百七十八話
萩さんとの会合を終えて、織田さんたちに軽く挨拶だけして部屋に戻る頃には、外では雨が降り出していた。
俺の体が濡れる分には構わないが、この雨の中警戒を続ける自衛官には多少の同情を禁じ得ない。
また、これ以上酷くなるようなら予定にも影響が出るであろうし、明日には止んでくれるといいのだが。
そんなことを考えながら、部屋のドアを軽くノックする。
「……カエデ、いるか?」
いるのはわかっているのだが、そうドア越しに声をかけると、中から「はい!」と元気な返事があって、苦笑する。
勢いよくドアが開かれ、そこには満面の笑みを浮かべるカエデの姿。
「アザミさん!戻っていたんですね!」
「あぁ」
「おかえりなさい、アザミさん!」
「……ただいま」
そのやりとりが何故だか気恥ずかしく、そう遅れて返事をした俺は、部屋に入りながら言葉を続ける。
「まあ、明日の朝にはまた発つ予定なんだがな。空模様が悪かったから一泊って訳だ。現に雨も降り出してきたしな」
「あっ。そうなんですね……」
「流石に他の駐屯地の作業はまだしばらくはかかりそうだ」
一瞬だけ残念そうな顔を浮かべるカエデだったが、さらに続けた俺の言葉に彼女は小さく微笑みを見せた。
察するに、俺が誰かを助けることが嬉しいのかもしれない。
いや、こうして誰かを助けていること、それ自体に"彼女なりの俺らしさ"を感じているのかもしれないか。
もっともそうだとするなら、それは彼女の買い被りに過ぎないと思うのだが。
「他の駐屯地の様子は、どんな感じでした?」
カエデは部屋に置かれたケースからタオルを取り出しながら、そう問うてきた。
「……そうだな。まあ、よく耐えている、と言った感じか。作業をしてきたことで多少はマシにはなるだろうが、とはいえ正直この先はどうなるかはわからんな」
手渡されたタオルに、ありがとう、と応じながら受け取ると、俺はそう言葉を返す。
ある程度防備を固めたとはいえ、他の駐屯地とここでは、単にそこらの車を積み重ねただけの壁とコンテナとで、その頑強さに大きな違いがある。
それを元に自衛隊各自で壁を強化していってもらう手筈だが、それで問題が起きないかは分からない。
また安全圏の面積自体にも差があるので、避難民の数を考えれば将来的に食糧の問題が出てくるだろうことは明らかだった。
もっとも俺の知識からすれば、こちらの駐屯地でさえ、この面積で足りるのかはわからない訳なんだが。
「そうですか……あの、他の自衛隊の方たちは、どうでしたか?」
「ん?あぁ……」
一瞬、彼女の質問の意図がわからなかった。
それは先の質問とほぼ同義なのでは、と思ったが、そんなわけもない。
考えるに、カエデのその発言は、ある意味俺を慮ってのことなのかもしれない。
この世界の理から外れた、俺の力。
こちらの駐屯地にいる自衛隊の面々は、今ではそれに畏怖を抱くことも殆ど無くなってきていると思う。
また俺も彼らに対し少なからず好意を抱いているし、そこには悪くない関係性ができている。
しかし今回遠征した先ではその誰もが初対面で、どういった腹の内を抱えているのかもわからない。
俺に恐怖を抱くだけならばまだいいが、それ以上に何か良くない感情を抱く者がいてもおかしくはないだろう。
とはいえ。
「疲れ果てた様子ではあったが……まあ、概ね、気のいい奴らだったよ。手助けするのに何の躊躇も必要ないくらいにはな」
実際の彼らは、ここの駐屯地にいる自衛官と同じように、"甘っちょろい"連中だった。
それが果たして今の世界で正しいことかは分からないが、少なくとも悪いことでもないだろう。
俺という存在が味方している今ならば、尚更だ。
「それなら、良かったです」
「あぁ。しかし……そんな連中だってことを知って、ふと考えたこともあってな」
「?」
「もし俺がもっと早く彼らに助力していれば、救えた命もあったんだろうな、と」
それは単に、この駐屯地に合流してからという話ではなく、もっと前の段階での話。
言ってしまえば、俺がこの世界に還ってすぐに、この力を包み隠さずにいたらどうなっていたのだろうか、という話だ。
それは、デパートが無法者共に襲われたあの日に思ったことと同じようなこと。
もっとも、今の状況とあの時とでは、俺の後悔の度合いも正直全くと言っていいほど違いはあるのだが。
俺はあの時すでに織田さんに対し、同じ年代で同じような苦悩を持つ彼に親近感と同時に尊敬の念を抱いていたし、そんな彼に対しては全てを明かすべきだったのかもしれないと今となっては思う。
対して今回の話はやはり、異世界での経験からそうは踏み出せない話ではあっただろう。
もしも政府が存在するのであれば、今現在ですら、どう行動していたかは正直分からない。
「あの、えっと……アザミさんは、そんなことで、気に病む必要ないと、思いますよ?」
頭の中であの日のことを思い出していた俺は、彼女にはどう映っていたのだろうか。
カエデは自分の発する言葉が果たしてそれで正しいのか、そんな雰囲気を漂わせながら少し自信なさげに口を開く。
「もちろん、アザミさんがそうすることで、救える命もあったかもしれないですけど。でもそうすることで、救えない命もあったと思うんです。それはきっと私でもあり、織田さんやユキさんやあの避難所の方々。タケルさんやモモさんやあの町の方々。サクラさんたちやナノハちゃんや那須川さんも」
「……」
「そうやって救われた方はみんな、アザミさんに感謝していると思うんです。そして、自分勝手かもしれないですけど、アザミさんに、救ったことを後悔もしてほしくない。だから、そんなことはアザミさんは気にしなくてもいい、と思うんです」
カエデは、俺を慰めようとしてくれているのだろう。
少々の思考は、彼女の目には酷く俺が後悔をしているかのように見えたようだった。
「アザミさんは、凄いと思います。アザミさんが通った道にいた人たちが、救われてるんですもん。だから、そんなこと気にしなくていいんですよ」
「あー……いや、まあ、なんだかすまんな……全く気にしていない、と言えば嘘にはなるが。気に病んでいる、という訳でもないんだ。だが、ありがとうな」
「あっ……いえ……それなら、いいんです、けど……」
彼女に気遣われたこと。
それは不思議と単純に嬉しいことでもあったが、同時に気恥ずかしさのようなものもあり、俺はそうなんとも言えない返事をしてから、礼を述べた。
カエデは自らの勘違いに気付いてなのか、少しだけ顔を赤くして、またも途切れ途切れにそう応える。
「しかし……最後のは大袈裟だろう。通った道にいた人が救われる、なんてのは」
「そんなことは、ないですよ」
羞恥心から苦笑しながらそう付け足すと、カエデは首を振る。
「実際にアザミさんはこれまでそうしてきていますし……それに、アザミさんは自分では気付いてないかもしれないですけど。アザミさんは、ただ誰かを危機から救っているだけじゃないんです。タケルさんやモモさんから聞きました。織田さんからも」
「……」
「アザミさんは、その人の心も、救っているんです。きっと、他のみんなも少なからずそうなんだと思います。もちろん、私だって。あの暗いホームセンターの中で絶望していた私も、アザミさんの優しさに、凄く、救われたんです」
先ほどとは打って変わって、今度は、はっきりと。
自らの発言が当然の真実かのように、カエデは真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。
その瞳に少々気圧され、一瞬だけ視線を逸らす。
彼女の綴った言葉は、俺にしてみれば実際に意識していなかったことだ。
俺は自分を気の利いた人間などと思っていない。
大した言葉なんぞかけられないし、むしろそう言った面では不器用とすら思う。
しかし彼女はそうは思っていないようで、改めて視線を向ければ、カエデはじっとこちらを見つめていた。
「まあ……そうだと、いいんだが」
「本人が言っているんだから、そうなんです!」
その視線に負け、肩をすくめて俺がそう言えば、ぷくり、とカエデは頬を膨らませた。
自信なさげに言葉を発していたかと思えば、今度は自信満々に真剣な表情で俺へと語りかけ、最後は不満げに唇を尖らせて。
カエデのその百面相ぷりは、いつだったかのヘリでの移動中に見た、夢の中のイーリスを想わせた。
あぁ、いや。
思えばその口から発せられた言葉も、似たようなもの、か。
「……?」
それを想い苦笑すると、カエデは疑問符を浮かべながら小首を傾げた。
「いや……異世界でも、今のやりとりと似たようなことがあってな」
「……ふふ。アザミさんは、異世界でも慕われていたんですね」
「さあ、どうだか」
異世界での仲間の姿を想い出しながら、俺はそうカエデに言葉を返す。
考えてみれば、俺はこちらの世界に還ってからは、俺のやりたいようにやってきたつもりだ。
それこそ異世界にいた時とは違い、何も強制されることなく。
しかし何の因果か、今となってはこうして自衛隊の手伝いをして、結果的に多くの人を救うことになっている。
……"そんな資質"が、果たして俺の中にあるのか、それは分からない。
分からないがしかし、もしも本当にそうなのだとしたら、そいつはなんとも"迷惑な話"だ。
『……柳木さん、聞こえますか』
と、そんなことを考えていると、唐突に無線機から声が聞こえてきた。
カエデに向かって断りを入れると、俺は腰につけた無線機を手に取る。
「……あー、こちら柳木。何かあったか?」
『北東方面からグールとゾンビの群れがこちらに移動してきています。自衛隊だけでも対処は可能かと思いますが、念のため、来ていただければと……』
「ヘリの音に釣られてついてきてしまったのかもしれんな……分かった。すぐに向かおう」
そう返事をして無線機を元の位置に戻すと、カエデの方をもう一度見て、口を開く。
「……というわけで、すまんな。カエデの魔力のことやら、話したいことはまだあったんだが……」
「いえ、そんな。全然、気にしなくて大丈夫です」
「なるべく早く片付けて戻ってくる。もしかすると長引くかもしれんが、その時は先に寝ていてくれ」
首を振って、カエデはにこりと俺に笑顔を向けた。
「ふふ、大丈夫です。待ってますね」
「そうか、すまんな」
「いえ。気をつけてくださいね」
「あぁ……ありがとう」
カエデの心配と、また先ほどまで彼女が語ったことに対して。
それら全部をひっくるめて、俺はそう礼を言う。
そして部屋を出ようと後ろを振り向く直前に、ふとカエデの何かを期待したような視線に気づき、俺は動きを止めた。
じぃ、とこちらを見る少女。
彼女は異世界の仲間と同じように、俺に"そんな資質"があると信じて疑っていないようだ。
……まあ、面倒な話ではあるが、多少はその期待に応えてやるとしよう。
今の俺にとっては、それは造作もないことなのだから。
一つ小さく笑みを作ると、俺はカエデの頭にゆっくりと手を伸ばす。
そして、ぽん、と軽く触れるように彼女の頭に手を乗せると、俺は口を開いた。
「それじゃ、いってくる」
「はいっ!いってらっしゃい、アザミさん!」
これにて五章終了でございます!
それもまた、英雄の資質。
六章ではついに……?
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漫画版共々、これからもよろしくお願いいたします!orz




