三十七話
「あ、アザミさん、まえ、前!」
カエデのその忠告を無視して、ドン、と勢いよくゾンビを跳ね飛ばしては、車を走らせる。
その度にカエデが、ひっ、と小さく悲鳴を漏らすが、お構い無しだ。
「こいつらは人間じゃないんだ。気にするな。」
むしろ、動物ですらない。
犬猫が目の前に来たらついブレーキを踏んでしまうかもしれないがな。
ぱっと見は人間の形をしているから本物が混じっていたらご愁傷様と言うしかないが、こと俺に限っては生者か死者かも判断出来る気配感知があるからそのような事態も起こり得ない。
「で、でも……ひっ!」
なにか言いかけたカエデだが、新たに轢いたゾンビがボンネットの上に乗りフロントガラスにその顔をべたりとくっつけたことにより、その言葉はまたも小さな悲鳴へと変わった。
俺はハンドルを切りガラス越しにバクバクと口を開閉するゾンビをふるい落とした。
「その調子では先が心配だな。」
「だ、大丈夫です!びっくりしただけですから!」
「だといいがな。」
カエデはゾンビに多少慣れたと言ってはいたが、実際避難所の前で複数のゾンビに囲まれた状況ではどうなるかはわからない。
もっとも手が震えようが足が震えようが、なんとか自力ではしごを登ってくれるのならば、俺が下で不自然にならない範囲で無双すれば問題ないだろう。
いや、さすがに問題ないとは言えないか。
最悪なのは行動不能になってしまった場合だが、その時は俺がカエデを抱えてはしごを登る、というのはいくらなんでも無理があるように思えるから、その際は一度車に戻り出直すとしよう。
ぶっつけ本番となるが、こればかりは仕方がない。
カエデがしっかり動いてくれることを期待しよう。
何度かの"人身事故"を繰り返し、カエデがその悲鳴をあげなくなって来た頃、車は前に俺がバイクで走った道へと差し掛かる。
あの信号を曲がれば、あとは市役所まで直線だ。
目に魔力を込める。
ハンドルを切って曲がれば、遠くに見える市役所の屋上に人の姿が見える。
視線感知に反応、どうやらしっかりとこの車を認識してくれたようだな。
道を進めば、前と同じように人の良さそうなおじさんが市役所ロビー前の日除け屋根へと降りて来る。
同じ流れだ。
ゾンビの誘導も、上手く行っているように見える。
「今更手順の確認はしなくてもいいな?」
「はっ、はい!ちゃんと頭に入っています!」
俺の言葉に、カエデははっきりとそう頷く。
俺は車のスピードを落とし、警察署前に乱雑に止められた車の間を縫っては敷地内に侵入し、外に転がっていた俺が使ったバイクの側へと車を停める。
カエデの座っている座席側を、建物方向にしての駐車だ。
勿論、食料調達の際に邪魔にならないようにも配慮している。
多少、周囲のゾンビの数が多いか。
まあこれくらいならば想定の範囲内だろう。
すでに二階からは縄はしごが降ろされている。
直近にゾンビの姿はない、行けそうだな。
「行くぞ!」
「はいっ!」
俺がその言葉と共に外に出るのと同時、すでにリュックを背負って準備を終えているカエデも勢いよくドアを開けては、はしごへと手をつけた。
下にいる俺がカエデを守るから周りは見なくていい、しっかり確実に登れとカエデには言ってある。
俺を信じて、そして俺のことなど気にせず、ただ登れ、と。
カエデはその言いつけ通り、こちらを振り返らずにひたすらその手と足の感触を確かめるかのように、着実にはしごを登っていた。
どうなるかと思ったが、あの調子なら大丈夫だろう。
俺はうめき声をあげて近づいて来たゾンビの頭へバールを振り下ろす。
そしてぐらりと倒れるその体を蹴飛ばして、深く突き刺さったバールをその反動で引き抜いた。
こんなことなどしなくとも、容易に引き抜けるんだがな。
必死さを演じている自分に少々面白くなって、俺は苦笑した。
それを数度繰り返し、気付けばカエデは無事に二階へと辿り着いていたようだった。
「柳木さんも、早く!」
「アザミさんっ!」
織田さんとカエデが、窓から身を乗り出して俺に叫んだ。
カエデに至っては、またそこから落ちて来てしまうんじゃないかという有様だ。
俺は一番近くのゾンビにバールを突き立てそれを放り出し、すぐに縄はしごに手をかける。
すでに大分ゾンビ共の接近を許していたが、その顔をはしごにつかまりながら蹴飛ばしてはさらに上へと登った。
はしごを登りきり、二階の窓枠に手をついて、それを飛び越える。
スタリと床に着地すれば、織田さんや警察官達と共に、カエデが笑顔で俺を迎えてくれた。




