百七十四話 那須川恒之 4
深夜。
静まり返る会議室で、自分を含む派遣されてきた自衛官たちと、この駐屯地の上官たちが顔を合わせていた。
「報告には聞いていたが……彼は一体、何者なんだ」
沈黙を破ったのはそのうちの一人。
この駐屯地の最高責任者である、初老に差し掛かろうという男性だった。
その表情には困惑と僅かな怯えが見てとれる。
今更、彼が改めてそんな質問をするのも無理はないだろう。
つい先程。
自衛官たちが夜の警戒を続ける中、予定通り柳木さんは防壁作成に取り掛かっていた。
その最中、グールに引き寄せられゾンビの群れがこの地に押し寄せてきたようだった。
柳木さんの作った防壁はそれらに対しても十分に効果を発揮するものではあったようだが、しかしいかんせんやつらの数が多すぎた。
放置すればいずれは突破もされるだろうし、また防壁が未完成のところもあるので、そこを突かれれば侵入を許すことにもなる。
何にせよ防壁を盾に交戦以外の選択肢はない状況で、柳木さんはその矢面に立った。
読んで字の如く、正しく、一騎当千。
柳木さんは殆どただ一人でゾンビの群れを全滅させたらしかった。
「何者、と言われましても。どう答えればいいか……」
その報告を受けてなのか、彼らは柳木さんに対して畏れを抱いたのかもしれない。
車を易々と持ち上げる怪力だけではなく、目にも止まらぬ速さ、単純な戦闘能力。
おそらくは今いる自衛隊の総力を結集したとしても止められないであろう、圧倒的な暴力。
わざわざ深夜に自分たちを呼び出したあたり、それらを目の当たりにして不安が頭をよぎったのだろう。
「……一つ言えるのは、柳木さんはこれ以上ないほど頼もしい味方だということです」
しかし当然芽生えてくるであろうそんな不安の種は、今となっては、自分たちからは完全に消え去っている。
「いえ、もっと言えば。今のこの世界において、救世主ともいえる存在だと自分たちは考えています」
柳木さんには、返しきれないほどの恩を感じている。
彼は所謂ギブアンドテイクの精神でいるようだが、しかし自分たちのいる駐屯地の自衛官たちは皆、彼に殆ど与えられているだけであると自覚しているだろう。
織田さんをはじめとした柳木さんの仲間たちを守ることなど、彼がその気になれば決して不可能ではないであろうことは、容易に想像がつく。
その時点で、自分たちが彼に何かを与えてやれると考えるのは烏滸がましいにも程があった。
「……ただ。詳しい事情まではわからないのですが、柳木さんは、そう見られることを望んではいません。いや、今日のこの状況も含めて、本当、正しく言葉通り救世主だと思うんですけどね」
そう言って、初老の男性に苦笑を向ける。
それを受けて、彼らは一様に怪訝な表情を浮かべた。
勲章、褒章、それらを誉としてきた我々からすれば、その反応も理解はできる。
でも、柳木さんは。
「……きっと、そんな名誉や栄誉は要らないんです。しかし彼はそんなもの関係なしに誰かを救っている。ただそれだけで、彼は信用に値すると自分たちは思っています」
柳木さんがその気になれば、それこそ今のこの世界においていくらでも自由奔放に振舞うことができるだろう。
彼にはそれをやれるだけの力が、確かにある。
それでも柳木さんがそうしないのは、ひとえに、彼の根っこの部分が酷く善性であるからだと自分は思う。
もっとも、柳木さんがそれを否定するであろうことは、容易に想像がつくのだが。
いやもしくは、彼自身、"自分のやりたいようにやっている結果"が、この現状なのかもしれない。
いずれにせよそんな柳木さんに、何か疑いの視線など向けられるはずはなかった。
黙しながら自分の言葉に耳を傾ける上官たちに、さらに言葉を続ける。
「難点を挙げるとすれば、先の救世主の話もそうですが、少しだけ自分たちとは感性が違うことでしょうか。また自分たちとは違い、少なくとも口の上では、あまり関係のない避難民にも興味はないようで……」
それがどれだけ本心かはわからないが、柳木さんは他の避難民がどうなろうと構わないと以前言っていた。
ただ自分たちあの駐屯地の自衛隊が守ろうとしている避難民であるなら、結果的に守りはするが、と。
彼の中では明確に守る対象に優先順位があって、それが覆されることはないと見ていい。
しかしそれは、人間であれば無理もないことともいえるから問題はないだろう。
大事なのは、その優先順位の中に入ってさえいれば、それに関わる人も結果的に彼は救っているということ。
それを考えれば、柳木さんに対し何の不満があるだろうか。
「ともあれ、不義理を働かない限りは、柳木さんは味方でいてくれるはずです」
そう。
そしてそれだけでなく、これまで与えられた恩に、自分たちは報いなければならない。
果たしてどうすれば報いられるのか、悩ましいところだが。
少なくとも、今やれることは彼との約束を守ること。
正直な話。
自衛官としては失格なのかもしれないが、今の自分には、このまま永久に政府との連絡は途絶えたままでいて欲しいという気持ちがあった。
現状を鑑みれば、突然消えた政府と柳木さんとを比べた場合、気持ちの上では当然天秤は柳木さんに傾く。
仮に政府からの連絡が復帰した場合、我々自衛隊はどう行動するべきなのだろうか。
柳木さんという存在を隠し通せるのだろうか。
「……ですので、以前から話している通り、柳木さんのことは絶対に漏らさないようお願いします」
そう付け加えた言葉に、会議室にいた面々は、神妙な顔でこくりと頷いた。




