、よろしくお願いします。」
「カエデちゃん、って呼んでもいい?カエデちゃんも、私のことは好きに呼んでいいからね。」
二人がそう言葉を交わし終えたところで、俺はユキへと向いて口を開く。
「ユキ。俺の居ない時は面倒みてもらっていいか。」
「全然大丈夫ですけど……って言うかその口ぶりだと、先輩やっぱり織田さん達の手伝いするつもりなんですね……」
「そりゃあな。世話になるんだからやれるだけのことはしたい。」
俺の返事に、はぁとユキは大きくため息をついた。
必死になって止められるよりかはマシだが、そうして呆れられるのもどうにも不服だ。
ユキからしたら、仕方のない人だなとでも思われているのかもしれないな。
「さて、織田さんに呼ばれているから行ってくる。早速で悪いが、ユキ、後は色々頼んだ。」
「先輩はいつも急なんだから……はーい、分かりました。」
きょろきょろと所在無さげに俺とユキの顔を見ていたカエデだが、俺が立ち上がると不安そうな顔つきで膝立ちになっては俺の服を摘んで来た。
「アザミさん、何処へ……」
「ちょっと話をしてくるだけだ。すぐ戻ってくる。」
言いかけたカエデの言葉に被せるように俺がそう言えば、ほっとしたように安堵の表情へと変わる。
「じゃあカエデちゃんは、おねえさんとお留守番してましょうねー。」
ユキがそう言ってカエデに馴れ馴れしく絡む様を見てそれに感謝しながら、俺は部屋を出た。




