世はクリスマス、その時僕は魔王城に居た。
僕はこの魔王城の主、魔王。
先代が勇者によって倒されたので、その子どもだった僕は十二歳という若さで魔王になった。
「いいなぁ…………」
僕は自分の執務室の窓から、煌びやかな城下を見ていた。
街並みは至る所にイルミネーションが施され、道行く人々は愛する者と肩を寄せ合い歩いている。大通りに面した店にはクリスマス限定の商品が並んでいる。
あ、店員がサンタに仮装してる!
とっても楽しそうだ。僕もあそこに居られたらなぁ。
―――トントン
扉をノックする音が響く。
誰だろう?
「どうぞ」
僕は入室の許可を出す。
―――ガチャリ
「失礼します魔王様」
入って来たのは、銀髪の凛々しい顔立ちをした女性。
メガネをかけて、手には沢山の書類を持っており、とっても賢そうな雰囲気を醸し出している。
彼女の名前はリタ・フレグランス。名前の通り、毎日とっても良い匂いのする香水をつけている。
彼女は、先代の頃から魔王の秘書をしてくれている。
今は僕の秘書として、僕の至らないところを注意してくれる有り難い人だ。
「リタ姉ぇ――あ、いや違った。リタさん」
僕が“リタ姉ちゃん”と言いそうになると、彼女が睨んで来た。
彼女は昔に僕の教育係をしてくれていた事もあって、僕にとってはお姉ちゃんみたいな感じ。
だけどリタ姉ちゃんは、“魔王らしい振る舞いを”と言って毎回リタ姉ちゃん呼びを訂正してくる。
「魔王様。追加の書類を持って参りました」
「ねぇねぇ、リタさん」
「なんでしょう?」
「僕も城下に行ってみたい」
行ってみたい。途轍もなく。
「ダメです」
「なんでさ」
「魔王様が城下に行かれるとなると近衛の兵を護衛に十人ほど用意し、王専用の馬車を道のど真ん中に走らせ、道行く人々にその道を開けさせ、更には馬車が過ぎ去るまで拝伏させて待たせる事になります。
宜しいのですか? あんなに楽しそうにしてるのに」
「…………うん、いや、そうじゃなくてね。
僕はお忍びで城下に行きたいんだ」
「それでも無理です。明るくて楽しいだけが城下ではありません。魔王様を狙う輩も居る可能性があるのです」
「い、いいじゃん! ちょっと行くだけだから!」
「何にせよ無理です。護衛はどうしても必要になりますし、魔王様が居ると知れれば城下はたちまち大混乱に――」
「――ああっもう、分かったよ!
いいよ、此処で書類仕事してるよ! してればいいんでしょ!! もう、仕事するから出てってよ!!」
「…………では、失礼します」
―――ガチャリ
リタ姉ちゃんが出て行った。
「…………はぁ」
リタ姉ちゃんが教育係だったときには、彼女は僕のワガママを良く聞いてくれた。夜寝るのが怖かった時は一緒に寝てくれたし、道に迷った時も真っ先に僕のもとへ駆けつけてくれたり、トイレに行くのが怖かったときも文句一つ言わずについて来てくれた。
もちろん、悪い事をすると叱ってくれたりもして……
リタには本当にお世話になって、いや今もか……。
「何も、怒鳴りつけること無かったなぁ…………」
心に妙な物悲しさが積もっていく。
僕は薄暗い執務室で書類にペンを走らせる。
彼女に仕事をすると言った手前、もうやらない訳には行かない。
「これで、もう城下には行けないな……」
外は、爛々と輝いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
此処は魔王城内の上層部、魔王の執務室へと続く廊下。片側には窓や壁が無く、天井を支える柱のみが立っていて、その間から見える満点の星空には軽い感動を呼び起こされる。
―――タンッ、タンッ、タンッ
そんな、月明かりに照らされた城内の廊下。
その廊下にて、誰かが早足で歩く音が鳴り響く。
この足音の主はリタ・フレグランス。
魔王の秘書をしている女性。
早足で城内の廊下を駆け抜ける彼女の顔には、暗に急ぎの用事があると告げていた。
普段の彼女ならば、こんな事はしないだろう。
普段の寡黙で真面目な彼女ならば、むしろこの行為を諌める筈だ。
では、何故彼女がこのように取り乱しているのか。
それはきっと、まだ彼女にも分からない。
リタは魔王城にある一つの扉に手を掛ける。
そこは、魔王城で働くメイド達が安らぐ為に用意されている部屋。
―――バタンッッ!
リタは勢い良く扉を開ける。
「皆さんっ、協力して下さいッ!」
扉を開けて開口一番がそれだった。
部屋の中に居たメイド達は非常に困惑している。
リタが急にこの部屋に来た事も、
急に協力してくれと言って来たことも。
ひとまずリタを落ち着かせようと、
この部屋で一番年を召したメイド長イザベラが言葉を発する。
「ひとまず落ち着いて、リタ」
「イザベラさんっ! 協力して下さいッ!」
「だから一旦落ち着きなさいな、話はそれからよ」
イザベラは近くの棚に在ったティーカップを取り、ポットから紅茶を注ぐ。
それをリタの前に差し出した。
「むぅ…………」
リタは不満顔をしながらも、差し出された紅茶に口を付ける。
「どう? 落ち着いた?」
「はい……」
「そう、良かったわ。
それで、協力して欲しいことって?」
「実は――」
彼女は自分の思いをイザベラに話す。
周りで聞いていた他のメイド達も最初は顔に緊張を走らせながら聞いていたが、徐々にその顔には暖かな微笑みが増えていく。
「――なるほどね。
それで私達に協力して欲しいのね」
「はい」
「…………ふふっ」
「な、何かおかしいでしょうか……?」
「いや……リタにもちゃんと可愛らしいところがあるのね、と思っただけよ」
「ど、どう言う意味ですか?」
「何でもないわ。
それよりも、貴方の話の続きをしましょう。
先ずは……そうね、とりあえず場所は――」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
僕は書類にペンを走らせている。
リタ姉ちゃんに怒鳴ってからかなり時間が経ったが、未だ悶々としたままでイマイチ仕事が進まない。
―――トントン
執務室の扉をノックする音が聞こえた。
また誰か来たみたいだ。
「どうぞ」
―――ガチャリ
「し、失礼します……」
「へ……?」
入って来たのは、リタ姉ちゃんだった。
いつものようにキリッとした感じがなく、何処かオドオドしている。
彼女は目を右往左往させながら、言う。
「ま、魔王様……少しお時間宜しいでしょうか……」
「う、うん…………良いけど……」
何だろう、何でリタ姉ちゃんはこんなに所在なさげにしているんだろう。
もしかして、さっき僕が怒鳴っちゃったのが関係してる……? 魔王らしくしなさいとか言われて、怒られちゃうのかな……。
僕はリタ姉ちゃんの後ろをついて行き、案内されるまま廊下を進む。
さっきまでと打って変わってリタ姉ちゃんは安心した様子で前を歩いている。
今度は僕がオドオドする番になった。
何だろう……今度から毎日城下の見えない部屋で生活しなさいとか、仕事だけしてればいいとか言われちゃうんだろうか……。
あぁ、もしそんなことになるなら無理矢理にでも城下に行くべきだった。あの楽しそうな街並みを思う存分楽しみたかったなぁ……。
僕とリタは一つの両開きの大きな扉の前に着いた。
「此処です」
リタ姉ちゃんに案内されたのは、魔王城内のダンスホールだった。此処は魔王城で一番広い場所だ。
でも、何でダンスホール……?
―――ガチャリ……
リタ姉ちゃんがゆっくりと扉を開けた。
その先には……
「わあぁぁ………………!!」
クリスマス仕様にイルミネーションされた色鮮やかなホール内。
上を見れば大小さまざまな雪の結晶が宙に浮いて輝いていて、壁にはサンタクロースがトナカイにソリを引かせながらプレゼントを撒く様子が描かれている。
ホール内にはテーブルクロスが掛けられた丸テーブルが五十ほどあり、その上には色とりどりの料理が並び、沢山のジュースが置かれ、綺麗に飾り付けられたミニツリーが華やかさを生み出している。
ホールの中には魔王軍の人たちも沢山居て、テーブルの上にある料理を一心不乱に食べまくる人や、宙に浮かぶ雪の結晶を掴み取ろうと飛び回る人や、壁に新たに色々な絵を描いている人などがいる。
「申し訳ありません」
「え……?」
リタ姉ちゃんが急に、申し訳なさそうに謝ってくる。
「どうしても、魔王様を城下に出してあげることは出来ません」
「え、ああ……うん」
「ですので、魔王城でパーティーをすることにしました」
「……………………」
「…………やはり、これではダメでしょうか……」
リタ姉ちゃんが心配そうな目で見てくる。
“これじゃダメ”……?
僕のことを考えて此処までやってくれたのに……?
短い時間で奔走して頑張ってくれたのに……?
……そんなわけないッ!!
「リタ姉ちゃんッ!!」
「――ッ!」
僕はリタ姉ちゃんに抱きつく。
「ありがとう、ありがとう、リタ姉ちゃん……!」
嬉し涙が出て来ちゃう。
顔がクシャクシャになる。
僕はその顔をリタ姉ちゃんに見せたくなくて、顔をリタ姉ちゃんの服に埋める。
「ふふっ…………」
リタ姉ちゃんは微笑みながら、僕の頭を優しく撫でる。
いつの間にかホール内はとても静かになっていた。
料理を配膳するメイドも、料理の食べ比べをしていた兵士も、飾り付けに手入れをしているメイドも、空中に雪の結晶を浮かべていた兵士も、
みんなが魔王たちを微笑ましい目で見ていた。
「魔王様……パーティーはまだ始まったばかりですよ。今宵は城下よりも盛り上がっちゃいましょう!」
「うんッ、うんッ……!」
僕はリタ姉ちゃんから体を離し、ホールに向き直る。
「みんな! 今日は沢山騒ぐぞぉぉぉ!!!」
「「「――ウオオオオオオオオォォォ!!!」」」
ホール内は一気に熱に包まれる。
突如として陽気な演奏が始まり、それに合わせて皆が歌い踊る。肩を組み合い声を合わせて歌いゆく。
その様子に魔王は目を輝かせて“自分も”と思い、リタの手を取って踊りの輪に加わっていく。
世はクリスマス、
若き魔王とその秘書は、魔王城で歌い踊る。