二十九話
すでに外には夜の帳が落ちており、暗い部屋の中で俺は天井を見上げていた。
警察署内の、自分の部屋だ。
ユキの話からして特に心配はしなくても問題はあるまいが、一応気配感知の都合上、なるべくフロアの中心付近の階段よりの部屋を選んだ。
ここならば階段を通る人の気配も感知できる。
日が明ければ男性警察官達とともに、俺は食料調達へと出ることになっている。
聞けば市役所と警察署は無線機で連絡を取り合っていて、外へと出る際には俺がここへ避難した時と同様市役所側でゾンビの誘導をするとの事だった。
そこから先は警察署内と繋がっているガレージから特殊車両を使用して外に出るらしい。
確かにいちいち全員が縄はしごで降りていてはいずれゾンビに捕まってしまうものな。
俺一人はしごを降りてバイクを使ってカエデを迎えに行ってもいいのだが、その場面を想像するに、周囲にゾンビがいる中、ここに来るときに荒々しく止めて倒れたバイクを起こしてさらにそのままエンジンを掛けてその場を離れる、と言うのは流石に大立ち回りを要求されそうな気がして、それならばいっそ食料調達部隊と共に外へ出ようと考えたのだった。
せっかく世話になるのだから食料調達の手伝いもしたかったし、何よりその様子を見るのも悪くないと思ってのことだ。
これまでやってこれていたのだから大丈夫だとは思うが、これからも安定して食料を調達できそうなことをこの目で見られれば、心配事がひとつ減る。
その後はゾンビの少ない場所でタイミングを見て別れるという算段だ。
俺のその話に織田さん含め他の面々も眉をひそめたが、しかし彼らがカエデ救出を手伝わないというスタンスを貫くのであれば、そのような方法を取るしかないのもまた事実なので、渋々その作戦を了承してくれた。
もっとも俺にとってみれば、単に目の前でゾンビ相手に無双する可能性があるよりかは、一人車を降りてまたここに無事戻って来ることの方が、怪しさこそあれど何も見られていない分まだマシというだけの話だ。
そんなことを考えていると、俺の部屋に近づいて来る気配感知の反応があった。
コンコン
「……ユキか。入っていいぞ。」
ノックの後の呼びかけの声がするよりも先に俺がそう言うと、カチャリと静かにドアを開けて、布をかぶせた懐中電灯を持ったユキが部屋に入って来た。
「……なんで私だって分かったんですかー。」
「新参者の俺を訪ねてくるのはユキくらいしか居ないだろ。」
ジト目で言うユキの言葉にそう返すと、俺は起き上がる。
"常在戦場"の気配感知にユキを登録しておいたから分かったのだが、そんなことを説明できるわけもない。
「電池勿体無いし、消してもいいですよね?」
そう言ってユキは俺の側まで来て座り込むと、懐中電灯のスイッチを切る。
部屋が再び暗闇に包まれて、しばしの静寂が支配した。
「……先輩。明日また、出て行っちゃうんですよね。」
それと同じように静かに、小さな声でユキが言う。
「あぁ。」
「カエデちゃんを連れて来るの、やっぱり、織田さん達に手伝ってもらったほうがいいですよ。」
「無茶を言うな。そんな個人的なことで、迷惑は掛けられない。」
ユキが俺を心配するのはわかる。
やろうとしている作戦だって、普通に聞いたら正気かと言いたくなるようなものだろう。
だが俺にとってはむしろ、そんな"簡単な"個人的なことで織田さん達の手を煩わせ、危険な目にあわせるかもしれないことの方が不本意な話だった。
「今日は、上手くいきましたけど、次は、上手くいかないかもしれないですよ……?」
「……どう言うことだ?」
俺の問いにユキは膝を抱えて、その膝に顔を押し付けて、顔を伏せたまま震えた声で答えた。
「先輩が、無事にカエデちゃんの所に辿り着いたとして。それで、また無事にここの外まで来れたとしても、次は、上手くいかないかもしれないじゃないですか……」
俺は無言で、ユキの言葉の続きを待つ。
「私、何度も見て来てるんです。ここまで避難して来た人が、目の前で死んでしまうところを。私も先輩も、運が良かっただけなんですよ。もう少しで助かるのに、そんなギリギリのところで死んでしまう人を、私は何度も、何度も、見て……」
いつの間にか、ユキは泣いていた。
泣きながらも、なおも言葉を続ける。
「私も、ああなっていたかもしれないと思うと、今でも怖いんです。梯子を上っている時に、感染者の手が私の足を掴んで、靴が脱げた感触が今でも忘れられないんです。」
「ユキ……」
「……先輩は、怖くないんですか?」
顔を上げて、ユキはじっと俺の方を見つめてきた。
その真剣な眼差しを直視することができず、俺はついとユキから視線を外した。
きっと今生き残っている他の生存者達も、皆ユキと同じようにゾンビに恐怖を感じながら生きているのだろう。
そして俺だけが、その感情を抱くことなくこうしている。
その理由も、話せないままに。
そのことに何か罪悪感にも似たものを感じて、いたたまれない気持ちになる。
「俺は……そうだな。怖くない。」
だからこそ、ハッキリと俺はユキにそう言った。
自分の気持ちを素直に吐露することで、少しでもそれから逃れるために。
「先輩……」
ぎゅう、と膝を抱えたユキの視線が、痛かった。
「先輩は、やっぱりなんだか、冷たいです……」
ユキのその言葉が、酷く胸に響いた。




