百七十五話
差し出された手に応えると、それを包むようにもう一方の手が添えられた。
「本当に、感謝する。君が来てくれなければ、どうなっていたことか……」
「あー……いや、なに、大したことはない」
自分よりも年配の男性に、そう礼を言われながら深く頭を下げられたことに、少々のやりづらさを感じて苦笑する。
その俺の気持ちを察してか、隣に立つ青年が口を開いた。
「こちらの駐屯地からの増援は、なるべく早く来るように伝えてあります。それまでなんとか持ち堪えてください」
「那須川さん。えぇ、柳木さんがしてくれたことを無駄にはしませんよ」
男性は頭を上げてから、そうこちらに笑顔を向ける。
その視線に、俺はぎこちなく小さく笑みを返した。
数日間に及ぶ仮の防壁作成は、何度かのゾンビ共の襲撃こそあったが、特に被害が発生することなく終わった。
それほど時間がかからなかったのは、向こうの駐屯地よりもかなり狭いエリアを囲ったからだ。
というより、他の駐屯地へも向かう都合上それほど時間もかけられなかった、と言った方がいいか。
今後はこれを起点にこの地の自衛官が本格的に防壁を作ることになる。
その作業には、俺たちのいる駐屯地からある程度の人数の増援を出す予定だ。
この地の自衛官は逃げ出した者もいるので、さすがに人手も不足している。
当初は、他の駐屯地も含め人手の足りなくなってきている場所の人達は、いっそまるごと俺たちのいる駐屯地に移動してはどうかという案もあったのだが、それは自衛隊側から却下された。
理由としては、まだ無事な軍事施設を放棄することに抵抗があること。
また衛星通信がなんらかの障害で使えない現状、無線を飛ばすためには中継地点を設けねばならず、各地の駐屯地がその役割を担っていること。
そして何より、自衛隊が移動するということは、"その地にまだいるかもしれない無事な一般市民を全て見捨てる"という判断になってしまうということ。
もしかすると理由の中には、知らない避難民に興味がない、と言った俺に対する多少の遠慮がそこにはあったのかもしれない。
合流するのであれば、結果的に俺がその避難民たちのためにも動くことになるのだから。
とはいえ、こうして他の駐屯地に赴いて世話を焼いている以上は同じことではあるし、それは考えすぎなのかもしれないか。
ともあれ、未だ職務を全うしようというある種高潔なその自己犠牲精神に、少々心を動かされたことは事実だ。
もっとも、俺からすれば逃げ出した自衛官たちの気持ちも十分理解できるし、彼らは決して責められるようなものでもないとも思うが。
「それでは、自分たちはこれで。次の駐屯地へ向かいます」
「えぇ、本当に助かりました。そちらも、どうかお気をつけて」
そう言葉を交わしてから、自衛官たちは向かい合い互いに敬礼の姿勢を取った。
そののち、この地の自衛官たちの敬礼が俺に向かう。
少々の気まずさを感じてその応答に迷ったが、彼らの覚悟の決まったような表情を見て、俺はまた苦笑しながら軽く手をあげてそれに応えた。
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「柳木さん。次の目的地まで時間がありますので、遠慮せず休んでください」
ヘリのローター音に混じって、ヘッドセットから那須川さんの声が聞こえてくる。
「ここ数日、一睡もしてませんよね?」
そう言って隣に座る那須川さんが、心配そうな顔をこちらに向けた。
ヘリ内では騒音のため普通に会話は出来ず、マイク付きのヘッドセットをつけての会話となる。
隣にいるにも関わらずヘッドセットから聞こえてくる声に未だ慣れず、その違和感に苦笑する。
彼の言ったことは事実で、俺はあの駐屯地にいる間、常に動き続けていた。
単純にあの防壁作成方法は俺にしかできない作業であったし、安全面からも今後の予定からも、できるだけ早く終わらせたかったからな。
「……まあそうだが。別にこれぐらい、なんともない」
それに返した俺の言葉も、また事実だった。
数日寝ないなんてことは言葉通り、俺にとっては本当になんでもないことだ。
異世界で魔族領を旅していた頃は、いつ敵にやられるかもわからない緊張感をもったまま、休む暇もなく戦い続けていたんだからな。
それに比べたら、ゾンビやグール程度の存在に多少邪魔されるくらいで作業することの、なんとぬるいことか。
「そ、そうですか……それならば、いいのですが」
「あぁ」
そう返事をして、何気なくヘリの窓から外へと視線を移す。
パンデミック発生から約四ヶ月。
町並みこそ以前の形を保っているが、そこに今も生きている人間は何人いるのだろうか。
そこに蔓延っているのがゾンビだけならばまだ可能性もあっただろう。
しかしグールの現れた今となっては、随分と望みは薄いように思える。
銃器を持った自衛隊ですら苦戦する相手だ、一般人では助かる見込みなどほとんどないだろう。
しかしそんな僅かな可能性すらも考慮して、彼らは取りこぼさず救おうと思っている。
自らを、犠牲にして。
「……」
馬鹿げた、話だ。
「……柳木さん、どうかされましたか?」
そんな気持ちが、表情に出ていたのだろうか。
那須川さんが、俺の顔を覗くように視線を向けてきた。
「……いや。まあ、なんだ……あの駐屯地の連中、無事でやっていけるといいな」
考えていたことを誤魔化すように、俺の口から自然とそう言葉が漏れた。
彼は一瞬きょとんとした表情を浮かべてから、破顔する。
「えぇ、そうですね。柳木さんのおかげで、きっと、大丈夫ですよ」
「……」
「都市部からは程遠いあの地域に、あれだけの壁を作れたのですから、そうすぐさま突破されることもないでしょう」
そうだと、いいんだが。
まあ、近辺のゾンビは作業の合間に片付けておいたし、上空から見てもゾンビの数はそれほど多くなかったから、さすがにしばらくの間は大丈夫だろう。
「……みなさん、すごく感謝していました。まあ、別れ際のあの様子を見たら、嫌でも分かってしまうかと思いますが」
そう言って、那須川さんは苦笑する。
その言葉で思い返したのは、別れ際の彼らの姿。
彼らの敬礼の姿勢は、俺たちの乗るヘリが飛んでからも、しばらく続いていたのだった。
「……まあ、あれには、さっさと戻れと思ったがな」
「はは……それだけ、感謝してるってことですよ。もちろん自分たちも常々、そう思っています」
彼の言葉に、他の自衛官たちも俺に笑みを向けてきた。
その視線が随分と面映く、俺はまた窓の外を向いた。
「……それにしても。柳木さん、さっきの言葉、彼らに伝えてあげればよかったのに。きっと、すごく喜んだかと思いますよ」
「あー……まあ、あいつらの言う通り、せっかくの作業が無駄になるのも嫌だしな」
後ろから投げかけるように続けられた彼の言葉に、振り向きもせず、俺は一度頭をかいてそう答えた。
彼らが、無事でいてくれること。
無意識に口をついた言葉とはいえ、いや無意識だからこそ、そのような気持ちが俺の中にあったことは疑いようのない事実だろう。
「……すまんが、やはり少し休ませてもらう。なにかあったら遠慮なく起こしてくれ」
那須川さんがどんな顔をしているのか見ることもせず、話を終わらせるようにそう言うと、俺は腕を組んで目を瞑った。




