百六十七話
山間から太陽が姿を現し、目を細める。
本来ならば、視界に広がるのどかな風景に光が差して多少の情緒が感じられるのだろうが、そこにゾンビ共の亡骸が多数転がっていては台無しもいいところだ。
田舎町の気持ちのいいはずの朝の空気も、そのせいでどこか澱んでいるような気がする。
早朝。
特に問題も起きず一夜を終え、予定では今日にも自衛隊から大型ヘリが来ることになっている。
この町の生き残りの住民の数は二百人ほど。
おおよそ、駐屯地の避難民の数は倍くらいに膨れ上がることになる。
おそらくしばらくの間は、俺は食料集めに奔走することになるだろうな。
「柳木さん。それじゃあ、先に休ませてもらいます」
考え事をしていると、昨晩から共に見張りをしていた男性の住民たちからそう声を掛けられる。
見張りに立った当初は、多少俺に畏怖の感情を抱いていたようだったが、それも今はほとんどなりを潜めていた。
見張り中少しの会話を挟んだからなのだろうが、しかしそのきっかけを作ったのは、昨晩のタケルの存在だったのかもしれない。
タケルと話す俺を見て、彼らも俺に歩み寄ってみようと考えたのではないだろうか。
「あぁ、いや。助かったよ、ありがとう。ゆっくり休んでくれ」
そう挨拶を返せば、彼らは軽い会釈を交えながら屋上を出ていった。
……さすがにまだ、全てを拭い切れるほどでもないか。
そう小さく息を吐いて持ち場に戻ろうとすると、そんな俺の心を見透かしたような言葉をかけられる。
「ま、そのうち慣れるだろうて」
「……じいさんは、慣れすぎのような気もするがな」
見張りの交代要員として先程他の男性住民たちと屋上にきたモモのじいさんだった。
心を読まれて少々気恥ずかしい気分になった俺がそう返すと、じいさんはくつくつと笑う。
「未だにあの光景を思い出すとな、笑いが止まらんのよ。年甲斐もなく胸が踊って仕方ないからな」
「……まあ、まだまだ元気そうで何よりだが」
武術を極めんとする性からなのか、じいさんは本心でそう思っているのだろう。
畏怖など感じる前に心が高揚しているのか、考えてみればむしろ以前よりも多少馴れ馴れしくすら思う。
そんなじいさんの態度に、駐屯地に着いたらまた手合わせしてくれなど言いかねないな、と思いつつ苦笑する。
「それにしても。以前別れる前に、こんな町におる器でもないかと言ったが、まさしくその言葉通りだったとはな」
「……そんな、だいそれたもんじゃないさ」
「謙遜するようなことでもあるまい。昨夜、那須川君が言っておったよ。柳木君がいなかったら駐屯地もどうなっていたかわからないとな」
「……」
「彼自身散々助けられ、物凄い恩義を感じておった。タケ坊とモモのことだってそうだ。そして今も、こうして町の皆に手を差し伸べてくれている……こう言っては何だが、あの晩酌の日に言ったように、やはり柳木君は、優しいんだな」
「……気のせいだな。言っていただろう、別にこの町の住民を救出しにきた訳じゃあないと」
「くくっ。ま、そういうことにしておくよ」
そう笑うと、じいさんは一度学校の屋上から周辺を見渡したのちに、遠くにある自らの道場のある方角に視線を移した。
ここからでは普通の人間にはただ山の一部としてしか映らないであろうが、じいさんはその一点へと遠い目を向ける。
そうしてからしばらく、ひとつ小さく息を吐いた。
「……しかし、この町を離れることになるとはの」
「じいさんがそれを言うか」
その言葉に、皮肉るように小さく苦笑する。
生まれ育ち、長くを共にした町と離れたくないという気持ち。
そんな気持ちから、今回の移住計画に乗らずにここに残りたいというものが僅かだが存在した。
どうせ老い先短い身だからと。
しかしそんな者も含めて強く説得したのがじいさんだった。
「わしも人並みの感情くらいはあるのよ」
「別に、否定はしないが。ま、あいにくと俺には全く理解出来ない感情だがな」
先の俺に対しての言葉への仕返しに、もう一度そう皮肉を言ってやる。
少し恨めしそうな視線を送るじいさんから、俺はふいと視線を外した。
そんな感情があることくらいは、ちゃんと頭では分かっている。
だが俺にそれを言う資格などありはしなかった。
じいさんの抱く感情の元である時間の長さこそ無いが、短くとも濃密な時間を過ごした仲間たちとの日々。
今の俺にとって強く心に残るものだが、しかしそんな仲間たちと、あの"くそったれな世界"ごと別れた俺が、気持ちはわかるなどと言えるわけもない。
「……悪いが、いつか戻れる日が来るかもしれないさ、なんてありきたりな言葉も言ってやれん」
「柳木君がそう言うのであれば、そうなのだろうな……」
じいさんはそう言って、小さく息を吐く。
俺が異世界から還ってから数ヶ月が経った今も、何故世界が変わってしまったのか何も分かっちゃいない。
一番その手の情報を持っていそうな自衛隊とそれなりの関係性を持っているのにも関わらず、だ。
以前の世界でのことならいざ知らず、こんな状況では、口が裂けてもそのような慰めの言葉は言えたものではないだろう。
「しかし、柳木君は達観しとるの。戻りたい場所の一つもありはせんか」
「……あぁ」
そう言われて頭に浮かんだのは、異世界のこと。
勿論、あそこに戻りたいなどとは露ほども思わないが、しかし多少の思い入れはあった。
戻りたくはなくとも、仲間たちと再会出来るならしたいという、そんな自分勝手な気持ちが。
もっとも、それこそ先の言葉以上に、無理な話だ。
ゾンビ化の原因がわかり、ゾンビ共を全て駆逐出来ればこの世界はいずれ元の形を取り戻すかもしれないが……異世界の仲間たちのこととなると流石にな。
「……さて。早ければ昼には迎えのヘリが来るだろう。俺はちょっとそこらを回って、残ったゾンビ共がいたら片づけてくる」
少しばかり感傷に浸ってしまい気まずくなってしまった俺は、そう唐突に切り出す。
じいさんは一度訝しげな視線を向けたが、しかし特に気にしなかったのか、素直に頷いた。
「……そうか、分かった。必要ないかもしれんが、気をつけてな」
「あぁ、何かあったらすぐに連絡してくれ」
そう言って、俺はフェンスを飛び越え屋上をあとにした。
 




