百五十二話
「……条件、ね。何かしら?」
隣で不安そうな顔を覗かせるカエデを尻目に、萩さんと視線を交える。
先ほどよりも僅かながらに敵意の上がった彼女の視線を受けて、俺は口を開いた。
「まず大前提として、これから見せること、話すことについては、他言無用にして貰いたい。そっちのことはよく知らんが、研究チームなんかもおそらくはあるんだろうが……取り敢えずは全て、俺が許可を出さない限りは話すことを禁止する」
「……」
「まあ、それだけ守ってくれれば問題はなさそうなんだが……そうだな、あとは一応、この件に関しては基本的に俺の言うことには全て従ってもらいたい」
「……随分と横暴ね」
俺の言葉を聞き終え、彼女は眼鏡の奥の瞳を細めて、大きく息を吐いた。
そして一度ちらりと那須川さんに視線を送ってから、足を組み替えるとそこに肘を乗せて頬杖をつく。
僅かな時間、部屋の中に沈黙が訪れた。
「……いやだと言ったら?」
ぼそり、とその沈黙を破って萩さんが言う。
何処か楽しそうに、ほんの少し口元を緩めながらのその問いに、俺は答える。
「正直な話、飲んでもらわないと少々困るな。仕方ないから、何も見せず、何も話さない、ということにするしかないだろうな」
「あら、あんな騒ぎを起こしておいて、それで済むかしら?」
「……そいつに関しては、すまなかった、という他ない」
隣にいるカエデが申し訳なさそうに下を向いているのがわかって、その頭に一度優しく手を置く。
当初はカエデの腕の傷跡について、他の避難民に見られることのないよう何かしら対策を講じようかと思ってはいた。
だが例えば腕に包帯を巻いたとして、例えば袖が捲れないようにリストバンドでも袖の上からつけたとして、どうしてそんなものを付けているのか、と余計に目立つことになるだろうと思ってただ長袖を着るにとどめていた。
暑い夏に長袖を着るのも普通に考えれば少々不自然ではあるが、ゾンビがいると言う今の世界でのことだったり、単純にあまり肌を露出させたくないという女性の気持ち所以のものだったりと、それだけなら納得もしやすいだろう。
正直、長袖を着ていれば、不注意で腕まくりをした、だなんてことをしない限りは別に見られることもないだろうとたかを括っていた。
しかしまあ、結局思わぬことで明るみに出てしまったわけだが、これについてはこちらに責があることは事実だ。
もっとも、それでカエデのような子供を責めるつもりなど毛頭ないが。
「……例えばこちらの言うことを聞かないと、この駐屯地を出ていってもらう、って言ったらどうするかしら?」
「萩さ……」
「黙って」
続けて放たれた言葉に、那須川さんが声を上げようとしたのを、先の騒動の場のように彼女はそう言って遮った。
だがその時と違うのは、彼女のその表情。
先程からひしひしと感じられる、その内に宿るであろう感情を隠すことなく、最早彼女はその顔に笑みさえ浮かべていた。
「そう言われたら、ここに何人残りたいかは聞いてみないとわからんが……まあ、少なくとも俺とカエデは出ていこう。カエデはそれで構わないか?」
「あの、はい。アザミさんがよければ、アザミさんについて行きたいです……」
「……だ、そうだ」
普通であれば多少は迷いを抱いても良い場面であろうが、カエデは間も置かずにそう答える。
萩さんから見ればまだまだ幼いであろうカエデが、一瞬の躊躇もなく、不安げな表情ひとつ見せずそう言ったことに、彼女がその目を見開いたのが分かった。
反面、那須川さんはその表情を崩すことはない。
事情を知っている彼からすれば当然の反応かもしれない。
「そう。それじゃあ……私の負けね」
ふーっ、と大きく息を吐いて、彼女はそう言う。
しかしそんな観念した様子を見せながらも、彼女は面白おかしそうに笑みを浮かべていた。
「那須川さんもさっきからずっと、そんな困った顔しているんだもの。まるであなたにここを出ていって欲しくないみたい」
「……どうだか」
「ふふっ。とにかく、条件は飲むわよ。それで、いいかしら」
彼女のその言葉は、おそらくは本当だろう。
敵意などすっぱり消えていて、そこにあるのはただただ興味本意のものであるように思える。
もっとも今となっては、それが果たしてカエデの傷跡に向けられたものであるのかは、甚だ疑問ではあるが。
「ああ。それじゃあ、カエデ」
「あっ、はい」
俺にそう言われて、カエデは着ている服の袖を捲り上げた。
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「……それにしても、面白い話もあったものね。いまだに、信じきれないわ」
手に持ったコルクで栓をされた空き瓶を透明な袋にしまうと、それをデスクの上にあった箱に入れてから、萩さんはそう言った。
薬品と僅かにタバコの匂いのする部屋の中には、俺と萩さん二人きりだった。
「約束さえ守ってもらえれば、信じなくても構わん」
先程カエデの腕を見せ、そしてその傷を治した経緯を説明すると、彼女はまず最初は、からかっているのかと間に受けなかった。
だが那須川さんがその表情を変えずに、異世界の存在がどうであれ俺には特別な力があるのは事実である、と言うことを説明すると、彼女はその話を受け止めるしかなかったようだった。
海上コンテナを人力で運ぶ、と那須川さんに言われた時の彼女の引き攣った顔は、その第一印象とのギャップで笑ってしまったくらいだったな。
その後は、カエデの傷を治したものの空き瓶があるのであれば調べてみたい、と言われたので、カエデと共に部屋の方に戻り、今に至る。
最初はカエデの身体を精密に調べたい、と言われたのだが、それについてはまだ保留すると断っておいた。
カエデ自身はそのことに肯定的ではあった。
俺もそれ自体は悪いことではないと思うし、何より彼女の気持ちを尊重したい気持ちもある。
しかし今日会ったばかりの萩さんにカエデを好き勝手されるのは、さすがにまだ不安の方が強い。
だからその代わりにこうしてエリクシールの空き瓶を持ってきたと言うわけだ。
「まあ、信じるしかないのだけど。それは、自衛隊があなたを離したくないはずよね」
萩さんの言葉に首をすくめる。
確かに、自衛隊からすれば俺の戦力は惜しいだろう。
今回の駐屯地周辺に壁を作る作業も、俺無しであったならばそう簡単には出来なかったことだろうしな。
「それにしても。ここの自衛隊は、随分とお人好しよね」
「……どういうことだ?」
お人好し、ということについては同感だが、含みを持ったような彼女の言葉に、首を傾げた。
「さっきの騒動のことよ。避難民に言われっぱなしなんだもの」
「……立場もあるだろうから、仕方ないんじゃあないか」
「柳木さんは知っていたかしら?もう、何ヶ月も政府からの連絡がないの」
「あぁ、その話は聞いている」
「それなら話が早いわね。つまり、もう国自体が無くなってるのと同じようなものよ。そんな中、自衛隊が文句の一つも言わずに避難民を守る、なんて馬鹿げてるわ」
言いたいことは分からないでもない。
国に属する自衛隊が、国から給料を貰って自国民を守る、それは当然の話。
今は、それら全てがない。
しかしだからこそ、そんな状況下で聞いた那須川さんの想いに俺は胸を打たれたのだ。
「まあ、国から任された仕事の流れで、ちょっと偉い立場にいる私が言えたことでもないのだけど。でも、私は医者の真似事も出来るくらいには有能だから」
「……そいつについては、知らんが。しかしなんだ、ここの自衛隊、ということは、他の自衛隊はまた違うということか?」
その言葉に疑問を抱いて俺が聞くと、彼女は何か不服なのか一度唇を尖らせてから、口を開く。
「そうね。少なくとも、私が昨日までいた所では、"さっきのように"していたわ」
「……」
「だって、必要ないもの。資源にだって限りがある。文句を言う避難民なんて、要らないと思わない?」
「……まあ、気持ちはわからないでもないが」
「勿論、別にただ避難してる人を追い出したりなんかしてないわよ。少なくとも、最低限の人道は守っているつもり」
彼女の言葉に、そいつは結構、と一言だけ返すと、しばし部屋の中に沈黙が流れた。
果たして向こうが特殊なのか、ここが特殊なのか、それは分からないが、少なくとも自衛隊は全てが同じような想いで動いているわけではないようだ。
その辺りは那須川さんが以前言っていた、その駐屯地の最高責任者の意向で動いている、という所なのだろう。
しかし、それほどに違いがあるとは。
俺としては、彼女の言っていることについて、同意できる部分は多分にあった。
それは誰も受け入れないモモのじいさんの所や、この駐屯地のように誰でも受け入れている所とはまた違う、一つの形であろう。
織田さんのところはこの駐屯地と同じような場所であったとは思うが、まあたまたま避難してきた人達がある種理想的な人達だったから、こんな問題は出てこなかっただけとも言える。
その形は、ある意味、少し前までの俺の考えと似ている部分があるようにも思う。
自分の好きな、守りたいものだけを守る、というその気持ちに。
だが彼女の話を聞いて、ふと嫌な想像が頭をよぎった。
普通の人間にとっては、文句があるなら死んでくれ、とほぼ同じ意味であろう言葉は、果たして避難民にどう届くのだろうか。
なにかしらの行動の先にその言葉があると知っている、避難民の胸中はどのようなものなのだろうか。
彼女の語った自衛隊は確かに避難民を守ってこそいるが、それによって避難民を縛り付けていると言えなくもない。
それは以前俺が那須川さんやナノハを守るために殺したあの青年達と、その中身に違いこそあれ、似ているものでもあると思う。
命がかかっているとあれば、言うことを聞くしかなくなるのは当然のこと。
その根っこにあるのは、力による統治。
今の世界で、そんなコミュニティは数多く存在するのだろうと思う。
そして、最初はある程度はまともであっても、それが増長したときには、いずれあの青年達のようなものになるところもあるのではないかとも思った。
まあ、勿論よりにもよって自衛隊がそんなことになるとは、思いたくもないが。
「……どうかしたの?」
「いや。まあ、なんだ。先のはそう言った理由で、あんなことを言ったわけだったんだな。そういえばまだ礼を言っていなかったな。一応、礼は言っておこう」
「ふふ。自衛官二人が、なんだかあなた達のことを特別視してるみたいな感じだったから。勘が当たってよかったわ」
正直、彼女のあの場での行動は、少なくとも俺自身の気持ちの上では、多少胸のすくような気持ちだった。
俺はあの避難民の青年なんかよりカエデの方が余程のこと大事であるし、そもそも今となってはカエデの口から語られた彼の行動自体にも好ましくない思いを抱いているからな。
だからこそ一度俺は彼女にそう言ってから、言葉を続けた。
「しかし。代替案がなかったのにこう言うのもなんだが……俺はデパートの面々と、元からいる避難民との軋轢は望んでいない」
「それについては、悪かったわ。なんとか、するわよ」
そう言いながらも、ちっとも悪びれた様子もなく彼女はそう言う。
「……まあ、何かあてがあるのなら、一度相談してからにしてくれると助かるな」
彼女のその表情に、俺は大きくため息をついた。




