百十六話
先ほどの銃声はそれから聞こえてきたのだろう、男は肩にアサルトライフルであろう大きな銃を携えていた。
しかし今はそれを使用せず、片手には大きなコンバットナイフ、そしてもう片手では少女の手を引いて、ゾンビの手から逃れようと通りを走っていた。
ゾンビの眉間あたりを狙い的確に頭を貫くその技術は感嘆ものだが、しかしその数の多さと、少女をかばいながらの攻防はどうにも無理があるようで、やがて二人は近くの民家へと入っていく。
「……ちっ。」
目の前で起こったその一部始終を見ては、さすがの俺も見て見ぬ振りはできなかった。
どうせ、自衛隊と接触を図ろうと思っていたんだ。
それならばもののついでと手助けをしてしまうのも悪くない。
そんな風に自分に言い訳をしながら、アイテムボックスから刀を取り出し窓を開けてそこから飛び降りる。
ゾンビ共は先程の二人組の行方を追ってぞろぞろと民家へと殺到していた。
二人は中へ入ったようだったが、中でゾンビと遭遇していなければいいんだがな。
いや、あの男の手練れからすれば、狭い室内であれば囲まれない分中で数匹と鉢合わせしたところで対処も可能だろうか。
民家のそばへとたどり着けば、ばんばんと壁やら玄関やらを叩くゾンビの姿と、割られたガラス戸から侵入する多数のゾンビの姿があった。
周りのゾンビ共を一刀のもとに蹴散らし、"気配感知"で二人の気配を探る。
「……二階か。」
階段を上るやつらの動きは鈍い。
ゾンビの手から逃れるならば、段差を利用した対処は合理的な判断だ。
だが同時にそれは自分の逃げ道を無くすということでもある。
銃声が再び聞こえてくるようなことも無いことから、おそらくは弾切れか何かなのだろう。
仕方なしにその選択をしたのだろうが、この数の追手相手にはあのナイフ程度では少しばかり厳しいように思える。
……ならば全て、片付けてやるとしようか。
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「……生きているか?」
階段には多数のゾンビの死体があったが、しかしやはりそこで守るのにも限界が来たのだろう。
二人は二階の部屋の一つへと逃げ込んでいたようだった。
スキルで二人とも生存しているのは分かっているのだが、ドア越しにそう声を掛ける。
「……」
返事はない。
だが部屋の中で何やら動きがあるのは確かだった。
「やつらはみんな片付けたが……入ってもいいか?」
言って、ゾンビ共に派手に叩かれ今にも壊れそうな木製のドアのノブに手をかける。
押し開こうとすると、僅かに抵抗があった。
「生存者、ですか……?」
「まあ、そうだが。」
「少し、待ってください!」
そう返事が来たかと思えば、それでドアを塞いでいたのか、ずりずりと重いものを引きずるような音を立ててから、ゆっくりとドアが開く。
そこに居たのは、汗と返り血でぐしゃぐしゃに顔を濡らした、人の良さそうな若い男だった。
「外の感染者どもは……?」
「全て片付けたと言っただろう。」
荒い息を吐きながらも、男は俺へと視線を向ける。
俺の傍に倒れるゾンビ共の死体に目をやり、すでに納刀状態で腰にぶら下げた打刀に目をやり。
それで合点が行ったのかは分からないが、そこでようやく一つ息を吐いた。
「……入っても?」
「あ、はい……」
ごくりと唾を飲み込んで、後ずさるように男は中に入ると、部屋の隅に立つ少女のそばへと移動する。
パンデミックが起きてから切ったのだろうか、不揃いに切られた髪型が特徴的な幼い少女だった。
俺の姿を見るなり、ゾンビを全て倒してきたのが信じられないとでも言うかのように、その大きな瞳がパチパチと瞬きを繰り返していた。
男は守るように少女の傍に立ってこそいるが、意外にも、二人から敵意の視線は向けられなかった。
僅かながらの警戒反応を向けられても仕方ないと思っていたのだが。
「……怪我はなかったか?」
「えぇ、運のいいことに……しかしすみません、助かりました。どう礼を言えばいいか……」
「いや。たまたま近くのマンションに居て、逃げる二人を見かけてな。」
「本当にありがたいです。ですが、どうしてこんな危険を冒してわざわざ……」
危険、か。
そんなものはないも同じなんだが、それは今は口にはしないでおく。
「……自衛隊を探していたんだ。だから助けた。」
あらかじめそう言おうと決めていた言葉を口にする。
助けるための言い訳、と言ってもいいその言葉を聞いた彼は、しかしその顔に暗い表情を浮かべた。
「そう、ですか……助けてもらって申し訳ありませんが、あなたの期待には応えられないかもしれません。」
「……と言うと?」
 
聞き返した俺の言葉に、男はなおもその表情を曇らせたまま答えた。
「……自分は、壊滅した隊の生き残りなんです。」
話を聞けば、どうやら彼は内陸の方の駐屯地にいたらしい。
避難民を受け入れていたその駐屯地は俺たちがいたような大都会とは違い、その地域柄かゾンビの猛攻に耐えていたのだが、しかしつい最近それが崩壊してしまったのだそうだ。
脱出計画は立てたくても立てられない状況だったらしい。
何故なら避難民の数と、それを運ぶ車両の数に圧倒的な開きがあるためだ。
地獄の釜を開けたようなゾンビの群れが駐屯地へと侵入し、避難民も自衛隊も、散り散りになってそこを逃げ出した。
そばに佇む少女は、その時に一緒に逃げたうちの一人らしい。
「仲間も避難民も、何人か一緒に行動してたんですが……ここに来るまでにみんな死んでしまいました……」
「……そうか。」
そして彼らがこうして移動しているのは、目的地があるからだ。
そこは、俺が今向かおうとしている海岸沿いの駐屯地。
まだ彼がいた駐屯地が無事であった頃、そこへと何度かヘリで避難民を送っていたのだそうだ。
故に今もそこが無事であると信じ、また彼がいた駐屯地が壊滅したことを伝えるためにも、男はこうして移動していたのだと言う。
そして今このような目に遭っているのは、つい先程まで乗っていた車が故障してしまったからなのだそうだ。
「……ですから、救助や支援を求められても、今の自分には正直どうすることもできません。そして、向こうの駐屯地が今も無事なのかも、分かりません……」
「なるほど、な……一つ、提案がある。」
ならば、こうして助けた以上俺がやるべきことは決まったと言ってもいいだろう。
「幸いと言えばいいのか、どうやら目的地は同じようだ。そこまで行動を共にしないか?」
その俺の言葉に男は目を見開くと、一度少女と目を合わせた。
それに応じ少女がこくりと無言で頷くと、男は俺の方に向き直る。
「那須川恒之です。この子は……」
「松葉なのは!おじさん、宜しくね!」
言葉を遮り、急に少女から放たれた快活なその声色に少しだけ面食らう。
つい先程まで命の危険があったにもかかわらず、そしてこんな世界で人見知りもしない、その明るさは幼さ故なのだろうか。
少女の行動に苦笑いする男から差し出された手を、俺は握り返した。
「薊。柳木薊だ。」
 




