百七十三話
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日が落ちかけた頃。
進捗報告がてら、夜のうちにやっておく作業の確認も含めて一度駐屯地へと足を運んだ時だった。
「お疲れ様です、柳木さん」
「あぁ。那須川さんも」
「……いえ、自分たちは、何事もなく」
作戦本部のある建物の入り口で俺を待っていたらしい那須川さんとそう挨拶を交わす。
彼は俺の言葉に、眉を下げながら苦笑した。
彼がそんな態度を取るのも、無理はない。
この駐屯地に俺と共に派遣されてきた自衛官たちは、基本的に危険な作戦への参加が止められているのだ。
それは知らぬ土地での作業でミスが生じてしまう可能性があることと、何より、彼らは俺との重要なパイプ役であると双方の本部が考えているからだ。
後者についてはともかくとして、前者については確かに考慮に値する。
また俺にとっては数人の手があろうがなかろうが大した違いはないので、今回他の駐屯地に手助けに行くと決める段階でそれを承諾している。
「……それにしても。さすがに皆さん、疲れ果てていらっしゃいますね」
二人並んで廊下を歩いていると、早足で歩く顔も知らぬ自衛官とすれ違う。
互いに会釈などしてしばらく、そう彼がこぼした。
この駐屯地に降り立った直後から、それは感じていたことだ。
本部の連中もそうであったように、それだけ、ここの自衛官たちはこの場所を守ろうと死力を尽くしていたのだろう。
避難民たちを守ろうと必死だったということだ。
だからこそ俺はあの時好感を抱いたのであって、また同時に、そんな彼らがグールの出現により被害を被ったことに多少の罪悪感を覚えた。
しかし本部での話によると、彼らの疲労の理由はただそれだけではなかったようだった。
その理由とは、一言で言えば、自衛官の離反。
どうやらグールが現れる以前に、少人数ではあるが、ここを去った自衛官たちがいたらしい。
そのせいで、元々そう多くはなかったこの駐屯地の自衛官たちは、より過酷な状況に陥ったというわけだ。
「職務を放棄して、武器まで勝手に持ち出して離脱するなんて、何を考えているのか……」
那須川さんが憤りを隠せない様子でそうこぼすのを見て、肩をすくめる。
「……簡単な話だ。知らん人間のために命を張るのが嫌になったんだろうさ」
「……」
「職務、だなんていうが、そんなものはもう無いも同然なのはわかっているだろう」
那須川さんを始めあの駐屯地にいる面々、またこの地にまだ残っている自衛官たちが抱いているものは、正しくは、使命感、といったようなものだろう。
何をどう考えればそんな境地に達するものかは到底理解は出来ないが、だがそんな彼らだからこそ俺も力を貸す気になっているのも事実だ。
「知らん誰かの為に危険に身を置くのが、怖くもあったんだろう。それから逃げたくなるのは、何ら不思議なことじゃ無い」
「……」
「……まあ、自衛隊で管理している武器を勝手に持ち逃げしたのは困ったことだが、しかしさすがに無手というわけにはいかんから、難しいところだな」
苦笑しながらそういうと、那須川さんはしばし黙りこくってしまう。
階段を並び歩き、ゴツゴツとブーツが床を蹴る音が静かにこだまする。
「……柳木さんも、そういう経験はありましたか?」
階段を上り終え、本部の会議室のある階に着いたとき、那須川さんがふいにそう小さく言葉を投げかけてきた。
異世界でのことは、カエデには随分と詳しく話していたが、彼ら自衛隊には殆ど話していない。
それは別に絶対に話したく無いとかそういう訳ではなく、単に聞かれなかったから話していなかった訳だが、このタイミングで彼がそんなことを言ってきたことが少々意外だった。
「……」
思い返せば、異世界でのことは、半ば強制的にさせられていたようなものだ。
与えられた使命から逃げること自体はできたかもしれないが、しかしそうなると今度は元の世界には絶対に還れない。
そんな条件のもと、知りもしない異世界の人間種の平和のために、旅をさせられていたんだからな。
「……あるさ、もちろん」
逃げたかったし、怖かったこともある。
ただ、それは最初だけだった。
旅立ってしばらくしてからは、そんな気持ちはどこかへと飛んでしまっていた。
それはきっと、あの三人が共にいたからなのかもしれない。
「……柳木さんでも、そう思うことがあったんですね」
「そりゃあ、な」
俺がそう一言だけ答えると彼はなんともいえない顔をしてから、そうなんですか、と小さく返事をしてまた黙ってしまった。
少しだけやりづらさを感じて、一つため息をついてから俺は言葉を続けた。
「……まあ、守りたいものが出来てからは、そんな感情は無くなったような気もするな」
「柳木さん……」
なんとなしに入れたフォローのようなものに、那須川さんが笑みを浮かべる。
「……とはいえ。那須川さんのように、それが知らん避難民ってのは随分と殊勝なことだなとも思うが」
その視線と、ついぞ自分の口から出た言葉が随分と恥ずかしくなって、俺は頭をかいてそう悪態をついた。




