百二十五話
サクラを少女達のいる部屋へと送る際に、たまたまその隣の部屋から出た那須川さんとナノハと鉢合わせになった。
彼らはその部屋を仮の自室としたのだろう。
二人とも俺の姿を見るなり固まり、ナノハはすぐに那須川さんにぴたりと抱き着いていた。
「那須川さん、丁度いい。少し話がしたいんだが、いいか?」
「はっ、はい。あの、少し待ってもらえ、ますか。ナノハちゃんがトイレに行きたいみたいなので……」
「あぁ」
言って、ちらりとナノハの方を見れば、彼女は俺の視線から逃れるかのように那須川さんの後ろへと隠れてしまう。
その様子に、小さくため息をついた。
「……おにーさん、ナノハちゃんに何かしたんですか?」
畏まった様子で那須川さんが軽く会釈をして、ナノハを連れてその場を去った後、隣にいるサクラが小声でそう尋ねてきた。
「昼間も思ってましたけど、なんか那須川さんともギクシャクしてますよね?」
「……あの二人とは今日会ったばかりだしな。会って早々、目の前で七人も殺したんだ。ああなっても仕方ないだろうさ。むしろサクラこそ、よく平気で俺といれるもんだな」
勿論、彼らがあのようになっている理由の大半は、威圧スキルのせいであろうことは分かっている。
しかしそれがなくとも、彼らのこれまでの経験を考慮すれば、そこからくる怯えが生じる可能性は十分にあると思われる。
だからこそ、俺はサクラの問いにそう答えた。
「んー、言われてみれば、そうかもしれませんけど。でも、そもそもおにーさんは、私達をあいつらから救ってくれた騎士様ですからねー」
ふふ、と悪戯っぽい笑みを浮かべるサクラを見て、苦笑しながらもがしがしと頭をかいた。
その物言いは、俺がさっき考えた、白馬の王子様、とそう変わらないではないか。
それに、その声量。
二人のことを問うてきた時とは違い、僅かに声を張ってのその言葉は、おそらくすぐ側の部屋の中にいる少女達にも聞こえているだろう。
そんなことを考えて少々気恥ずかしさのような感情を抱くと、今度はサクラは俺の身体にぴたりとくっついて、顔を寄せてくる。
一瞬、つい先程の繰り返しとなるかと身構えたが、サクラはそのまま小さく声を発した。
「……なんて、私は、本当にそう思ってますけど。正直な話、あの子達の中には怖いって思ってる子もいるみたいで。私から、ちゃんと言っておきますね」
「あー……だろう、な。まあ、それなら、頼んでおこう」
別に俺としてはどっちでも構わないが、その方が今後多少は動きやすいだろう。
素直にサクラに任せることにする。
そんなやりとりをしている間に、那須川さんとナノハが戻ってきた。
ナノハは不安そうな眼差しを向けながらも、サクラに連れられて少女達の部屋の中に入っていき、その場には俺と那須川さんだけが残った。
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目下、考えることは新たに増えたサクラを含む五人の女の子達をどうするかということだった。
俺は彼女達を助けたからには、少なくとも今後もこの世界で生きられる環境に置きたいと思う。
俺が甲斐甲斐しく世話を焼いてやればそんなものは簡単だろう、とはいえそこまでの面倒を見てやるつもりはなかった。
那須川さんは昼間俺から少女達の話を聞いた時、強い瞳で俺の方を見た。
それは単に青年達の行いに対し怒りを抱いたからそうしただけかもしれないし、不運な少女達を想いやるせない気持ちを抱いたせいだったのかもしれない。
それとも、そのような境遇の彼女達を保護しなければ、という気持ちの表れだったのか。
「……これからどうするべきか、話しておきたいと思ってな」
視線の先、僅かにその体を震わせ、小さくなる那須川さんに言葉を投げる。
「状況は、分かっているな?まずは、那須川さんの意見から聞きたいんだが、いいか?」
俺がそう問うたのは、那須川さんが抱いているであろう恐怖心を考慮してのことだった。
俺が先に何かを提案すると、彼は自分の意見を言うことなくそれに従うだけになってしまうかもしれないと思ったからだ。
もっとも、そもそも彼はまだ俺とまともに話ができる状態では無いかもしれない、という考えもあったが、スキルの余波の残滓が消えるまで待っているなど悠長に過ぎる。
「……自分は。彼女達を救いたいです」
そんな俺の心配をよそに、長い沈黙の後、那須川さんはそうはっきりと自分の意思をあらわにした。
「ほう……駐屯地の方はいいのか?」
彼は、それに拘っていた。
ここへとくる前に合流したコミュニティを出てまで、それこそナノハを危険に晒してまでそれを選んでいたはずだ。
俺の言葉にまたも長い沈黙を挟み、那須川さんは口を開く。
「……いえ。正直な話。自分一人では彼女達を守りきれないと、思うんです。でも、もしかしたら柳木さんなら、それが、出来るんじゃないですか?」
「……つまり、何が言いたい?」
必死に、内に宿る恐怖心を抑えているかのように、絞り出すように那須川さんは言葉を紡ぐ。
「自分が、駐屯地の様子を見に行きます。合流出来たら、ここに助けに来ます。その間、柳木さん。彼女らを、守ってやってはくれませんか」
俺から視線を外さず、そう言う那須川さんを見て、思う。
ナノハは、俺と目を合わせるのを酷く怖がっていた。
しかし彼は、こうして怯えながらも俺と目線を合わせている。
そうできる理由は、厳しい訓練を受けてきた自衛隊員だからというのもあるだろう。
しかし一番の大きな要因は、きっとそこに強い意志が宿っているから、ということなのではないだろうか。
「……話にならんな」
だが、そんな彼の意思を俺は無下に却下した。
「第一、ナノハはどうする?二人の関係は知らないがな、ナノハは那須川さんが一人で駐屯地に向かうことをよしとはしないだろう。それで二人で行くつもりならまた昼間のようになるのがオチだろうな」
「っ……」
「……俺からの意見を言う前に、一つ聞きたいことがある」
痛いところを突かれたのか、黙ってしまった那須川さんに続け様に質問をぶつけた。
「那須川さんは、生きている人を殺した経験が、無いよな?」
「っ……ありま、せん」
一度目を見開き、沈黙を挟んで出てきたその言葉に、だろうな、と俺は一言返した。
そう、あるわけが、ない。
日本の自衛隊はとても優秀だと聞く。
この騒動の最中でも、ゾンビから自国民を守るために彼らは奮闘してきたのだろう。
だが、だからこそ、余計に彼らは生きている人を殺した経験がないはずなのだ。
「ならそれを踏まえて、俺からの提案は……全員まとめて駐屯地に向かう、だ」
正直、彼が先程のようなことを言うのは、大方予想していた。
今こうしているのは、その意思の確認の意味を込めてだった。
勿論、俺がこうした多少無理筋な提案をしたのにも理由がある。
最初は、俺が一人で駐屯地へと赴いて自衛隊の救助を連れてこようかと思っていた。
だが彼の件の駐屯地への拘り。
それは今の話でも改めて感じたが、そうなるともし目的の駐屯地が全滅していた場合、彼は今日出会ったばかりの俺の話を全て信じるだろうか?
自分の目で確かめなければ、彼は自身の想いに決着がつかないのではないか。
また向こうの駐屯地が無事な場合でも、確率は低いが俺がここにいない間、もしも何らかの襲撃があった場合、那須川さん一人で彼女らを守り切ることができるだろうか?
ゾンビだけならば事前に準備をしておけば問題はさほど無いだろう。
だが人を殺したことのない彼では、人の悪意には抗えきれないのではないだろうか。
それならば、昼間二人と出会った時に決めたように、いっそまとめて駐屯地へと連れて行くのが良いのではないかと思われた。
タケルとモモの時のようにな。
すでに多少のゾンビ共は相手にならない程度の力は見せている。
余程の事態にでもならない限りは、移動もそこまで苦ではないだろう。
「移動は、やつらの使っていたワゴンをそのまま使う。八人乗りだ、丁度いいだろう?」
「で、ですが……」
「それが飲めないなら、俺が一人で行く。どっちか、選んで貰おう」
その俺の問いに、長い沈黙の後、那須川さんは俺が予想した通りの答えを口にした。




