百二話 不二楓14
前話までのデパート内でのカエデ達の様子を一話だけ挿入。
「援軍?こっちの方はどうすんだ?……変な奴?何かあったのか?……おい、返事しろ。おーい?」
トドメを刺したかのような銃声がもう一度聞こえてからしばらくして、隠れているテナント内で震えている私達の耳に、今度は何やら無線機でやり取りしている声が聞こえてきました。
「なんて連絡っすか?」
「変な奴が現れたから援軍に来いだとよ。」
「変な奴?」
「さあ、よく分からんが。ここのやつら屋上に篭ってやがるそうだからこっちはほっといて来いだとよ。なんだかずいぶん焦ってるようだったが……ほら急ぐぞ。」
「うーい。」
そんな気怠げな会話を交わしながら多数の足音が遠ざかっていくのが聞こえ、私たちは息を潜めながら外の様子に耳を傾けていました。
デパート内には幾度となく銃声が響き渡り、その音を聞くたびに先程殺されてしまったであろう警察官の方の顔が頭に浮かんできました。
避難民の方々や、警察官の方々はどうなってしまっているのでしょうか。
そして私達も、これからどうなってしまうのでしょうか。
「……大丈夫だからね。」
そんな自分の中に芽生えた不安から目を背けるかのように、私はシュウ君の身体を強く抱きしめました。
シュウ君の父親、池間さんの安否はこの状況ではもはや絶望的と言っても過言ではなく、それをシュウ君も理解してしまっているかもしれません。
しかしそんな私の考えとは裏腹に、つい先程までのパニックに陥っていたような彼の様子は一変していて、今は何故だか落ち着きを見せているようでもありました。
「シュウ君、静かに出来る?」
その問いにこくりと頷くシュウ君を見て、私は彼の口を塞いでいた手を離します。
先程の声の主達はこの場から離れたようですが、しかし本当にすぐ近くに見張りがいないという保証もありません。
相変わらず遠くからは銃声が何度も聞こえてきていて、私達三人はじっとその場に座っていることしか出来ませんでした。
+++++
「……ごめんなさい。」
ふいに、私にも聞こえるか聞こえないかくらいの声が耳に届きました。
それは、シュウ君がこぼした言葉でした。
きっとこのような状況に陥ってしまったこと、彼はそれについて謝罪しているのでしょう。
父親のことが心配だろうに、そんなことが言える気遣いに私は彼の頭を撫でました。
隣にいるユキさんも、大丈夫だよ、と一緒に頭に手を置きます。
先程から激しく聞こえていた銃声は今はその鳴りを潜め、時折数発聞こえるだけになっており、この事態の収束を予感させます。
それが良い方向に落ち着くことを願ってこそいますが、しかし私の中ではどうにもそれは期待できないのではないかと思う部分もありました。
立体駐車場から来た声の主達、その足音は十人は居そうな雰囲気で、加えて始めに階下から聞こえて来た声。
階下に一人で居たなんていうことはないでしょうから、それを考えれば明らかに侵入者の数は数十人はいると考えられるからです。
織田さん達は頼りになりますが、しかしその人数差ではいくらなんでもどうしようもないように思えるのです。
「……ユキ、さん。」
そんな、先にある絶望からか、私はそう隣にいるユキさんに声をかけていました。
今まで何度もユキさんにもう一度言おうとしてやっぱり言えなかったこと。
それを口に出してしまったら、考えていたこと全てが水泡に帰し、ただただ私の願望とも言えるようなことを並べるだけになってしまう。
ましてこんな状況でそれを言ってしまえば、ユキさんがどう感じ、どう思うのか分かりません。
しかし今このことを言っておかなければ、それを永久に言う機会が訪れないかもしれない。
そう思った私はさらに言葉を続けます。
「……アザミさんは、きっと、生きています。」
びくり、とユキさんが身体を震わせたのを感じます。
肩を少しだけ触れさせているだけなのに、彼女の心臓の鼓動が早くなっているのが分かりました。
「どういう、こと……?」
こちらを向いてユキさんがこくりと静かに喉を鳴らしました。
私の足の間に挟むように抱いたシュウ君が、一体何の話をしているのかとでも言いたげに、少しだけ体勢を変えてこちらに耳を傾けています。
「それは……」
チャリ
私がそう思う理由、その全てを話そうとしたその時、ガラス片を踏みしめた音が聞こえて来ました。
それはおそらくは侵入者達が立体駐車場から入る時に割った出入り口付近から聞こえて来たもので、私達はその音に肩を震わせ声を発するのをやめました。
もっとも、たとえそこに人がまだいたとしても聞こえるような声量で話してはいなかったのですが。
しかし、それは思い違いだったのかもしれません。
ゆっくりと歩む、たどたどしい足音が聞こえてきました。
それは少しずつはっきりと聞こえるようになり、また時折肺から空気が抜けたようなかすれたうめき声のようなものも聞こえて来ます。
嫌な、予感がしました。
ごつりごつりと壁にぶつかるような音もして、それはだんだんと確実に私たちのいる場所へと近付いて来ているようでした。
すでに外は朝日が昇り始めているのか、私達のいる小部屋には直接光こそ届いてはいませんがそれでもここへと逃げ込んだ時よりは大分と明るくなっています。
その逆光を受ける形で、その音の主が私達のいる部屋の入り口に姿を現しました。
そのシルエットを見た私は少しだけ息を吐きました。
長い緊張状態から、その警官制服のシルエットを見たことで何処か安心してしまったのでしょう。
ああ、助かったんだな、という希望の方へと流されてしまったといってもいいのかもしれません。
しかしそれはすぐに間違いであることに気づきます。
声にならない声を出しながら、ゆらりと頼りない足取りでそのシルエットは一歩ずつ私たちの方へと近付いて来て、それを見た私は"それが何者であるのか"を理解しました。
「っ……」
同時に、ユキさんもそれを理解したのでしょう。
息を呑み、肩を一度びくりと震わせて、しかし彼女は恐怖からかその場から動けずにいました。
目の前の感染者は、私とシュウ君の方向とは僅かにズレて、こちらへと向かって来ていました。
それは何故だか明確に、ユキさんに狙いを定めているのだ、と感じさせるものでした。
暗い部屋の中でも感染者の視線を感じ取っていたのか、ユキさんはずりずりとお尻を床につけながらも、私とシュウ君から離れ部屋の隅の方へと移動していました。
それに伴うように、感染者の視線が私達から逸れているのを感じます。
「にっ、逃げて……」
ユキさんが、蚊の鳴くような声でそう言いながら、上手く立てないのか壁を背にしながら両手を使って身体を持ち上げました。
このままでは、ユキさんが、感染者の手にかかってしまう。
ハアハアと荒い息を吐く音が妙に耳に響き渡り、それが自分のものであると気付いた時には、私はいつのまにか立ち上がり感染者に飛びかかっていました。
とても不恰好に、ただ自分の体重を預けただけの、体当たり。
もつれるように私は感染者の上になりながら、ごつりと腰のあたりで音を立てながら倒れ込みました。
その音の発生源が何だったのか。
私は何故だかそれをはっきりと理解していて、すぐさまそこに手を伸ばしました。
ユキさんは、いつも素敵で、私は彼女に甘えてばかり。
きっと、無理をしているのだろうけれど、それでもユキさんはいつも笑顔で明るく私を元気付けてくれています。
そんなユキさんが、こんな所で感染者にやられていいはずがありません。
私は少しでもその恩に報いるために、ユキさんを、守りたい。
熱い。
その熱さは、そんな自分の気持ちの表れだったのでしょうか。
その熱さを携えたまま、私は感染者の腰にある拳銃を引き抜きました。
ゴリリ、と音がする程それを感染者の頭に強く押し付け、私はその引き金を引きました。
パン
一度、はっきりと床に押し付けた感染者の頭が揺れ、嫌な感触と共にごとりと音がしました。
パン
動かなくなった感染者の頭に銃口を押し付けて、ホームセンターでアザミさんに教わった通りに、もう一度。
「はっ……はっ……」
息を荒くして、警察官の死体に跨ったまま下を見れば、その頭は横が不自然にえぐれ、それはきっと先程まで暗かったデパート内で、侵入者があの時とどめを刺し損ねたのではないかと思われました。
そのせいで私はこうして、感染者を、殺してしまった。
今までお世話になってきていた警察官の方を、もう一度、殺してしまった。
そんな怒りや悲しみを内包した感情がふつふつと芽生えたせいなのか、先程私が感じていた熱さはなおも私の腕から離れませんでした。
だけれど。
ともあれ私は、感染者を、殺すことが出来ました。
同時に、ユキさんやシュウ君を守ることも。
その安心感からか、途端に拳銃を握った手に力が入らなくなりました。
腕が、熱い。
「か……カエデ、ちゃん……」
「カエデ……ねえちゃん……」
その声に振り返れば、ユキさんは口を抑えて、シュウ君は目を震わせて私を見ているのがわかりました。
ああ、二人を守れてよかったな。
そう思い笑顔を作ろうとしたとき、熱のこもった腕にじくりと痛みが走り、顔を引きつらせます。
二人の視線は何故だか私の顔ではなく腕の方を向いていて、それに気づいた私が見たものは、あの日の母のように服が不自然に破け、そこから覗くえぐれたような傷口から流れる自分の血液でした。




