二十二話
「あ、アザミさん、自分で歩けますよ!」
「あんまり動くな、危ないだろう。」
男子更衣室に戻った俺は、カエデを所謂お姫様抱っこで持ち上げた。
熱のせいなのか恥ずかしさからなのかカエデは顔を真っ赤にして抗議するが、俺は構わずそのままスタッフルームへと運び、ベッドの上へとその身をおろした。
「アザミさん、これは……?」
あの後更衣室を出た俺は予定通りトイレに行った後、スタッフルームのオフィステーブルや椅子を寄せたり外に出したりしてスペースを作って、そこに売り物のベッドを運び込んでいた。
多少マシな環境で眠れば、体もゆっくり休まるだろうと考えてのことだ。
「これでしっかり休め。と言うか、せめてマットレスか布団だけでも運び込んで来ていれば良かっただろう。」
「……そうですね……思いつかなかったです。」
もっとも、ゾンビ共に追われ、あげく母親がゾンビ化するなどと言う凄惨な事態が起こった後では、そんな寝心地を気にするほど心にゆとりもなかったか。
きっとカエデの父親も同じように、カエデが見ていた姿以上に焦燥しきっていたに違いない。
そしてその父親まで居なくなってしまっては尚更だ。
失言、だったかもな。
「いや、すまん。とにかく、休んで治すんだ。」
「……はい。でも、寝付くまで少しお話ししてもいいですか?」
カエデは素直に頷いてから、傍に立つ俺を見上げてくる。
わかった、と俺は壁際に寄せてあったオフィスチェアーをベッドの側に置くとそれに腰掛けた。
「あの。さっきは、聞くか迷って結局言わなかったんですけど……」
「なんだ?」
寝る前のことだろう。
その時と同じように、カエデは口をパクパクとさせては言葉を発せず、しかし今度は意を決したかのようにその口を開いた。
「……アザミさんのご両親は、ご無事ですか……?」
カエデの瞳が、震えていた。
何を思って、そんな質問をしたのだろう。
ただ純粋に、自分にとっての救い主である俺の両親の安否を気遣ってくれただけなのか。
それとも自分の両親が死んでしまい、同じ状況であるならば何か慰め合いのようなものをしたかっただけなのか。
そんな気持ちを共有したかっただけなのか。
もしかしたら、カエデ自身も分かっていないのかもしれない。
「生憎と、随分昔に亡くなってしまっていてな。交通事故だったよ。こんな世の中になってから死ぬくらいならその方が良かったのかもな。それ以来俺に家族はいない。」
兄弟もいないしな、と俺は付け加える。
「そうなんですね……ごめんなさい、なんだか変なことを聞いてしまって。」
カエデ自身何故そんな質問をしたのかやはり分かってはいないのだろう、複雑な感情が入り混じったような顔をして謝ってきた。
「気にしていない。言っただろう、遠慮なく何でも聞いていい。」
それは本心で、だからこそカエデが無駄に罪悪感を感じてしまわないよう、努めて穏やかな声色で言う。
「……アザミさんは、優しいですね。」
じっ、と、カエデが俺の瞳を見つめてきた。
その視線に当てられ、俺の心臓がどくんと大きく脈を打った。
俺が、優しい?
心にもないことを言われ、心臓がばくばくと激しく鼓動する。
異世界では同族ですらいつも訝しみ続け、同族を見殺しにし、そして、決して少なくない同族を自らの手で殺してきた。
挙げ句の果てにはそんな世界で出会った数少ない信頼出来る仲間を捨てて日本に戻ってきた俺が、優しいなどある訳がない。
しばしの間部屋の中を沈黙が支配し、やがて俺は落ち着きを取り戻してから、ゆっくりと口を開く。
「……それは、勘違いだ。」
正直、戻ってきて早々こんなことになっているのは、そんな非情な俺への罰なんじゃないかと思い始めているくらいだった。
であるならば、そんな罰は俺だけに向けて欲しく、他を巻き込まないでほしい。
カエデのその瞳を直視していられず、俺は目線をそらした。
「もういいだろう、そろそろ寝ろ。」
続けて、ぶっきらぼうに言い放つと椅子から立ち上がる。
カエデが一瞬俺に手を伸ばしかけたが、すぐにその動きを止め、代わりに口を開いた。
「……分かりました……アザミさんは優しいから、どこにも行かないで居てくれますよね?」
「……優しくない。」
尚も一人になるのが不安そうなカエデの言葉にそう答え、俺はソファに移動して寝転ぶ。
それを見たカエデが、ふふ、と小さく笑った気がした。




