百九話
「……起きたか。」
うっすらと瞳を開け、うん、と小さく息を吐くカエデを見る。
俺の声を聞いたカエデは、ハッとしたようにその目を大きく見開いた。
「わっ、私、いつの間にか寝て……!」
側にいると約束してからそれで安心したのか、少し話をしているうちにカエデは気付けば静かに寝息を立てていたのだ。
「随分と疲れていたようだな。」
それも当然のこと。
もしかしたらエリクシールが何か影響を与えた可能性も否定はできないが。
すでに夕刻にもなろうかという時間帯だが、外の太陽はその光を弱めることもなく、部屋の中を明るく照らしていた。
自分が感染者と変異していないか、不安だったのだろう。
慌てて起き上がったカエデは一度自分の体の感触を確かめるかのようにもぞもぞと体を動かすと、ほっとしたようにその胸を撫で下ろしていた。
「……良かった。」
「この様子ならば、大丈夫かもしれないな。まあ、まだ経過観察は必要だがな。」
「……アザミさん、ずっと側にいてくれたんですか?」
「あぁ、そうだな。」
「お暇じゃありませんでしたか?起こしてくれても、良かったのに……」
「何、色々と考え事もしていたから問題ない。何かあったら起こそうとは思っていたが何もなかったしな。」
カエデが寝ている時に考えていたのは、これからのこと。
織田さん達にこの力のことを明かした今、俺がここの住人を助けるためには主に二つの選択肢があるのではないかと思う。
まず一つは、拠点の移動。
ゾンビ溢れる世界となった今、いつまでも保存食で暮らしていけるわけではない。
それはいつか限界がきて、それから行動を起こしたのでは手遅れになる。
その前に、自給自足の出来るような生活基盤を整えるべきだろう。
そして二つ目。
こちらは正直俺としては異世界での経験からあまり歓迎したくないものだが、国に協力をするというものだ。
およそ一ヶ月前あの駐屯地から姿を消した自衛隊。
織田さんに聞けばその行き先などもしかしたら心当たりがあるかもしれない。
そうすればあとは俺がそこへと見に行けば話は済む。
俺の気持ちはともかくとして、自衛隊と合流出来るようなら先の問題もある程度解決できるだろうし、また今回のような略奪者の標的になるようなこともなくなるのではないだろうか。
その辺の話を後で織田さんと会議でもしようと考えていたのだった。
もっとも、行動を起こすにしてもカエデの様子をしばらく見てからというのはあるんだが。
「そういえば、寝ている間ユキが一度見に来たぞ。カエデはぐっすり寝てるからユキももっと休んで来いと言っておいたがな。」
「ユキさんが……ふふ、嬉しいです。ユキさんって、本当に素敵ですよね。」
「まあ……そうかもな。」
こんな世界になる前までは、手のかかる後輩というイメージしかなかったんだが。
きっと俺のいない間もカエデを気にかけてくれていたのだろう。
とてもお世辞なんて言っているようではない、憧れているかのような顔をするカエデを見て思う。
ユキもまた彼女と同じように、この世界になってから少しずつ成長しているのだろうと。
と、小さく、くぅ、と遠慮がちな音が聞こえた。
「……あっ。」
お腹の前で腕を組み、体を縮こませるカエデが顔を赤くして俺を見る。
もじもじと形容するに相応しい、恥ずかしそうに体を揺するカエデの様子が可愛らしく、小さく笑う。
「うぅ……」
「昼は食べていなかったらしいな。何か食べるか?織田さんには元々しばらくはこっちで用意するとは言ってある。」
言って、ロベリア製の指輪に魔力を込める。
アイテムボックスを開き、中から携帯食料やら缶詰やらを取り出してオフィステーブルに並べた。
そんな俺の様子をカエデはじぃと見つめていた。
「……本当に、不思議ですね。」
「アイテムボックス、って奴だな。」
「ふふ。アザミさんは、やっぱり、魔法使いさんだったんですね。」
「いや、魔法使い、とは違うな。」
「そうなんですか?その、アイテムボックス?もですし、私のこの傷を治してくれたのも、まるで魔法みたいじゃないですか。」
あの時の酷い傷が瞬時に治ったのを思い出しているのだろう。
そう言ってカエデは、半袖に着替えた腕に残る噛み跡をそっと撫でた。
「むしろ、俺は魔法なんて便利なものは使えない。まあカエデの傷が治ったのが魔法だと言うのなら、それを使ったのはかつての仲間だ。そいつらに感謝するんだな。」
そもそもロベリアが俺にアイテムボックスを作ってくれていたから、こんな芸当が出来ている。
それに皆が俺にエリクシールを預けてくれていたからこそ、こうしてカエデに使えたというのもある。
それは本心からの言葉で、事実俺自身があの三人に感謝していた。
「えっと……分かりました。でも、アザミさんにはそれ以外でも、凄く、すごーく、感謝してるんですからね?」
かつての仲間を思い、少し遠い目をしていたせいなのか、カエデが何故だか慌てたような口ぶりで俺へとそう言う。
悪気があったわけではないが、先の言葉がそう聞こえてしまったのかと頭をかく。
「すまん、ちょっと、向こうでのことを思い出していただけだ……さて、何を食べようか。」
テーブルの上に乱雑に広げた食料に目をやってからカエデの方を向けば、ソファに座りながら俺をじぃと見つめる彼女の姿があった。
思いの外気にさせてしまったのだろうかとまたも頭をかいて、謝罪の言葉を口にすると、カエデは首を振った。
「違うんです。もっと、知りたいんです、アザミさんのこと。異世界でのこと。その一緒に旅をした方達のこと。聞いても、いいですか?」
どこか期待を孕んだそのカエデの眼差しを受けて、俺はそれを見つめ返し小さく笑った。
そういえばホームセンターでも似たようなやりとりがあったな、と。
「言っていただろう、なんでも聞いていいさ。食べながらでも話すとしようか。」
だが今はあの時とは違う。
あの時は、カエデはただ助けてしまっただけの一人の女の子だった。
今は守りたい一人の人間で、そしてこの俺の力や精神を怖れることもなく、認めてくれ受け入れてくれた、そんな大事な存在なのだ。
ソファに座る彼女の手を取り立ち上がらせると、少し恥ずかしそうにはにかむカエデに笑顔を向ける。
「……今度は、隠し事は無しだ。」
これにて三章終了でございます。
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今後ともよろしくお願い致します。




