百十三話
空へと投げ出した体が地面へと着く前に体を捻り、手に持つ刀を下方で振り抜く。
その一振りで、眼下にいる亡者共の頭がバラリとずり落ち、ふらふらと揺れていたその身体が動かなくなる。
体を回転させて体勢を立て直し、そのままそれらを踏みつけるように着地すれば、周りにいたゾンビ共の視線が唐突に目の前に現れた俺という"餌"へと集中する。
瞬間的に、幾百、いや幾千とも言える視線感知の反応に少々の気色の悪さを覚える。
すぐさま襲いかかってくるやつらに対して数度刀を振ると、俺は再び高く跳躍した。
「……律儀に相手をする気にもならんな。」
流石に数が多過ぎる。
雑魚とはいえこの数のゾンビ共を相手にするのは俺では少々荷が重い。
やられることこそないだろうが、全てを倒すのは相当の時間を食ってしまうだろう。
リンドウやロベリアの使う極大魔法なら一度に片付けられるだろうがな。
もっとも、極大魔法など使った日にはここら一帯が酷い有様になるのは目に見えているから、ゾンビ相手ならばイーリスの使える広範囲の"ターンアンデッド"が適切だろうか。
それでもこいつらを全員倒すとなればなかなか苦労するだろう。
そもそも異世界と現代日本では、人口の数も密度も違い過ぎるのだ。
異世界では隣の街どころか集落まで山を越えるなどざらにある。
異世界の人間からしたら、街と街が、街道も何もなくひたすら繋がり広がっている日本の都市部など想像もできないことだろう。
そんな地続きに人が大勢住んでいる日本でゾンビパンデミックが発生したならば、このようなことになるのも仕方のないことなのだろうか。
いや、それにしたって、この数はどう考えても異常だ。
道中ではアスファルトが捲れたり建物が崩壊していたりと、爆発跡のようなものもあり、おそらくは駐屯地を守るためであろう激しい戦闘の痕跡が見られた。
それでも、おぞましい亡者の群れは目的地に近づくにつれその密度を増していく。
この様子では、正直駐屯地の無事は期待できないだろう。
しかし何故このようなことになっているのか。
以前例の駐屯地の方へと足を運んだときは、外部でのゾンビとの戦闘の跡こそあったが、ここまで酷い状況ではなかったはずだ。
そもそも防衛ラインは確保されていたのは確認が出来ているし、そこまでの道中でこんな事態にはなっていなかったのも間違いない。
駐屯地周りの死体の数だって、そこらの都市部とそう変わらなかったはずだ。
ゾンビ共との戦闘を必要最低限に留めながら、生者からの視線を感知しないままにやがて目的の駐屯地へと着く。
周辺にはすでに事切れた死体が溢れていたが、それを我関せずと踏みながら、或いはそれにつまずきながら、ゾンビ共が相変わらずその密度を保ちながらうろついている。
本来ある駐屯地を囲む壁にさらに補強を施したのであろう、堅牢そうなその守りは今にも崩壊しそうであったが、しかし辛うじてその形を保っていた。
出来る範囲で気配を消してぐるりと周囲を回り、まだ頑丈そうな場所を見つけ、身を翻し数メートルはあろうかという壁から駐屯地内部へと侵入する。
俺が中に入ったことで、それに気付けた外のゾンビ共が俺を追おうと外壁を叩く音がする。
この壁がもってくれればいいが。
そのまま周りを見渡せば、外壁の側には高台が設置されており、またその周辺には空薬莢も多数落ちていて、そこで外のゾンビを間引きでもしていたのだと思われた。
「……」
外部の怨嗟のうめきで溢れた喧騒と違い、中はしんと静まりかえっている。
例の駐屯地と違い、少なくとも内部がゾンビで溢れている、ということはないように見えた。
しかしそのような状況であるにもかかわらず、同時に人の気配も感じられないように思う。
もっともスキルでの察知ではないから確実ではないし、息を潜めているという可能性もなくはない。
俺の気配感知は範囲が狭いから、まずはあの時と同じようにしらみつぶしに探索していくしかないか。
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粗方駐屯地を調べた所、結局人の姿は確認出来なかった。
しかし例の駐屯地と違ったのは、ゾンビの姿も確認出来ていないということと、そして何より、明らかに計画的にここを捨てたであろうという形跡があることだった。
駐屯地内にあるコンビニから始まり、食堂などからも物資という物資、全てが綺麗さっぱりなくなっている。
武器や兵器の類もほとんどが無くなっているように見えるし、車両の類も軽車両くらいしか残っていない。
宿舎などからも荷物の残りすら見つけられなかった。
果たして例の駐屯地の面々がここへと合流したのかは分からないままだが、取り敢えずこの様子では少なくともここにいたであろう自衛隊は無事で、何処かへと拠点を移したのではないだろうか。
理由は単純に、外のゾンビ共があの数では、いずれ近いうちに守りきれなくなるとでも判断したのだろう。
ここにいたのが自衛隊員だけならそれでも残る判断をするのかもしれないが、そう考えれば決して少なくない避難民もいたのではないかと思われる。
「……」
壁の内側を歩み、ゾンビ共の気配を感じながら考える。
例の駐屯地もここも地理的に人口の大差はない。
にもかかかわらず、この外の惨状の差はどこから生まれているのか。
「……いや、そうか。」
ならばその違いは時間だろうか。
あの時は、パンデミック発生から一ヶ月半ほどしか経っていなかった。
今はもう、すでに三ヶ月ほど経つ計算だ。
考えてみれば、今日ここへ来た道中、街中から人の気配が殆どしなかったように思えた。
もちろんそれもスキルではなく感覚的なものではあるのだが。
時が経ち、また随分とこの世界、特に都市部では生者が死者にその姿を変えてしまったのではないだろうか。
人口の多いこの周辺の地域では、じいさんの所のようにそう人が生きていけるものではない。
そして死者へと姿を変えたやつらは、生者を探し彷徨う。
ゾンビ共に遠くの生者の反応を感知するような能力があるのかは異世界でも議論のなされているようだったが、しかし単純にやつらは、生者の姿形や声、それらがない場合は目立つ光や音のする場所へと移動していく。
ならばやつらが新たに向かう先は、大きな音のする方向。
すなわち、銃火器を用いてゾンビ共の魔の手から、基地を守り戦うこの場所、というわけだ。
「……」
俺の想像は、あながち間違ってもいないだろう。
ここに来るまでに砲撃か何か分からないが、それによるだろう爆発跡もあったわけだしな。
ノロマなやつらに対しては大層効果的だろうが、それが新たに遠くからのやつらを呼び寄せるものになるのも確かだ。
俺のこの考えが本当に正しいのだとすれば、自衛隊の面々は、人口の少ない場所や、その地域の駐屯地へと移動していることになるだろう。
そうなると、俺はさらにその行方を追っていくことになる、か。
「……まあ、あまり気が乗るものでもないがな。」
自嘲し、暗く静かな広い駐屯地を一瞥して、俺は地面を蹴り壁の外へと飛び出した。




