百七十一話
「ん……?」
深夜。
感覚では、眠りについてから数刻も経っていないだろうか。
隣の部屋から一人外へと出ていく気配を感じて、俺は目を覚ました。
ぽりぽりと一度頭をかいて、少しだけぼーっとした頭で思考に耽ると、ベッドから立ち上がり静かに歩む。
古ぼけた部屋のドアをゆっくりと開けたが、無情にもキィと木の軋む音がした。
足音を殺し廊下を歩もうとするも、そこもキシキシと音を立てそれを拒む。
まあ、サムライのクラスの俺ではこんなもんだろう。
そう自嘲しながら気配の跡を追う。
階段を降り、カウンターに突っ伏して寝る年配の男性の姿を横目で見ながら建物の外に出た。
辿り着いたのは、普段は洗濯物を干したりする時にも使っているのだろう、目線の高さに紐がいくつも張られている建物の中庭にあたる場所だった。
そこに、一人の少女の姿。
空を見るように俺に背を向けて立つその姿は、何処か哀愁を漂わせているように見える。
一瞬声をかけるか迷ったが、どうせ向こうも"気配感知で俺に気づいている"だろう。
わざと少しだけ足音を出して一歩踏み出すと、俺は口を開いた。
「……リンドウ。どうした、こんな夜中に」
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俺の声に驚くこともなく振り向いたリンドウは、その顔に暗い色を宿していた。
どうした、とは聞いたものの、その理由など大方俺にはわかっている。
それを考えれば、彼女がそんな表情をしているのは当然のことだった。
「アザミさん……すみません、起こしてしまいましたか」
「あー……まあ。別に、気にするな」
眉を下げるリンドウにそう言うと、近くへと歩み寄り、肩を並べる。
こうして隣に立つと彼女の背丈も身体つきも年相応に小さく感じられる。
戦闘中でもない、彼女の気分が沈んでいるであろう今は尚更だろう。
まだ幼さの残るその顔つきも、とても"つい昼間に人を殺した"ものとは思えなかった。
僅かな沈黙を挟んで。
ぼそりと彼女が言葉を紡いだ。
「……勇者って、なんなんでしょうね」
「……」
俺たちは先日、立ち寄ったこの町のギルドからある依頼を受けた。
最近この近辺の街道を通る商人が頻繁に盗賊の被害に遭っているらしく、その討伐依頼だった。
被害のあった街道沿いの森林の中を捜索し、俺たちは今日そのアジトを発見した。
リンドウたち女三人を前にして、彼らがその本性をすぐに剥き出しにしてくれたことは、僥倖と言わざるをえない。
洞窟を根城にしていた彼らが、果たしてその被害を生み出していた張本人であったかは分からない。
しかしアジトの奥に捕らえられていた女達がいたことから丸っ切り無罪ということはないだろう。
なんにせよ、俺たちは今日、彼らを殺した。
人間を殺したこと、それは俺がこの世界に来てから幾度目かのことだ。
しかし、俺がそれについて思い悩む段階はとうに過ぎていた。
この世界は"そういう世界"なんだと、もう半端諦めのような感情が俺の中には芽生えていたから。
しかしリンドウやイーリスにとっては違うようで、人を殺めることになるたび、こうして彼女らは罪の意識に苛まれているようだった。
「……ボクは幼い頃から、勇者になるべく修行をしてきました。はるか昔、魔王を討伐したご先祖様の血をひいていたから。ボクもご先祖様のように、英雄になりたいって思っていたから」
「……」
「でもその英雄像は、ボクの想像とは違ってました。魔物を倒すために得た力を、こんなふうに使うことになるなんて」
特に前衛であるリンドウは彼女自身の刃で人を殺めることになるためか、その罪悪感もイーリスより重く感じているようで、これまで何度かリンドウが今日のように一人で外に出ていくのを気配感知で察知していた。
しかし、こうして声を掛けたのは、今日が初めてだったか。
「……まあ。そういうことも、あるだろうさ。世の中は汚いことの方が多いし、思い通りにいかないことの方が多いもんだ。きっとそのご先祖様とやらも、同じようなことをしたんだろうさ」
もう少し、うまい言い方があったのではないかと思う。
いや、彼女の想いを知っていて、どう言葉を並べればいいかわからなかったからこそ、こうして今日まで声を掛けられずにいたのだ。
あげく、声を掛けた今日ですらこんな言葉しか出てこないとは、そんな自分に呆れすら覚える。
唇を噛み締めるリンドウを見て、小さく息を吐く。
まだ少女ともいえる年齢の彼女が、こんなことで悩み苦しんでいる。
少なくとも、元いた世界の、日本では到底考えられなかったこと。
そんな風になるしかなかった彼女を気の毒に思うと同時に、こんな世界を心底くそったれだと思った。
「……まあ、しかし。少なくとも今日は、それで救われたやつらがいる。ギルドのやつらは元より、囚われていた女たちも感謝していただろう。特に彼女らにとってリンドウは、まさしく、お前の想うような英雄だったんじゃないか」
続けた言葉はまだ多少はマシだったのか、きつく結ばれていたリンドウの唇が僅かに緩む。
「それに依頼を達成したおかげで、こうして俺たちも多少はマシな宿に泊まることができているわけだしな」
どうにも似合わぬ言葉を吐いているようで、そんな軽口が自然と続いた。
リンドウはそれに返事をせず、少しの間、沈黙がその場を支配した。
そんなことを言った手前、気まずさを感じながら続く言葉をどうしようかと思案をすれば、リンドウの視線を感じる。
それに視線を合わせ、なんだ、と俺が言いかけるに先んじて、彼女が口を開いた。
「アザミさんは、英雄や救世主なんかに、興味はないんですよね」
「……そうだな」
その言葉に一度頭をかいて、答える。
その話は、ロベリアにしかしていなかったはずだが。
あいつが口を滑らせたか。
「ボクのことを、滑稽だと思いますか?」
「まあ、いや、別に。同じようなやつは、俺の世界にもごまんといた。志は色々だろうがな」
「そうですか……あの。少し前、村の村長さんの家に泊まらせていただいたことがあるじゃないですか」
「ああ」
……なるほど、あの時はそんな話をロベリアと二人でしていたな。
俺がいなくなってからでも話したのか。
「その時、ロベリアさんが結局アザミさんに言わなかったことがあるんです」
「……」
「本当は、ボクたち三人にとっても、アザミさんは救世主なんだって。魔王は、異世界召喚された者の力を借りねば退けられない。そう、伝承にあるから」
そいつは、初めて聞いた話だ。
いや、当然か。
そんな重要な話を、わざわざいうメリットなんざないからな。
むしろ、それを理由に召喚された異世界人が色々と要求をするかもしれないことを考えれば、リスクしかない。
しかしロベリアが思いとどまった話を、結局リンドウは今話してしまったのか。
その無邪気さに少々の呆れを抱きつつ、ひとつ息を吐いた。
だが、まあ。
それを聞いたからといって、気分が悪くなるわけでも、悪いことを考えるつもりもない。
「伝承は伝承だろう。何よりそれをいうなら、俺にとってもお前たち三人は俺の救世主ってことになるだろうな」
そう、それだけの話。
逆に俺一人の力で、魔王とかいう訳のわからないものを倒せるとは思っていないからな。
「しかし、わざわざ救世主扱いもしなくていい。お互い利用しあっている仲間、程度でいいさ」
「……わかりました。なるべく、表には出さないようにしますね」
俺の軽口に、そこでやっとリンドウは、ふふ、と小さく笑みを浮かべる。
そして何か思案しているのか少しの間を挟んで、彼女が口を開いた。
「あの。今日は気にかけてくれてありがとうございます」
「ん?ああ」
「少しですけど、気が晴れました」
何か彼女の中で気持ちの整理でもついたのか、先ほどまでのモヤのかかったような顔つきはなりを潜め、リンドウは随分とすっきりした表情を俺に向ける。
少し遠回りもしたような気がするが、しかし声を掛けた甲斐はあったようだな、と心の中で密かに胸を撫で下ろす。
「……まあ、これからも今日のようなことはきっと何度もあるだろう。その時は、今度からは適当に吐き出してくれりゃいい、付き合うさ」
「はい、ありがとうございます」
「むしろ、今日まで放っといて悪かった。どう言えばいいものかわからなくてな。ま、今日も大したことは言えてないんだが」
「いえ、そんなこと。凄く嬉しかったです」
鼻で笑いながらの俺の自虐に、リンドウは首を振る。
「でも」
「……ん?」
「伝承とか関係なしに。やっぱりアザミさんは、ボクにとって、救世主なのかもしれませんね」
そして、悪戯っぽい笑みを俺に向けた。




