百六十九話
「……なんだか浮かない顔ね?」
薬品と煙草の香りのする部屋に入るなり、椅子に腰掛けた白衣を着た女性が俺を迎えた。
何か作業中だったのか、デスクの上には厚みのある紙束が乱雑に置かれていた。
「あー……いや、これはこっちの都合でな、萩さんが心配するようなことじゃない」
「そうなの?それならいいのだけれど」
俺の様子に小首を傾げていた萩さんにそう言えば、彼女はそのまま納得したようで、特に言葉を続けることもなかった。
……そんなに、顔に出ていたか。
まあ原因はわかっているのだが。
俺は今、作戦終了の報告にここを訪れている。
その前は何をしていたかと言えば、じいさんとタケルとモモを自らの宿舎へと連れて行っていた。
彼らのたっての希望から、別にそれを拒むこともないだろうと思いそうしたのだが。
何にせよカエデにとって同年代のあの二人は今の世の中では貴重な存在であろうし、交流は深めてもらいたいという気持ちもあったしな。
そうしたら、案の定、と言えばいいのか。
"アザミっち"という単語がモモから飛び出すなり、織田さんとカエデには苦笑されるわ、ユキは盛大に吹き出すわで、さすがに気恥ずかしい思いをした。
なんとも言えないやりづらさを感じて、後のことは任せてこうして報告がてら萩さんのところに来たのだった。
……まあ、あの場を離れる際に「いってらっしゃい、先輩っち!」、と言ったユキには後で説教しようとは思っているが。
「……それで。一応自衛隊の方からも今回の報告は聞いているのだけれど。あなたからも色々と話を聞きたいわね」
あの場での羞恥を思い出しながらもおそらくは諦観の表情をしていた俺に、萩さんはそう言葉を投げかける。
一度気持ちを切り替えるように軽く頭をかくと、近くにあった椅子を寄せて俺はそれに腰掛けた。
「そうだな。まずは聞いていると思うが、グールがあの町に現れていた。前に話したが、俺の見立てではやつらの進化には相応の数の人間が必要だと思っていた。だが今回のことで可能性として考えられるのは、進化には全く別の条件があるのか、もしくは、やつらは"人のいる場所を感知できる"かもしれない、ということだ」
「……」
「俺の仮定の話が正解で、単純に今回の件はたまたま、なんてこともあるのかもしれないし、もっと他に何かがあったりするのかもしれないが」
この世界のゾンビやグールについては、全て憶測にすぎない。
それこそロベリアでもいてくれれば何か分かるのかもしれないが、そいつは無理な話だ。
ただ萩さんの話からしても、やはり"この世界の理とはかけ離れた存在"であることは間違いない。
彼女らは実際にゾンビを捕らえ調べ上げ、しっかりと死んでいる、ということも確認していたようだからな。
頬に手を当てながら黙って俺の話を聞いていた萩さんは、一旦足を組み替えると静かに口を開いた。
「おそらく、なのだけれど。一番ありそうなのは、あなたの言う"人のいる場所を感知できる"っていうことかしら」
「どうしてそう思う?」
「そうね……」
俺の問いに、ひとつ、小さく息を吐いて萩さんは言葉を続ける。
「これはこちらからの報告になるのだけれど。今回あなたが出掛けている間、他の駐屯地にグールが現れたみたいなの」
「……」
「実際のところがどうなのかはわからないけれど。常に周辺の様子には気を配っていたみたいで、おそらくは遠くから来たものではないか、とのことよ」
そう言って萩さんはデスクの上の紙束を指でなぞる。
その様子を見て、自然と言葉が漏れた。
「……で、そこの奴らは無事だったのか?」
「あらかじめここほどじゃないにせよ準備はしていたから、そこまでの被害は出ていないそうよ」
「そうか。そいつは良かったな」
「……心配してくれるのね?」
「……ま、多少はな」
何か言いたげな彼女の視線に、肩をすくめる。
当然の話だ。
全滅したなんてことになっていたら、俺がこの駐屯地のような防備を固めていれば、と多少の後悔はする。
赤の他人ではあるが、少なくとも今いる駐屯地の人間と同じ、自衛隊ではあるんだからな。
とはいえ、萩さんの口ぶりからして、この駐屯地のように全く被害なしとはいかなかったのだろう。
それについて思うところがないわけではないが、こればかりは俺の我儘とあわせて割り切るしかない。
俺にとっては、この駐屯地にいる織田さんたちの安全が最優先なのだから。
「取り敢えず。それを加味すると、私としてはその可能性が一番高いんじゃないかと思うわ。ついでに言えば、そもそもグールだけでなくゾンビにもその能力、と言えばいいのかしら、それがあるのかもしれないと思い始めたのだけれど」
「ほう?」
「こればかりは実験なんてしようもないから想像に過ぎないのだけれど。ただ、これまで自衛隊の駐屯地に都合良くゾンビたちが押し寄せたのって単なる偶然なのかしら。確かにやつらは音に反応はするし、銃を撃てば群がるのはわかるのよ。けれど、それだけじゃなく他に要因があってもおかしくないかも、なんて思うのよね」
「……だが、グールはともかく、ゾンビにも、というのはどうだかな」
「……あなたの話では、やつらは生きている人間を呪うようにできているんでしょう?織田さんの所にいた時では人数がそれほど多くはなかった。でもそれよりも沢山の人間が集まっている駐屯地だからこそ、やつらはそれを感知できた、みたいなことはないのかしら」
「……」
「……ふふ。なんて、私らしくないファンタジックな妄想ね。気にしないでちょうだい」
「いや……」
そもそも、ゾンビという存在自体が、彼女のいうファンタジックな存在だ。
人間がいわば生命エネルギーとでもいうようなものを出しているならば、それが多く集まれば集まるだけ反応もでかくなるだろう。
ゾンビ共がそれを感知している場合は、そこにやつらが群がるのは当然のこととも言える。
ホームセンターや警察署が駐屯地のようにならなかったのは、ゾンビ共が感知できるほどには反応が大きくなかったから、というのは考えられない話ではない。
もちろん全て想像につぐ想像の話ではあるが……まるっきり妄想とも、言い切れないのではないだろうか。
しかし、科学者である萩さんが、そんなことを言うとはな。
「ま、グールについてはそんなところだ。何にせよ、やれることは限られている。非戦闘員は結局自衛隊に保護してもらう他生きてはいけないんだからな」
「まあ、それはそうなのだけれど」
萩さんからすれば、それは単に好奇心の面からが強かったのかもしれない。
俺がそう言えば、彼女は少しだけ残念そうに唇を尖らせた。
「……」
しかし、そうか。
他の駐屯地にも、グールが現れた、か。
「どうかした?」
「……いや、なんでもないさ」
考えに耽る俺を見て、萩さんが小さく首を傾げた。
ここでお知らせ!
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皆様どうかよろしくお願いいたします!orz
また漫画版の配信について少々変更がありまして、それと共に活動報告に記載しておきましたので、よろしければご覧ください!




