二十七話
「ユキ、無事だったのか。」
雪ノ下すみれ-ユキ-はぐりんぐりんと音がするかのようにその顔を俺の胸に押し付けてきた。
「あー……二人は恋人か何かだったのかい?」
「いや、会社の後輩でな。まさか生きていたとは。」
隣に立つ織田さんの生温かい目に耐えられなくなって、俺は大袈裟に無事を喜ぶユキを呆れ顔で引き離した。
記憶にあるユキはここまでスキンシップをしてくるような子ではなかった筈だが。
ユキは小動物のようなくりくりとした瞳を潤ませて、俺を見上げて来る。
「先輩、それはこっちの台詞ですよ!会社はサボるわ、連絡に返事もしないわで!」
眉間にしわを寄せて眉毛を吊り上げるようにして、涙目のまま俺を睨むユキ。
「あー、すまんすまん。色々あってな。」
それに耐えられなくなり俺はユキから視線を外すと、どう言い訳をしようかと必死で頭を回していた。
まさかユキが本当に避難出来ていたとは。
非常に喜ばしいことではあるが、しかし参ったな。
ここにいる生存者達に、ゾンビ発生から今までの事を聞かれたら適当に話をでっち上げようと思ってはいたのだが、元々の知り合いのユキが相手ではそれも上手くはいくまい。
異世界へ転移していた空白の期間をなんと誤魔化せばいいか……
「あー、じゃあ、二人は知り合いみたいだし、取り敢えず柳木さんの事は雪ノ下さんに任せていいかな。色々教えてあげてよ。」
織田さんは俺とユキのやり取りを微笑ましそうに眺めてそう言うと、二人ともよかったね、と最後に付け足して階段を降りていった。
「あーもう……先輩、取り敢えず案内しますね!後でその色々を聞かせてもらいますから!」
その場に残された俺とユキ。
ユキはそう言うと俺の手をぎゅうと握り、歩き出す。
「おい、ユキ。」
手を握るなど、今迄した事なかったろうに。
相も変わらず随分とスキンシップの激しいユキに、俺がそう呼びかけると。
「先輩がいなくならないように捕まえておかないといけませんから!」
ユキは、こちらを振り向かずにそう言った。
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俺は警察署内3階の部屋の中で、ユキの前で正座をしていた。
「さて、先輩。何から話してもらいましょうか。」
椅子に座るユキの前で、まるで断罪を待つ囚人かのようにこうべを垂れる俺。
いやちょっと待て、なんだこの状況、どうしてこうなった。
思い返してみれば、元からいた避難民たち15人程への紹介を終えて、その後建物内のルールを聞きながらトイレやその他の場所を案内されて。
ここが私の部屋なんですよ、とユキの部屋に招き入れられたと思ったら、気付いたらこうなっていた。
いや、確か瞳を真っ赤にしたユキから、正座、とただただ何度か繰り返された気がする。
最後に泣きながらの正座の叫びの一言で、俺はついに根負けして今の状況に陥っていたのだった。
しばらく二人の間を沈黙が支配する。
平時なら外から聞こえるであろう車の音も今はしないせいか、余計に静かで、カチカチと壁に掛けられた時計の音が酷く響いた。
ずず、と鼻をすする音が聞こえて、ユキが口を開いた。
「ごめんなさい、先輩。もう正座しなくていいです。」
流れから金切り声でも上げられるかと思っていたが、ユキが予想に反して、穏やかな声で言う。
「一回やって見たかったんですよ、へへ。」
ユキは瞳の端に溜まって溢れた涙を指でちょいと拭うと、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「いや、すまん、連絡を返さなかったのは悪かったと思ってる。だが本当に色々とあってだな。」
俺は足を崩すと、謝罪をした。
さてどうしたものか。
先ほど案内されている時からずっと考えてはいたのだが、やはりパンデミックが起きるまでの空白期間の言い訳の名案は浮かばず、スマホをなくしていたとか、いやいっそ山籠りでもしていたことにするかと突飛な事が頭に浮かんできた時、ユキは俺のその心配をよそに違う話を投げかけた。
「別に、それはいいです。先輩にも事情はあるでしょうし。それより先輩は……何でそんなに冷静なんですか?」
言っている意味が、分からなかった。
先程収まったかに思えた涙が、またじわりとユキの瞳から溢れてくる。
必死にそれをこらえるかのように、口をへの字にして、ユキが俺を睨んでいた。
「私は先輩が無事で、また会えてこんなになってるのに。先輩素っ気ないですよ。冷たいです。」
そう言う意味か。
正直、ユキは死んでいるものかとばかり思っていた。
勿論生きていればいいなとは思ってはいたが、しかしその事についてどこか諦めのようなものを抱いていた。
それはおそらく人死にが日常的にある異世界での三年の経験がそうさせたものであって、なるほど言われてみれば確かに、ユキの言うことももっともな話なのかもしれない。
「いや、俺もユキが生きていてくれて嬉しいよ。心配していた、本当だ。第一、ユキのメールを見てここに来たんだからな。」
それは偽りのない本心で、勝手に口をついて出た言葉だった。
死んでいても仕方ない、そう思ってはいたが、実際無事ならばこれほど嬉しいことはない。
しかしそうか、素っ気ない、か。
確かに、そうだったかもしれないな。
「ふーん……ホントかなぁー。それだったらいいんですけどぉー。」
ユキは俺の言葉を聞くとそう言って顔をそらすと、ゴシゴシと袖で涙を拭いていた。
横顔から見える口角が、少し上がっているように見えた。
「あれ?っていうか、先輩。」
と、一度虚空を見上げて首をひねると、ユキは俺に向き直り言った。
「私が市役所に避難するってメールまで見たのに、なんでそれにも返事してくれなかったんですか?」
……どうやら俺は、しくじってしまったかもしれない。




