二十一話
「アザミさんのこと、聞いてもいいですか?」
天井近くの小窓から朝日が差して大分と明るくなった男子更衣室の中、少しだけ離れて寝転んだカエデはこちらの方を向いて言った。
カエデと会ってすぐに言った、訳あって俺の事情は話せない、という言葉。
勿論異世界から戻ってきたばかりで何も分からないなんて言える訳もないしそう言ったのだが、ともあれカエデはそれに配慮して尋ねてきたのだろう。
「……答えられる範囲なら答える。」
俺は腕を枕代わりに頭の上で組んで仰向けになりながら返事をする。
横目でカエデの方を見やれば、じゃあ、と口を開いたかと思えば、またすぐにその口を閉じた。
「……?」
続く言葉がいつまでも綴られない事を疑問に思った俺は、カエデの方を向く。
うんうんと唸ってカエデは次の言葉を飲み込んで居た。
「何か聞こうと思ってたんじゃないのか?」
「そうなんですけど……やっぱり、大丈夫です。」
俺の問いに、カエデはそう言って微笑んだ。
何を聞こうと思っていたか気にはなるが、そもそもそれが答えられる質問かどうかもわからない。
まあそう言うのであれば、仕方あるまい。
「そうか。また言いたくなったらいつでも聞いていいぞ。」
「……はい。あっ、えっと、アザミさん。今日は、どこにも行きませんか?」
思い付いたように、カエデは質問を口にする。
明らかに今しようとしていた質問ではないだろうその言葉に、俺は苦笑しながらも返す。
「あぁ、今のところ予定はない。」
「ほんとに、絶対ですよね?起きたらいないとか、ないですよね?」
しつこいくらいに念入りに確認をしてくるカエデが、じぃ、と俺の瞳を見つめてきた。
食べ物などは下にたくさんあり、まず今やるべきはカエデをどう運ぶか考えることだ。
上手い方法を思いつかない限りは、まだ何か行動を起こすことも出来なかった。
敢えて言うならば、あの市役所のコミュニティが安全かどうかの様子見をしたいところだが。
カエデが今日は居て欲しいと言うのであれば、それは今日またすぐに見に行かなくとも特段問題はないだろう。
「わかった、約束する。じゃあ、今度こそもう寝ろ。」
気持ちはわかる。
だからこそ俺はその視線を見つめ返して、ハッキリとそう答えた。
それに安心してくれたのか、やがてカエデは眠りに落ちた。
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陽の光に照らされて目が覚めた俺は、腕につけた時計を見る。
どうやら三時間ほど眠っていたようだった。
太陽が少し高くなり、直接光が当たったのかと恨めしく小窓を睨む。
壁際に横になっているカエデの方を見ればまだ眠っているようだった。
後でカーテンのようなものでもつけるかと考えながら、俺はトイレにでも行こうと立ち上がった。
「……アザミさん……」
静かにドアを開けると、後ろから声がかかる。
起きていたのかと思って振り向いたが、カエデは目を瞑ったままで、続く言葉もなくすぅすぅと小さく呼吸を繰り返しているだけだ。
「寝言か……」
何か夢でも見ているのか、時折ぎゅ、と瞼を強く閉じたりして、もぞもぞと体を動かしていた。
はらりとかけていた毛布がずれて肩口が外に出たのを見て、俺は近づいてそれをかけ直す。
近くで見ると、カエデの顔は若干赤みがかっていた。
と、ゆっくりとカエデの目が開く。
「あ、アザミ、さん?おはようございます?」
「あぁ、起こしたか、すまん。」
「いえ……けほっ。ちゃんと、居てくれたんですね。」
けほけほと軽い咳をしながらカエデが俺を見上げ微笑む。
それを見て俺は断りもなくその額に手をあてた。
「……熱があるようだな、風邪でも引いたか。少し待ってろ。」
結局同じ部屋で寝るなら、出会った時のようにスタッフルームのソファの上で寝させればよかったな、と後悔する。
異世界での三年間の旅の経験から、硬い地面の上で寝ることに俺が慣れていたせいで、ついそのままこの部屋で寝させてしまった。
俺がそう言って立ち上がろうとすると、カエデは毛布から手を出すと、くい、と力無く俺のズボンの裾をつかんだ。
「けほっ。行かないでください……」
そしてそのまま絞り出すように声を出しては、震える瞳で懇願の視線を俺へと向けてくる。
体調も悪く、余計に気が弱っているのだろう。
「あー……大丈夫だ。このフロアから出るつもりはない。」
それを受けては、俺もそう返すしかなかった。
本当は、カエデをスタッフルームに移動させてから外へ風邪薬でも探しに行こうかと思ったのだが。
それならば取り敢えずはもう少しマシな環境でカエデを休ませるかと、俺はカエデの許しを得て男子更衣室を出るのだった。




