百三十四話
マンションの屋上に、ゆっくりとヘリが降下していく。
人生で初めてのヘリへの搭乗は、本来であれば多少はテンションの上がったものとなっていただろうなと思う。
ゾンビ溢れる世界となった今は、そんな気分など湧いて来るはずもないが。
屋上には、那須川さん達がいた。
マンションを出て駐屯地に向かう前に移動させておいたのだ。
俺は駐屯地の防衛線手前までダンプで移動した後に、そこまでの道中でついて来てしまったグール共を見えない場所で片付けてから、念の為血に塗れた服も一度着替えて、自衛隊と合流した。
やつらを引き連れたままではスムーズに合流など出来るわけもなく、それがきっかけで彼らが被害を被ってしまっては目も当てられないからな。
自衛隊への那須川さんらの説明は、動画を見せた。
スマホで撮影して、那須川さんに状況を説明してもらっていたのだ。
見ず知らずの俺が、すぐ近くに自衛官を含む要救助者がいるからヘリを飛ばしてくれ、などと言ったところで信じてもらえるかなどわかったものでは無かったからだ。
正直な話、このような準備をしてもなお、自衛隊がヘリを飛ばしてくれるかどうかは俺は半々だと思っていた。
だが意外なことに、彼らはすぐに動いてくれた。
那須川さんはこれならきっと大丈夫だと言ってはいたが、俺は自衛隊のその行動の早さに驚かざるを得なかった。
思っていた以上に、彼ら自衛隊は国民を守るという使命に注力しているのかもしれない。
ヘリが無事に屋上へと着陸すると、共に乗っていた自衛官と那須川さんは敬礼をしあって、その顔に笑みを浮かべた。
「那須川さん、ご無事でしたか」
「はい……ですが、あちらの駐屯地は、墜ちて、しまいました」
「……らしいですね。すでにこちらにたどり着いた者達からも聞きました」
「本当ですか?!」
どうやら行方の分からなかった那須川さんの同僚も何人かは無事だったようで、那須川さんは瞳を僅かに潤ませ、眉間に皺を寄せた。
「ええ。詳しい話は駐屯地の方で。とにかく無事で良かった。そちらの皆さんも無事で何よりです」
積もる話もあるだろうが、彼らはそこで話を切り上げサクラ達をヘリへと案内する。
全員を乗せ終わると、ヘリは再び飛び立った。
……これで、役目は終わりか。
後は、向こうに着いたら彼らにデパートへの救援を頼むだけだ。
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ヘリでの移動は問題が起きることなく終わり、全員が駐屯地へと無事に辿り着いた。
「柳木さんが動画を見せてきた時は驚きましたよ。マンションの屋上に本当に皆さんがいたのを見た時はもっと驚きましたが」
ヘリポートを徒歩で移動中、共にヘリに乗っていた自衛官が気さくな笑顔を向けてくる。
「動画では、柳木さんもヘリに乗せてくるように、と言っていましたが、何か理由があったのですか?」
「あぁ、いや。ナビはあった方が良いだろうしな。後は皆が心配だっただけだ」
「そうなんですか。それは人が良い」
本当は何かアクシデントが起きた場合に俺がいればなんとかなるだろうというためと、後は"本当に自衛隊が救助に向かうのか"が少しだけ心配だっただけなのだが。
しかしそんなものはまさに杞憂というに相応しい、要らぬ心配であったというのが分かる。
合流してからヘリポートへと向かう途中、駐屯地内部に入り、実際に多くの避難民がいることを確認し、そしてこのヘリを出す行動の早さ。
彼らもまた、那須川さんと同じような志を持った人々ということなのではないだろうか。
もっとも今回は距離も近いし、同じ自衛隊員の那須川さんがいるから、というのもあるのかもしれないが。
「……那須川さん」
その本当の答えは、これから分かるだろう。
俺の言葉に、那須川さんはコクリと頷くと、共にいた自衛官に向かい口を開く。
「その、本部に、お願いがあるのですが……」
「那須川さん、どうかしましたか?」
「そちらの、柳木さんの仲間達の救援に向かっていただけないかという話なのですが……」
そうして、那須川さんはあらかじめ伝えてあったデパートにいる面々のことを自衛官に話した。
自衛官は那須川さんの話を真摯な態度で聞いてはいたが、僅かに渋い表情を浮かべているような気がした。
それも当然のこと。
さっき那須川さんやサクラ達を救助しに向かった場所とは距離が違いすぎる。
また人数だって向こうは30人程いる。
燃料事情などが実際どうなのかは知らないが、この状況下ではいそうですかとすぐに向かえるものでもないだろう。
「お願いします。自分達は、柳木さんに凄くお世話になったんです」
「わ、私達からも、お願いします!」
那須川さんやサクラ達が頭を下げるのをみて、自衛官が困り顔で俺を見る。
彼に決定権があるわけではないだろうから余計にそんな反応にもなるだろう。
「……よろしく頼みたい」
「皆さんの気持ちはわかりました。まずは本部に掛け合ってみましょう」
そう言って自衛官は無線機を手にすぐに連絡を取り始めた。
……俺だけがこの駐屯地に足を運びデパートの話をした場合、例えば彼は今のようにすぐに動いてくれただろうか。
どこの誰かもわからない一避難民である俺の話で、遠い距離のあの場所までヘリを飛ばす相談など、すぐにしてくれただろうか。
それを考えると、俺があの日偶然那須川さんとナノハを助けたのは、良かったことだと思う。
自衛隊という組織が、今の状況下でどのようなスタンスで動いているのかも、那須川さんの話である程度はあらかじめ把握出来たことだしな。
そんなことを考えながら自衛官の様子を窺っていると、無線で通信を繰り返すうちに、その顔色がみるみる変わっていくのがわかった。
何やら焦った様子のその顔色に首を傾げる。
「……どうかしましたか?」
那須川さんもおかしいと感じたのだろう。
周囲にいた他の自衛官達も何やら慌ただしく動き始めたのをみて、そう口を開いた。
「あぁ、いえ。取り敢えず、先程の件はもう少し待っていただいて良いですか。まずは他の係のものと交代しまして、駐屯地をご案内します。那須川さんは私と一緒に来てくれますか」
「あー、それなんだが。時間がかかるようなら、すまんが俺はまた外に出させて貰いたい。少しやることがあってな。那須川さんにデパートの場所は伝えてある。彼から場所を聞いて救助を送ってくれるとありがたい」
自衛官の言葉を聞いて、俺はそう切り出す。
何があるのかは知らないが、すぐに救助が出せないのであれば、取り敢えずは俺は一度デパートに戻りたかった。
昼間だろうが関係ない、全力で戻ればそう時間もかからず向こうに着けるだろう。
グールが現れた今、彼らの無事が心配だ。
大丈夫だと思ってはいるが、呑気に施設の案内などはさすがに受けてはいられない。
那須川さんに任せておけば要請は大丈夫であろうし、彼で無理なら俺がいたところで同じだろう。
「申し訳ありませんが、それは認められません」
「……何故だ?」
「……危険だからです」
「まあ、今はやつらが走りだしたんだからな。だがもしそれで俺が勝手に死ぬ分にはいいだろう」
一度、言葉に詰まり、自衛官は再度口を開く。
「柳木さんが一人でここまで辿り着いたのも知っていますし、那須川さんからの話で自信がおありなのは分かりましたが、それでも、少なくとも、今は認められません」
「……今?」
彼が、単純に俺の身を案じてそう言っているのは、敵意感知で理解していた。
ただ、その口ぶりに少々の違和感を抱く。
「ええ。それでは、私はこれで失礼させていただきます。那須川さんも、こちらに」
先ほど言っていた別の女性の自衛官がやってきたようで、彼はその場を立ち去ろうとする。
彼もまた何やら慌ただしくその場を去ろうとしたが、しかし那須川さんはその場から動かずにいた。
「……待ってください」
「那須川さん。気持ちはわかりますが、今は、時間が惜しい」
振り向いた自衛官のその言葉に、確信を得たかのように那須川さんは目を見開いた。




