百五十七話
「あっ、先輩」
「アザミ、さん」
萩さんの研究室から自室に戻れば、ユキとカエデが俺を迎えた。
二人は平静を装ってはいるが、表情は少々暗い。
それは検査結果からなのか、それともそれを聞いたであろう俺の反応を鑑みてのことなのか。
「すまんが、ユキ。少しカエデと二人で話がしたいんだが、いいか?」
そんな二人の様子に、出来る限り優しい声色で俺がそう言うと、ユキは口を開きかけるが、声を発することなくその口を閉じた。
一度唇を尖らせてから、隣にいるカエデの頭をぽんと撫でると、その耳元で何か小さくつぶやいて立ち上がる。
「後で私の話も、聞いてくださいね」
「あぁ」
そう言ってユキは、じゃあまたすぐ後でね、とカエデに声をかけ部屋を出ていく。
ドアの閉まる音がして、カエデが俺の様子を伺うように、何度か視線を向ける。
部屋の中には、少しの間、気まずい空気が流れた。
「……いつからだ?」
その問いに、ぴくり、とカエデが小さく身体を震わせたのがわかった。
「自分の変化に、今日まで気づかなかったわけではないんだろう?」
カエデは、最近妙に重いものが簡単に持てるようになった、と検査中萩さんに言ってきたらしい。
それで萩さんは取り敢えず駐屯地内にある測定器で、彼女の筋力を調べたのだそうだ。
そしてその数値は、握力は60kg、背筋力は200kgを越えていた。
それは現実的にあり得ない、という数字ではないが、しかし20代の男性の平均値を大きく超えている。
言うなれば女性のその道のトップアスリートが出すような数字で、中学を卒業したばかりの、華奢なカエデが到底出せる数値ではないだろう。
「おかしいなって思ったのは、本当に、ごく最近なんです。腕の、噛み跡を見られた時だったんです……」
カエデの話によれば、あの日作業をしていた時、まさにすっ転んだその時に、自分の力を自覚したそうだった。
そばにいたユキから見れば、無理して重いものを運んだ結果そうなった、と思われていたものだが、彼女自身からしてみれば、どうやらそうではなかったらしい。
重さ自体はそうでもなかったと感じたが、何故だか足がふらついた、と。
「今思えばデパートにいる時から、もしかしたら兆候はあったのかもしれません。ユキさんと作業している時に、そう言われたから……自分では全然、意識できていなかったんですけど……」
彼女のその言葉に、嘘はないだろう。
そもそもそれほど重いものを持つ機会などデパートでは無かったことだ。
この駐屯地でも、例のカエデにちょっかいをかけてきていた青年が張り切って、大抵は率先して物を運んでいたようだから、それに気付ける機会も少なかったのだろう。
「……なるほど。しかしそれならそうと、何で今日まで言わなかった。話す機会なんかいくらでもあったろう」
一つ息を吐いてそう言うと、カエデは唇を結んで俺を見上げた。
僅かに震えた瞳からは、おびえのようなものが見てとれて、少々胸が締め付けられる。
ユキを退室させたことから、俺が怒っているとでも考えているのだろう。
「……怖かったんです。自分の変化に気づいた時に、もしかして私は、半分、感染者になってしまっているんじゃないかって……」
ゾンビがその身体能力も普通の人間より強化されていることを、カエデは知っている。
それならば、彼女がそのような想像をしてしまうことに納得は行く。
そしてそれを打ち明けた時に、その後どうなるかと言う心配をするのも無理はない。
完全に隔離されるだとか、放逐されるだとか、皆に恐れられるだとか……いずれ、ゾンビとなってしまうのではないだろうか、だとか。
なんにせよ、そんな様々な良くない想像が頭をよぎったのだろう。
「でも、それは凄く、自分勝手なことだって気付いたんです。ごめんなさい……怒って、いますか?」
カエデが今日、あんな覚悟を決めたような顔をしていたのは、そう言う意味だったのかと今更ながらに理解した。
彼女は以前デパートで、一度死ぬことを覚悟した。
だがエリクシールによってゾンビ化を防ぎ、取り敢えずはまた元の生活に戻ることが出来た。
彼女は心底、ほっとしたはずだ。
しかしだからこそ、その絶望がまた垣間見えた時、深く思い悩んだのだろう。
もしかすると、彼女がずっと俺と同じ部屋でいたがったのは、心の奥底でどこか自分の変化を感じ取っていたが故のことなのかもしれない。
「……ごめんなさい」
言葉を発さずにいた俺に、しおらしくカエデが再度謝罪の言葉を述べる。
俺はもう一度息を吐くと、目を瞑り、軽く頭をかいてからカエデへと視線を向ける。
首を垂れて小さくなった彼女に近付いて、腰を下ろした。
「別にいい、とは今回ばかりは言わないが。しかし俺が言っているのは、何でその気持ちも含めて、俺に話してくれなかったのか、ってことだ」
その言葉に、カエデがおそるおそるおもてをあげる。
「自分の変化に気づいて、それが怖かったのなら、それごと俺に言えばいい。不安があるなら全部俺に話せばいい。どうであれ、俺はカエデの味方なんだ。あの時のように、何か解決策を見つけてやるさ」
「っ……」
カエデは一度俯いてから、じわりと潤んだ瞳で俺を見上げた。
その様子に、俺は彼女の頭に優しく手を置く。
「それとも、俺はそんなに頼りにはならないか?」
そう言うと、カエデはふるふると首を振っては、服の袖で顔を拭った。
その頭をぽんぽんと撫でてやると、彼女は鼻を啜り、口を開く。
「アザミさんは、とてもとても、頼りになります。でも、ご迷惑では、ないですか……?」
「迷惑なんてないさ。言ってたろ、遠慮なんてしなくていい。だから、今度からはちゃんと何でも相談してくれ。約束だからな?」
「……はい」
言い終わり、カエデが力強く頷くのを見て、俺は彼女の頭から手を離した。
カエデが顔を少し赤く染めながら名残惜しそうにするのを見て、また自分の今言ったことを思い出して、少々気恥ずかしさのようなものを覚え、一度頬をかく。
カエデに今伝えたことは紛れもなく俺の本心だ。
こんな世界になったと知って初めて会った人だからとか、異世界の仲間のイーリスに似ていたからとか、そんな理由から来ているものなのかもしれないが、何故だか俺は彼女の力になってやりたかった。
彼女を支えてやりたいと思うのだ。
それはもしかすると、父親が我が子に抱くような感情なのかもしれない。
勿論、両親を亡くしたカエデにそんなことなど言えるわけもないが。
いや、そんなカエデだからこそ、俺はそう言う気持ちを抱いているのかもしれなかった。
じっとこちらを見るカエデの視線に気づいて、そんな気持ちを隠すかのように、小さく笑みを向けた。
……さて、あとは、本題に移るとしよう。
「……それで、カエデの今の状態の話なんだがな」
「っ……はい」
つい今しがたの雰囲気はどこへやら、その言葉でカエデはまた姿勢を正し、ごくりと喉を鳴らした。
彼女の先程の話を聞いて、俺の中で一つ思い当たることがあった。
彼女は自分がゾンビになっているのではないか、という心配をしているが、その可能性は薄いと言える。
何故なら俺の"常在戦場"の気配感知ではカエデは間違いなくアンデッドなんかではないし、それにもしゾンビ化し始めているのだとしたら、カエデは弱っていて然るべきだがそれも無い。
むしろ、以前よりも体調はずっといい、というようなことも言っていたはずだ。
そして急激な力の変化、力を入れた時の足のふらつき。
そいつは、過去に俺も経験したもの。
すなわち、異世界に転移して間もなく、魔力を手にした俺が体験したものだった。
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