三十三話
俺がスタッフルームへと戻ると、カエデはカセットコンロでキャンプケトルを火にかけていた。
「あっ、アザミさん。着替え、持っていたんですね。」
「あぁ。カエデもさっき濡れただろう、これでも着るといい。」
そう言って、無作法に丸めた服をカエデへと手渡す。
部屋がLEDランタンの明かりのみで暗かったのも手伝い、丸めていたせいか手渡されたものが最初は何かは分からなかったのだろう。
それを広げるとカエデはぱあっと顔を明るくしてみせた。
「これ、どうしたんですか?……あっ。」
何かに気付いたのか、今度はつい先程の嬉しそうな表情とは打って変わって、むぅ、と口をとがらせた。
「……気に入らなかったか?」
「違いますよ!わざわざ私のものを取ってこなくても……あっ、嬉しいですよ?嬉しいですけど……んぅ。」
まるで百面相のように表情をころころと変えるカエデだが、つまり言いたいのは前にカエデが俺へと伝えた、俺の用事以外で危険なことはしないで欲しい、という類の話だろう。
「適当に一晩借りた部屋にあったものだ。ついでに持ってきただけだ。この服もな。」
まあ、この服は実際は違うのだが。
「えっと……それなら、うーん、いい?ですけど……ふふ、ありがとうございます。じゃあ、大事にしますね。」
「大事にはしなくていい。さっさと着替えろ。また風邪でも引かれたら困る。」
そう言って俺が部屋を出てドアを閉めると、ややあって中から、もう大丈夫ですよ、と声がかかる。
「どうです?変じゃないですか?似合いますか?」
「ん?あぁ。着心地は悪くないか?」
「はい!」
ドアを開ければ、袖口は締まっているが袖周りはだぼついた、長袖の英字プリントのロングTシャツを着たカエデが、椅子から立ち上がりふりふりと体を振ってはこちらを見て来たので話を合わせることにする。
俺、いやおそらく男からしたら、こんな世の中になったら似合う似合わないなど些細な問題で、サイズさえキツくなければなんでもいいと思うのだが、女の子はそう言ったものでもないのだろう。
それをわざわざ突っ込むほど不粋でもない。
それに、動きやすさを重視した長袖という条件で選んだだけだったが、やや子供っぽさを感じるその服も、カエデの年齢と合わせて事実似合っているように感じるしな。
当のカエデを見れば、嬉しそうに着ている服を見てはニマニマとしていて、そこまでのことかとも思うが、まあ本人が喜んでいるのであればそれで問題はあるまい。
「あっ、そうだ。アザミさん、体冷えているだろうし、お湯沸かしておきましたよ。」
テーブルの上のカセットコンロはすでに火が消えていて、キャンプケトルからは白い湯気がほのかにあがっていた。
「ありがとう、頂くとしよう。」
「いえ。これくらいしか、出来ませんから……でも、今度はお洋服まで貰ってしまって。」
「気にするな。ついでだ。」
あくまでついでなのを強調して、俺はテーブルについた。
カエデがキャンプセットのカップにお湯を注いで、熱いですから気をつけてくださいね、と俺の前へと置く。
「コーヒーでも出せればいいんですけど、こんな世の中ですしね。」
「取ってこようか?」
「そういう意味じゃないですよ!……あ、アザミさんは、ご飯は食べました?」
「あぁ。ここに来る前適当に腹に入れた。」
「そうでしたか。私もさっき食べたんですよね。あの、言ってくれれば私作るんで、お腹空いたらいつでも言ってくださいね。」
それくらいしか出来ませんし……、とまたも同じ言葉を付け加えて、カエデは俺を見た。
熱で温かくなったステンレスのコップを手に取り、中の湯をずず、と一口すする。
"全属性耐性"のスキルを持っているからか、体の冷えも、その白湯の熱さも気にはならないが、それでも身体があったまる感じがした。
カエデも自分の分のお湯をふぅふぅと冷ましては慎重にすすって、どこか遠くを見るような眼差しで手元を見ていた。
しばしの間、部屋の中を沈黙が支配する。
「……アザミさん、もしかしたら、帰ってこないんじゃないのかって思っていました。」
ふいに、カエデが口を開いては、ぽつりとそうこぼした。
「戻ると言ったろう。数日留守にするかもしれないとも。」
「はい……あっ、責めてるわけじゃないですよ?ただ、あの。やっぱり一晩経っても帰ってこなくて、不安で……」
暖をとるかのようにコップを包んだ両手にカエデはきゅっと力を込めた。
そこに入った白湯に起こる波紋をじぃと見つめては、言葉を紡ぐ。
カエデの気持ちは分かる。
こんな世の中だ、外に行った奴が一晩戻らなければ、その生死は疑わしいものだろう。
カエデはそれで父親を亡くしているのだから尚更だ。
俺は黙ってカエデの続く言葉を待った。
ぼんやりとした視線で、何処か暗い様子のカエデから放たれた言葉は、しかしその表情とは違い喜色に満ちたものだった。
「でも、こうして戻ってきてくれて、凄く、嬉しかったです。」
「……そうか。」
「はい。」
どうにも釈然としない話の流れに、どう反応すればいいか困った俺がそう返事をすれば、カエデは俺へと笑顔を向けた。
まあ、生きていたことを素直に喜んでくれているのだろう。
戻って早々抱きつかれて狼狽したが、それだけ心配していたと言うことか。
少し悪いことをしたかと思ったが、しかしこればかりは仕方がない。
おかげで警察署とコンタクトを取ることが出来たし、あとはカエデをそこへ運ぶだけだ。
準備をして、数日後にはここを出るとしよう。




