三十四話
「カエデが言った、なんでもする、と言うのはまだ有効か?」
「ふぇっ!?」
就寝前、ベッドへ横になるカエデに向かって俺がソファから声をかけると、カエデは裏返った変な声を出して返事をした。
「あ、あのあの、はい。だ、大丈夫、ですけど……あっ!じゃあ、せめて何かこう、少し準備をさせて欲しいというか……」
「なんの準備だ……」
何かまたよからぬことを考えている様子で顔を赤くするカエデに俺は頭を抱えた。
もぞもぞとベッドの中で体を動かしては悶えた様子のカエデを無視して、言葉を続ける。
「まあ、そうならば話は早い。今度、ドライブしよう。」
「……ドライブ?」
「生存者の集まるコミュニティを見つけた。」
自分の勘違いに気づいたのかぴたりとその動きを止め疑問の視線を投げかけてくるカエデだったが、俺がそう言うと目を丸くして驚いた様子だった。
「言っていなかったが、俺の用事というのはそれでな。まだ機能している避難所を探していた。」
もっとも、それはカエデと会ってからの目的となった訳なのだが、それを今あえて説明することもあるまい。
そうだったんですか、と言うカエデに俺は、そこに接触してきたこと、安全な場所であること、受け入れてもらえること、また知り合いもそこに避難していることなどを伝える。
「あそこならば人もいるし、諍いなども起きていないと聞いた。カエデもここにいるよりは安心して過ごせるだろう。」
「あの、アザミさんは……?」
「ん?」
「アザミさんも、そこに一緒に避難するってことですよね?」
「あぁ。そこのリーダーの織田さんって人に居て欲しいと言われたからな。」
いつまでいるかは分からないが、世話になるんだ、出来るだけのことはしたい。
「そうですか、それなら……はい、分かりました。」
カエデがそう返事をするのを聞いて、俺は向こうでの避難方法などを事細かく説明した。
念のため聞いてみたが、カエデは体力には自信があるようで、縄はしごを登るのは苦にもしないとのことだった。
そこの問題は取り敢えずクリア出来たようで安心だ。
その際に俺の大立ち回りが要求されそうな所が問題だが、そこは上手い具合に手を抜いてギリギリ不自然にならないようにすれば何とかなるだろう。
後の懸念は、カエデがゾンビを前にして恐怖で動けなくなる可能性があるところか。
これについては、そうだな。
"慣れてもらう"しかあるまい。
そのために必要なものもここ数日の外出ですでに手に入れてある。
カエデの言った、なんでも言うことを聞く、というのは今も有効であるらしい。
であるならば、再びこれを使わせてもらうとしよう。
「出発は、2、3日後になるから、少しずつ準備しておくといい。まあ準備と言ってもそんなにやることもないだろうが。」
「わかりました。アザミさんはどうするんですか?」
「俺はそうだな、少し、やることがある。尤も、この建物から出たりはしないが。」
「……?」
疑問符を投げかけてくるカエデだが、それに答えず俺は横になり毛布を被る。
「じゃあ、そろそろ寝るとしよう。」
「……わかりました。おやすみなさい、アザミさん。」
「あぁ、おやすみ。」
挨拶を交わし、カエデがベッドの側に置いてあったLEDランタンのスイッチを切ると、部屋の中は暗闇に包まれた。
+++++
翌朝、俺はホームセンター一階へと降りたった。
勿論カエデはそのことに酷く心配していたが、これもまた俺の用事と言えば、そこで引き下がるしかなかったようだった。
俺が今からやる作業は主に二つある。
一つはここを出る際にスムーズにカエデを正面入り口に停めておいた車へと移動させるための作業だ。
出発の際は非常階段を使うつもりだから、そこから危なげなく車へと行けるように、散乱した商品や、倒れてしまった商品棚を寄せていく。
また通り道の傍にゾンビの亡骸があっては、カエデもそれがいつ動くのかと心配で歩みを進めるのが遅くなるだろう。
俺は時折邪魔をしてくる数少ないゾンビの頭を片手間にバールで弾き飛ばしては、すでに床に倒れるゾンビの亡骸も含めて遠くへと蹴り飛ばす。
後は当日にここらに入り込んできているゾンビが邪魔だろうが、それはまた後で倒せば問題はあるまい。
尤も、ここ何回かの外出の行き帰りで周辺のゾンビは大分片付けていたから、かなり数は少なくなってはいるのだが。
「さて。」
一つ目の作業が終わり、綺麗、とまではさすがにいかないが、非常階段から車への道が出来上がる。
その道を、新たに店外から入ってきた一匹のゾンビがおぼつかない足取りで歩いてくる。
生前は真面目なサラリーマンだったりしたのだろう、すっきりとした黒い短髪がボサボサに乱れ、着ているスーツはそこかしこ噛み跡で破られ傷だらけの男のゾンビだった。
「お前でいいか。」
俺はそのゾンビを見て非常階段へと移動し、防火扉のくぐり戸を開けた。
ここにくる前にあらかじめ鍵を開けて置いたのだ。
中に入り、階段上でそのゾンビを待つ。
そして非常階段内にそれが侵入すると、位置を入れ替えくぐり戸を閉め鍵をかけた。
後続のゾンビ共が防火扉を叩くだろうが、まあいいだろう。
俺は襲いかかってくるサラリーマンゾンビの攻撃を避けると壁に蹴飛ばして、吹っ飛んだゾンビが振り返るより先に跳躍し階段の踊り場へと着地して上の階へと走った。
準備は出来た。
さて、これからは二つ目の作業だ。
"カエデを呼んでくる"とするか。




