百三十三話
部屋の中は、沈黙に包まれていた。
外での大立ち回りを終えて、俺達はすぐ近くにあったマンションの一室に移動して来ていた。
先程の状況は、力を見せることにはなったが、那須川さんやサクラ達を守る上では、そう悪い状況ではなかった。
ワゴンの周囲全てを常に守るのは流石に骨が折れるが、横転したことにより"側面が窓ガラスでは無くなった"からな。
基本的には前後を守れば良いだけとなり、また後方はサクラにカーテンで塞がせた。
念のため何度か後ろの奴らも倒したりはしたが、殆どは俺の方へとまっすぐ向かって来てくれたから、やりやすかった。
あの、走るゾンビ共。
やつらが俺の知っているものと同じであるならば、あれはゾンビの上位種、食屍鬼だ。
身体強度や力の強さはゾンビと同等だが、大きな違いは体の使い方を知っているということ。
走ることができるし、階段程度なら苦もなく上がることができる。
だが何故この世界にゾンビだけではなくグールまでもが現れた?
空を見上げたおかしなゾンビ共が、気づいた時にはグールへと変わっていた。
……進化した、とでもいうのか?
グールは身体強度が上がっているわけではないから、武器を使えばこちらの世界の人間でも倒せはするだろう。
しかしこの世に溢れたゾンビ共が全てグールへといずれ変貌するのであれば、それこそ自衛隊のような軍隊でもなければ、対処するのは難しいだろう。
そして何より考えなければならないのは、このような事態が起きているのがここだけのものではないであろうということ。
きっと、織田さん達の方でも同様のことが起こっているはずだ。
「……」
黙って思案する俺に、部屋の隅にまとまり言葉を発さずこちらを窺う、ナノハを含む少女達の視線が突き刺さる。
那須川さんも何も言わず、ただ俺を見つめているだけだった。
「おっ……おにーさん、凄かったですね!?」
そんな空気に耐えかねたのか、サクラが不自然に明るい声を上げた。
「強いんだろうなって思ってましたけど!あんなに、あんなに……と、とにかく、凄かったなんて!」
素っ頓狂、とでも言えるような声色に、無理して作ったような笑顔。
視線を返せばびくりと体を震わせるあたり、大方少女達と同様に、恐怖心に似たものでも抱いているのだろうか。
もっとも、やつらの血に塗れたこの姿だ。
単にその姿に抱く感情のせいもあるかもしれないが。
「……や、柳木、さん」
サクラに返事をせずにいた俺に、今度は那須川さんが震えた声で言葉を投げかけた。
「あの力は、一体……?そんな力が、あったなら……」
「あー。取り敢えず」
俺はそんな彼の言葉を遮るようにそう言って、一つ息を吐く。
実際はどうか知らないが、その言葉の先がろくでもないものであるような気がしたから。
「さっき見たことは、出来れば忘れてくれるとありがたい。と言っても無理だろうから、せめて他言はしないで欲しい。色々と、事情があってな」
再び、しんとなった空気が部屋の中に訪れる。
そしてそれを破ったのは、またしてもサクラだった。
「お、おにーさんがそう言うなら、私はそれに従いますよ?みんなも、そうだよねっ?」
そう言ってサクラが少女達の方を振り向けば、彼女らは訝しげな視線を向けながらも、小さく頷く。
ナノハもまた、俺をじっと見つめてこくりと頷いた。
「那須川さんも、いいですよね?おにーさんは命の恩人ですもん!」
何かしら思うところがあるのだろう。
どうにも納得していない表情をしていたものの、それでも彼はサクラの言葉に頷いた。
「……すまんな。じゃあさっきの話は終わりだ。これからどうするかを決めるとしようか」
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目的の駐屯地周辺は、広く防衛線が張られていた。
これまで見てきた各地の駐屯地は殆ど敷地内で防衛をしていたように思う。
ゾンビ共に押し込まれてそのような状態になっていたという可能性も否定はできないが、状況からすると那須川さんの言っていた通り、あの駐屯地には各地から自衛隊員が集まっているということなのではないだろうか。
人数がいるからこそある程度守備範囲を広げることが出来るのだ。
新たに出現したグールには多少手を焼いているような様子だが、それでもゾンビ共が密集して近づいて来る前に各個撃破出来ているようだった。
「……さて」
使っていた双眼鏡をアイテムボックスにしまうと、ビルの屋上から地面を見下ろす。
目的の車を見つけると、そこへと一直線に飛び降りた。
結局、駐屯地には俺一人で行くことになった。
グールが現れるなどという想定外のことが起きた今、その辺の乗用車を拾ってまた移動するなど、馬鹿げた真似はできない。
せめて大型トラックくらいは使わないと危険すぎるだろう。
とはいえ、そのような方法をとったとしても道中多少の危険はつきまとう。
また今でこそ駐屯地の無事を確認出来たが、さっきまではわからない状況であったことだしな。
今は、何より時間が惜しかった。
織田さん達のことが心配だったのだ。
もっともデパート周辺のゾンビ共は綺麗に片付けてきた上、多少離れた場所を囲むようにして障害物を設置するなど入念に準備はしてきたから、大丈夫なはず、だと思いたいが。
あそこを出発する前、織田さんは今度こそ任せてくれと俺に言った。
今はその言葉を信じるほかないだろう。
何にせよ、那須川さんやサクラ達をあのままあそこに置いてデパートの方に戻るなど出来るわけもないしな。
それにこんな状況になったからこそ、余計に自衛隊と合流するというのは必要なことのように思えた。
デパートの面々だけで何処かでのんびり農業でもやるなどという案は、グールが現れてしまっては厳しいものがあるだろう。
地面に着地し、襲いくるゾンビとグールの頭を刎ねる。
ここまで移動してきた感じでは、グールの数は全体の約一割、といったところか。
目的の駐屯地の自衛隊はこの状況でも耐えていたようだったが、果たしてこの先はどうなるか……
唇を軽く噛んで、俺はここに来るまでに見つけておいたダンプトラックに乗り込んだ。




