百二十九話
「……自分に与えられた、任務ですから」
俺の質問に少々の沈黙を挟んで、那須川さんはさも当然とでも言うかのように答えた。
「駐屯地を出る時に、そういう指令が出されたんです。民間人を守り、この報を無事な駐屯地に伝えろと。あそこを脱出した自衛隊のうち、どれだけの自衛官が無事だったのかは今も分かりません。だからこそ、自分は行かなくてはならないんです」
彼が自衛隊としての誇りを強く持っていることは、先日の話で分かってはいる。
だが俺からしたら、これほどまでの意志の強さの源は一体どこにあるのか、それが不思議でならなかった。
ましてこんな状況だ。
彼とナノハの関係性を聞いた今では、そんな任務など放っておいて、どこか安全な場所、それこそ先日に聞いたコミュニティで生活するという選択を取ってもおかしくないのではないかと思う。
そんな考えが表情に出ていただろうか、一つ小さく息を吐いた俺に、那須川さんは静かに口を開いた。
「柳木さんは……五年前の、日本での大災害を覚えていますか?」
「……ああ」
「自分はあの時初めて、被災地へ災害派遣に行ったんですよ。まだ、自衛隊に入って間もない頃でした」
那須川さんの言うそれは、日本にいたものであれば誰もが忘れもしない、あの大震災のことだろう。
大津波により多数の死者、行方不明者を出したそれは、俺が異世界へ転移する前ですらその傷跡を深く残していた。
傍に置いた水筒から中身を少し取り出して一度口に含むと、那須川さんはさらに続けた。
「……現地は、ひどい有り様でしたよ。原型をとどめていない建物がいくつもあって。そこら中に津波に飲まれて亡くなった方の遺体があって。そして、そうやって大事な方を亡くされた遺族の方々も、たくさんいました」
その話は、たびたびニュースになっていた。
瓦礫だらけとなった町の映像は、今もなお記憶の中に残っている。
「自衛隊の仕事は、主に救助活動や行方不明者の捜索活動に始まり、生活支援や復興支援と、多岐に渡りました。自分はそんな残された方々のためにと精一杯任務に励んだんです」
一つ、息を吐いて。
一度口元を覆ってから、那須川さんは顔を上げる。
「……ですが、自分達自衛隊に出来ることは、限られているんです。任務を終えて撤収するとなった時に、思ったんですよ。こんなボロボロになった町をそのままに、ここを去るなんて、って。そこに住む人たちの心の傷だって、全然癒えてなんかいないのに。とても……悔しかったんです」
「……」
「でも。そんな自分達を、現地の方々はあたたかく見送ってくれたんですよ。道路の両側に並んで、ありがとう、って言いながら、皆んなで手を振ってくれたんです。自分は……あの時の皆さんの顔が、忘れられないんですよ」
そう語る那須川さんは、俺の方を向いて小さく笑った。
その瞳に僅かに涙を浮かべて。
「こんな自分でも、少しでも誰かの助けになれたんだなって、嬉しかった……あの時から、自分はこの仕事を最後までやり遂げようと思ったんです。だから今のこの任務も、投げ出すわけにはいかないんです」
彼の想いの強さ。
その根源がやっと分かったような気がした。
自衛隊の彼は、あの震災だけではなく他に何度も災害派遣に赴いたことだろう。
勿論、自衛隊は彼の言うように全てを解決出来るわけもない。
だからこそ心無い言葉を浴びせられることもあっただろう。
だがそれでも、彼は向けられたその笑顔を忘れられない。
そして他の地でまたその顔を見る度に、想いを強くしていったのだろう。
「……そうか」
俺はぼそりとそう言うと、那須川さんから視線を外した。
那須川さんの、語った話。
その話を聞いた俺は、少しだけ、異世界でのことを思い出した。
それは異世界に転移して間もない、リンドウ達と共に旅に出始めた頃のことだ。
まだ王国からそう離れていない場所では、行く先々で魔物の被害に悩む村を助けていたものだった。
周囲の魔物を出来る限り討伐し、群れのボスを倒す。
だがそんなものは、一時的な対処でしか無い。
それらを討伐したところで、また時が経てば新たに別の魔物が出現してくる。
そうすれば、その村はまた以前と同じ状況に追い込まれるだろう。
それでも、村の皆はそこを去る俺達勇者パーティーに感謝し、涙ながらに笑顔を向けてきた。
その記憶は、今思い出してみても、悪い気はしなかった。
「そういう理由が、あったんだな」
異世界でそんな感情を抱いたことなど、王国を遠く離れてからの魔王の手下共との戦いや、人同士の争いの毎日で、忘れていた。
いや、きっとそれは、俺が転移してから間もなかったが故の感情でもあるのだろう。
「はい……勿論、こうしてナノハちゃんを危険に晒してしまっていることも、理解しています。でも、このままでは先がないだろうとも、自分は思っているんです」
「まあ、そうだろうな」
那須川さんのいうそれは、俺や織田さんが考えた結論と同じことだ。
確かに、彼とナノハは下手に冒険などせず件のコミュニティにいれば、多少は安全に過ごせただろう。
だがそれは一時的なもの。
彼はそれを理解していて、なおかつそのコミュニティにいた人達をも救いたいからこそこうしている。
「一人の力なんて、たかが知れているんです。でも、きっと、自衛隊の皆で力を合わせれば、何とかなるかも知れない」
そして彼は、それを為すことに自分一人の力ではどうにもならないことも理解している。
だからこそ、こうして無事かもわからぬ駐屯地を目指すのだ。
彼は決して、自身の過去の想い出に浸って、その為だけに行動しているわけではない。
自衛隊の誇りを持つに至った出来事を経て、なお多くの人を救おうという意思のもと、こんな世界になった今でもそれに全力を尽くそうとしている。
そんな彼の想いを聞いて、ある種、織田さんに似たものを感じた。
もっとも、出来ることを出来るだけやる、という織田さんのそれと比べると、随分と無茶をしてしまっている感は否めないが。
「…….」
ただ、ひとつだけ、彼の想い、決意を聞いて思うところがある。
それは前々から思っていたことで、また先程ナノハの話を聞いたときに感じた疑問とも繋がりがあるのだが。
正直な話、異世界からこちらに戻ってすぐの時に考えたように、俺は自衛隊がゾンビ程度に負けるとは思ってはいなかった。
だが現実として、俺が見てきた駐屯地は堕ちていた。
そんな状況で何故那須川さんはこうも合流を望むのか。
また同じ繰り返しになるとは考えていないのだろうか。
「……那須川さん。もう一つ聞きたいんだが。自衛隊は、パンデミック直後は、何をしていたんだ?」
俺は、夕刻に感じた疑問の二つ目を口にした。




