三十五話
非常階段から3階に戻り、俺はカエデのいるスタッフルームへと足を運んだ。
カエデは言われた通り、荷物を仕分けているようだった。
俺が色々とこの部屋に持ち込んできていたからな、カエデが自分の家を出るときよりも物の数は多く、その選別をしているのだろう。
持って行ける物は、そう多くはない。
まあ俺のアイテムボックスにはたくさん物が詰まってはいるのだが。
ドアを開けて入ってきた俺の姿を見ると、カエデはほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「……よかった。無事だったんですね、アザミさん。」
ゾンビ程度相手にするのに毎度こうも心配されるのはやはり調子が狂う。
そんな俺の気持ちはわからないであろうカエデは、俺にとびきりの笑顔を向けた。
「いつも心配しすぎだ。」
こともなげに俺はそうカエデへと返す。
「そんな。心配、しますよ……」
「あー、いや、悪かった。ところで話は変わるが、カエデ。」
「はい?」
心配するな、というのも無理な話か。
素直に謝罪すると、俺は本題に入る。
「なんでも俺のいうことを聞くんだったな。今から、あることをしてもらう。」
途端、カエデの顔がぼっと音でもするかのように真っ赤に染まった。
……だから、どうしてそうなる。
俺はそんな様子のカエデに構わず歩みを進めてその身へと近付いた。
「あっ、アザミさん、せ、せめて、その、心の準備を……」
「心の準備か。そうだな、確かにそれは必要かも知れないな。」
「でっ、ですよね!」
俺はカエデの手を取った。
ぴくりとカエデの体が震えるが、俺がその手を引いて歩みを進めると、されるがままにその足を動かして後へとついてきた。
そのまま俺はスタッフルームを出る。
そしてバックヤードの廊下を通り、銀色のスイングドアを開けた。
そのあたりで、カエデの顔に疑問符が浮かんできた。
「あの、アザミさん……?」
声を小さくしてカエデが尋ねてくる。
それに返事もせず俺がなおも無言で非常階段の前へと足を進めれば、ゴン、ゴン、と小さく下で防火扉を叩く音が聞こえてきていた。
「あの……」
「カエデ。」
「は、はいっ。」
その音に足をすくませているカエデだったが、俺はそんなカエデの瞳をじぃと見つめた。
そして震える声で返事をするカエデに、俺はズボンに差していたあるものを手渡す。
カエデには今までシャツの裏に隠れて見えていなかったであろう。
黒く、重い、誰もが見たことのある、けれどその本物は、殆どの日本人は触ったことがないであろうものだ。
「アザミさん、こっ、これっ……」
「落とすなよ。今から、カエデにはこれでゾンビを殺してもらう。」
それが本物であると直感で分かったのだろう。
ぶるぶると震えるその手の上に拳銃を乗せたカエデに、俺は残酷な台詞を突きつけた。
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気配感知によれば、非常階段内に誘き寄せたゾンビはまだ一階と二階の間の踊り場にいるようだった。
俺は防火扉の前に置いてあったバールを手に取ると、くぐり戸を開けて薄暗い階段を降りていく。
カエデが今にも膝から落ちそうになる足でついてきては、俺に尋ねた。
「本当に、やらなきゃならないですか……?」
俺はそれに答えない。
ただ階下へと歩みを進めるだけだ。
二階の踊り場へと着いて角を曲がれば、眼下に先程のゾンビの姿が見えた。
俺たちを視認すると、それはゆっくりと階段を登ってくる。
地面を這いずらずに登ってこれるか。
ある意味、丁度いいな。
立っている方が狙いもつけやすいだろう。
後ろから少し遅れてついて来たカエデがそれに気付いて、ひ、と小さく悲鳴をあげるが、俺はそれに構わず言った。
「使い方は、わかるな?狙いを定めて引き金を引くだけだ。頭を狙え。」
言われて、カエデは階下から迫るゾンビを見やる。
その手に持った銃も構えず、その目を恐怖に見開いて、ハアハアとその呼吸を荒くして。
「どうした、構えろ。」
ぶるぶると震えながらカエデは両手で銃を握った。
狙いも何もあったもんじゃないような構えだが、それでもカエデは必死でその両手で銃を前へと突き出していた。
ゾンビのうめき声と、カエデの激しい呼吸音が混ざり合う。
ガクガクと膝を震わせながら構えるカエデがついには涙をこぼし、俺へと言った。
「でっ、出来ません……アザミさん、代わりに……」
カエデがそう言い切るより早く、俺は階段を上り切ろうとしたゾンビを蹴飛ばし階下へと突き落とした。
「音を上げるならもう少し早くしろ。危ないだろう。」
階段を転げ落ちるゾンビに目もくれず、俺は優しくカエデの手から拳銃を奪い取る。
カエデは構えた格好で固まったままだった。
「……動けるか?」
まるで生まれたての子鹿のようにカクカクと内股で立つカエデに俺は問いかける。
質問の意味がわからないとでも言うかのような、そんな混乱した表情でカエデは俺をみた。
「このまま一人で部屋に戻れるかと聞いている。」
「あっ、はい……」
「じゃあ戻れ、こいつは片付けておくから。」
「あの、わっ、分かりました。」
そう言われて、カエデは手すりに寄りかかりながら上へと登っていく。
カエデがゾンビを殺すということに忌避感を抱いたのか、それとも眼前に迫るゾンビに恐怖したのかは分からないが、しかしなんにせよ今のあの状態が、避難所の前で起きていたら、とても縄はしごを登ることなど無理であったろう。
試しておいてよかったか。
時間はある。
カエデには悪いが、もう少し同様のことをやってもらうとしよう。
俺はシリンダーが"空っぽ"の拳銃をズボンへとしまう。
そして手に持ったバールを、再び階段を上り迫って来たゾンビの脳天に突き刺して、それを屠った。




