百一話
パカリとフルフェイスヘルメットのシールド部を開けて、織田さんを見る。
そこから俺の顔を認識出来たのだろう、織田さんは呆気に取られたかのように目を見開いた。
「柳木さん、なのか……?」
「……久し振りだな、織田さん。」
「どうしてここに……いや……」
織田さんは俺の顔を確認すると、ちらりと一瞬階下に倒れ伏す数々の死体を見て、今一度俺へと視線を戻す。
その顔に浮かぶのは困惑した表情と安堵の表情、そして先程と同じく何処か苦しみを携えたような表情だった。
俺が略奪者共を殺して回った時、織田さん含む警察官達が浮かべていた表情は恐怖の感情そのものだった。
その現実離れした暴力がいつ自分に降りかかるかもしれないと思えばそれは仕方のないことだろう。
しかし最後まで略奪者だけに向けられていたその蹂躙が終わった時、織田さんだけは畏れだけではなくまた何か違う感情がその顔に含まれていたような気がする。
思えば、エスカレーター前でもこの非常階段前でも、間違いなく戦闘が行われている形跡があった。
織田さん含めて警察官達は略奪者共に応戦したのだろう。
でなければ容赦のないこいつら相手ではすぐさま占拠されているはずだ。
それはつまり彼らの殆どは、今日この瞬間、生きている人間を傷つけそして殺したということだ。
織田さんのこの表情は、それを思ってのことなのではないだろうか。
目の前に溢れた死、仕方のないこととはいえその一端を自分も担ったことに対する行き所のない気持ちなのだろう。
「……まあ、細かい話は後だ。さっきエスカレーター前のやつらも粗方殺した。やつらの侵入経路は後は立体駐車場か?」
しかしそんな織田さんの事情も、また聞きたいことが山程あるだろうことも、その全てを無視して俺は簡潔にそう聞き返した。
エスカレーター前とこの非常階段周辺の略奪者どもは片付けたがその全てを排除したわけでは無い。
呑気に世間話に花を咲かせている場合でも無いだろう。
織田さんもそれを分かっているのか、その顔に未だ狐に化かされたかのような表情を浮かべているものの、すぐさま答えが返って来た。
「……6階の駐車場の方は元々表と裏から完全に塞いであって侵入をしようとしているような感じも今の所ない……それより、雪ノ下さんとカエデちゃんが、まだ避難していない!部下二人が出て行ったが、まだ連絡が来ていないんだっ……!」
織田さんのその言葉に、俺は眉をひそめた。
真っ先に浮かんで来たのは、守ると約束しただろうという、そんな怒りにも似た感情だった。
しかし申し訳なさからなのだろう、悲痛な面持ちの織田さんを見てそれを頭から振り払う。
部下二人とはスキンヘッドと髭面のあの二人だろう。
ここまで彼らの気配を感知しなかったからな。
彼ら二人も俺とその約束をした、だからこそ無謀を通り越したような死地へと向かったのだろうし、織田さんもそれを止められなかった。
ただでさえ人手の足りない中そんな決断をした織田さんをさらに責めるなど出来る訳がない。
それにそもそもカエデとユキが避難できていないのはおそらくは彼らのせいではないはずだ。
未だ状況が飲み込めていないのか、俺と織田さんの顔を交互に見る他の警察官達を尻目に、俺はさらに質問をする。
「どうやら時間がないようだな……一つ聞きたい。俺がここを離れてから、新たな避難民はいるのか?」
「小三の男の子と、その父親の二人だけだ。その子もまだ避難出来ていない。父親は今日立体駐車場で見張りに立っていた、だがそちらからの連絡はもう途絶えている……」
織田さんはきっと俺のその質問の意図が掴みきれてはいないだろうが、しかし求める答えを全て答えてくれた。
ややこしい問答など無しにそれを行ってくれたことに感謝し、また彼がいつも迅速に的確に判断を下していたことを思い出す。
「分かった。ならそれ以外は、全て敵ということでいいんだな。」
その答えに満足して、俺はそう言うと後ろを振り向いた。
「織田さん達はこのまま守りに専念していてくれ。あとは……俺が全て片付ける。」
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俺がわざわざ織田さんに声をかけたのは、避難状況を知っておきたかったからだ。
俺はこのような狼藉を働くこの略奪者共を生きてここから返すつもりなど毛頭なく、全て殺し尽くそうと思っていた。
しかしここにたどり着くまでに感じていた散在する気配が全て略奪者のものという保証はなく、問答も無しにそれを斬り伏せる訳にはいかない。
だからこそ"常在戦場"に登録されていない新たな避難民のことを聞いたのだが、返ってきた答えは一人は子供、一人はもうおそらく死んでいるのではないかというものだった。
それならばもう5階から下にいるものに対しては遠慮はいらないということになる。
後は行方の知れない五人の安否が気になるところだが、これはフロアを回りながら気配感知で探していくしかあるまい。
織田さんの制止の声を無視して俺は非常階段を飛び出し五階のフロアにいる略奪者共を斬って回りながら、まずは立体駐車場へと飛び出し6階の入り口が無事なことを確認する。
そのまま五階に戻り見ていなかった逆側の方へと移動し、吹き抜けになっている中央部分から4階へ。
そして4階を回っているときに、階下に知った気配を感知した。
スキンヘッドと髭面の二人の気配だ。
またその周りには知らぬ気配もいくつかあって、どうやら囲まれているようだった。
激しい戦闘音は聞こえてきてはいないから、状況からして一度見つかり隠れているというところか。
すでに外では朝日が昇り始めていて、ガラス張りのデパート内には僅かだがその光が射し始めていた。
これではじきに見つかってしまうだろうと、俺は移動を開始する。
「こいつが例のっ……!」
「こっ、殺せえっ!」
すでに俺の姿を無線か何かで周知させていたのだろう、その場に辿り着くと一斉に略奪者共から鉛玉が浴びせられた。
激しい銃声が鳴り響くが、しかしすぐにそれらはやつらの悲鳴へと変わる。
「……二人はそのまま隠れてろ。カエデもユキも子供も俺が探す。」
周辺にやつらの生き残りがいないことを確認すると、二人の隠れているテナント内に近付いてはそう小さく声を出して、その返事も待たずにその場を後にする。
と、その時、二発の銃声がデパート内に響き渡った。
それは上階から聞こえてきたものではなく、だからこそ俺はすぐにその方向へと急いだ。
織田さんの部下二人の場所は分かっており、となるとこの銃声はカエデ達が関係している可能性が高い。
「くっ……」
略奪者の殆どは殲滅しているはずだが、生き残りに見つかってしまったのだろうか。
だがこいつらは女を欲していたはずだ、ならばそう簡単に殺したりするような真似はしないはず。
いや、すでにこのような状況になってしまっている以上、そんなことを思慮する余裕などないかもしれない。
そう頭を巡らせながらも、どうか無事でいてくれと願わずにはいられない。
その願いが通じたのか、出入り口近くに、生きているカエデとユキ、そしてもう一つの気配を察知する。
どうやらそのテナントの奥まった場所に隠れているようで、争うような音も聞こえてこないから、おそらくはその知らない気配も例の子供の気配なのではないかと思われた。
静かにテナント内に足を踏み入れる。
その奥の小部屋まで点々と血の跡が付いていて、ざわざわとした嫌な予感が胸にこみ上げてくる。
「っ……」
そしてその部屋に着けば、俺の姿を見た三人の小さな声にならない息を飲むような悲鳴が聞こえた。
入り口には、頭を何度か撃たれ仰向けに倒れている警察官の死体があった。




