百二十八話
「……パパ……ママ……」
翌日の予定を話し終えた頃、横になるナノハがボソリと小さく声を出した。
寝言なのだろう、眉間に皺を寄せて苦しそうな表情をしていた。
それを見た那須川さんは無骨な手をナノハの頭に当て、優しく撫でる。
それで安心したのか、彼女はまた穏やかな寝息を立てた。
「……柳木さん、気を悪くさせてすみません」
「ん?」
「ナノハちゃんのことです。恩人であるあなたのことを、怖がっているみたいで」
「……」
「正直な話。自分も、昨日まで似たような感情を柳木さんに抱いてしまっていたのです。今も、何故だか、まだ少し……」
那須川さんの言葉に、肩をすくめる。
むしろ俺からしたら、彼がこんなにも早く威圧スキルの余波の残滓から抜け出せるとは思ってもいなかった。
「別に、気にしていない」
ナノハについては、さすがにまだまだ時間がかかるだろうな。
そう思いながら彼女の寝顔を見ていると、俺のその視線に気づいたのか、ふいに那須川さんが口を開いた。
「……ナノハちゃんは、姉さんの子なんです」
ぼそりと放たれたその言葉に、那須川さんの顔を見る。
どこか遠い目をしながら、優しくナノハの頭を撫でる彼がさらに言葉を続けた。
「パンデミックから少しして、自分達は駐屯地付近の救助活動を行なっていました」
「……そうらしいな」
それは、あの警察署に来た自衛官も話していたことだ。
「はい。しかしどこに要救助者がいるのかなど、知りようがありません。まず自分達は避難所を軸に捜索していったのです」
妥当な判断だろう。
しらみ潰しに探すには危険も大きいし、さすがに無理がある。
多くの人数を助けるのであれば、ある程度纏まった部隊で、まずはまだ無事な避難所を探すのが最も効率はいいだろう。
彼が語ったのは、そんな捜索の中ですでに崩壊したと思われる避難所、小学校へと赴いたときの話だった。
校庭にゾンビがうろつくその学校を遠くから見ているとき、その屋上に生存者の姿があったのだそうだ。
そして一度駐屯地へと戻りヘリで救助しに行った先で、彼は生き残ったナノハと再会した。
しかしナノハの父も、彼の姉であるナノハの母も、その場にはいなかった。
「パパもママも、いなくなっちゃった、って、言われたんです。再会して、自分の胸に抱きついてくるなり、顔を埋めて……後で聞いたのですが、その避難所はパンデミック後すぐに崩壊したわけではなかったそうなんです。避難所がまだ無事な頃、姉さんは、弟がすぐに助けに来てくれるよ、ってナノハちゃんに言っていたそうです」
「……」
「もっと早く来ていれば、姉さんも義兄さんも、助かっていたかもしれない。そう……言われているようでした」
自衛隊という組織に入って動いている以上、そんな勝手をするわけにはいかない那須川さんの事情はわかる。
そしてそんなふうに言われて、責められているのだと感じた彼の気持ちも。
「……考えすぎだろう。俺から見ても、ナノハは那須川さんに随分と懐いているように見えるがな」
しかし彼はきっと、少々勘違いをしているようにも思う。
ナノハの言った言葉。
確かにそこには、来るのが遅い、という恨み節のようなものが、ほんの少しはあったのかもしれない。
だがその本質は、もうナノハには、那須川さんしかいないということなのではないだろうか。
パンデミック以前からの深い付き合いのある者、血の近い家族とでも呼べる者。
彼女には、そんな存在がもう彼しか残されてはいないのだ。
ここに来て、彼ら二人の関係性が多少なりとも理解出来た。
そして遭遇したコミュニティを那須川さんが出ると言ったときに、共にいたいと願ったナノハの気持ちも。
同時に、新たな疑問がいくつか浮かぶ。
と、遠くでゴロゴロと雷の鳴る音が小さく聞こえた。
「雨、か」
「……みたいですね」
その音で目を覚ましたのだろうか、眠っていたナノハの目がうっすらと開いた。
彼女は最初に俺の姿を視認したのか、一瞬びくりとなって周囲を見回すと、すぐさま側にいる那須川さんにくっついていた。
「……まあ、それじゃあ予定通り見張り諸々は任せて、那須川さんは先に休んでおいてくれ」
ナノハのその様子に苦笑して、俺はそう言って二人のいる部屋を後にした。
+++++
深夜。
見張りとして玄関そばの部屋にいた俺は、一人ため息をついた。
夕刻から降り出した雨はまだ止まない。
雷雨となってから、雨の勢いは変わらず強く降り続いていた。
デパートを出てから五日経つ。
今回は一週間ほどで戻ると言ってあったが、予定ではその範囲で向こうの駐屯地に着けるはずだった。
だがこの雨が続くようであれば、そうもいかなくなるだろう。
また、余計な心配をかけるかもしれないな。
デパートを出る時に、気を付けてくださいね、と言われて、心配はいらない、と答えた時のカエデの膨れっ面を思い出して、一人小さく笑った。
「……すみません、先に休ませていただいて」
そんなことを考えていると、見張りの交代の時間だと、那須川さんが部屋を訪ねてきた。
ナノハはサクラ達とともに、リビングで皆一緒に寝ているようだった。
「まだ予定の時間までだいぶあるが。なんなら朝まで休んでいて貰っても大丈夫だがな」
腕時計を見て、随分と早い彼の登場にそんな軽口を叩く。
ゾンビ共の唯一の侵入口である玄関にはタンスや冷蔵庫を運んで塞いであるし、そもそも家の殆どが気配感知の範囲内に入っている。
万が一、二階の窓から人間が侵入してきたところで俺には寝ていても分かるから、そんな状況でわざわざ那須川さんに見張りをさせるのは罪悪感が先に立った。
俺のその軽口に、那須川さんは苦笑しながら少し離れたところへと腰掛けた。
「そういうわけにもいきませんよ……この分ですと、明日は進めないかもしれませんね」
平時であれば雨など何の問題もないが、道路上にゾンビがうろつき死体が地面にいくつも倒れ伏しているこの状況では、少々面倒なことになる。
視界も悪く、死体に乗り上げたりでスリップもしやすいからな。
ちらりと那須川さんの方を見れば、俺と同じようなことを考えたのだろう、下唇を噛む彼の姿があった。
「そうかもな。まあ降ったら降ったでゆっくりすればいいだろう」
俺がそう言えば、頷きながらもなお何処か悔しそうにする那須川さんを見て思う。
いよいよ目的の駐屯地との距離も近くなり、少々焦りに似たものを抱いているのではないか、と。
「……那須川さんは。どうしてそんなに駐屯地に行くことに拘っているんだ?」
彼のそんな姿を前に、自然とそう口をついた。
また遠くで雷が鳴って、強い風でも吹いたのか、水滴が屋根を強く叩く音が聞こえてきた。




