09.犬とヴァルハラ
北欧神話の女神フレイヤは名の無い2匹の猫が曳くチャリオットに駆っている。こちらは祭礼に赴く時に使うもので、戦場へ赴くときは猪のチャリオットに乗った。
チャリオットの文化は遥か昔にノルマン人の地域にも伝播したが、オーセベリ舟墓にあるようにヴァイキングの時代には四輪の馬車が使われるようになっていた。
猫に関する北欧の文献としては最も早いもので13世紀のヴァトンスダールルサガに猫を20匹飼う地獄の男が登場する。また同じく13世紀のスノリのエッダにはウトガルザ・ロキの飼う大きな猫(※ミドガルズオルムが変化したもの)が出てくる。
前者は当時のアイスランドのヴァトンスダールル近辺に猫が多く見られたことから来た説話だろう。アイスランドに在来種の猫はいないので、つまりヴァイキングが猫を連れてきて繁殖させた。
他にもアイスランドサガの中のエーギルのサガには森で猫を拾う話がある。ただ一度の活躍の後で猫の存在はフェードアウトしてしまい、飼う様子は見られない。
スウェーデンのウプサラにある恐らくヴァイキングのものとされる墳墓の一つには、猫の骨が発見されている。ここに埋葬されている他の動物はみな家畜であり、猫も家畜であったと考えられる。
ヴァイキングによる猫の毛皮の利用は、エイリークのサガで触れられる猫皮の手袋やギャロウェイ定住地の猫骨などいくつかの史料に伺える。猫は毛皮のために飼育され、大きくなったら屠られた。
猫の毛皮は中世盛期のヨーロッパで需要があり、ヴァイキングの商売道具の一つになった。白い毛並みであればより価値があった。同様に白い犬も魅力的な象徴だったが、ヴァイキングにとって犬は大切な隣人だった。
スノリのエッダによれば犬は犬小屋で飼われていた。ガウトレクのサガには首輪が付けられていたとある。
またオーラヴ・トリュグヴァッソンの最大のサガによれば、ヴァイキングたちは多くの数の犬を飼うという習慣があったとされる。実際、ノルウェーのゴクスタ舟墓やラドビー舟墓をはじめ複数頭の犬や馬の骨が墳墓から発掘されるケースは多い。
犬や馬の肉を食べることは忌避されていて違法だった。デンマークのロスキレ年代記には、オーロフ1世の時代、9年間続いた飢饉の際に法令を無視して食用にされたとある。
ヴァイキングの狩猟犬は北欧のエルクハウンド(※言葉通り鹿追い犬)として、牧羊犬はブーフントやヴァルフントとして現代に続いている。
狩りの対象はアカシカやビーバー、猪などだった。鷹と共に野鳥を獲るときは鷹が落した野鳥を拾って持ってきた。
牧羊犬は羊や牛を追うのだが、羊が商業的にそこまで重要な位置になかった初期中世において犬たちは主に牛を追った。ヘイムスリングラにあるオーラヴ・トリュグヴァッソンの愛犬vigiも元々は数百の牛を追う牛追い犬である。北欧に羊がいなかったわけではなく、墳墓で時々羊の骨は発見されている。
牧羊犬は番犬としても役立ち、エーギルのサガには熊に襲われないように大きな牧羊犬を飼う羊飼いが描写されるが、グレティルのサガには農場の羊を襲う熊に対して何も出来ない犬が描かれている。
アイスランドの犬といえばアイスランドシープドッグである。この犬は体高45cm程度で毛並みはちょっとモフモフしている。
この犬を含むほぼすべて(※熊や狐および海生哺乳類を除く)の哺乳類は、9世紀頃、ヴァイキングがノルウェーからアイスランドに連れて来た。北欧の伝承に出てくる犬はいずれも立ち耳で尻尾を巻いた体高30-65cmのスピッツ系統の犬と考えて良いだろう。
前の章で書いたようにスピッツ系の犬種は北欧からウェールズに入植してウェルシュコーギーになった。北欧由来の動物の似た例としてはグリーンランドのグリーンランドドッグや、イングランド北部カンバーランドのハードウィック羊が該当する。
バイユーのタピストリーにはヴァイキングの船に乗る垂れ耳犬の姿が描かれている。この垂れ耳犬はイングランドの犬種であろう。
犬は犬飼いに抱えられて一頭一頭船に乗せられた。船上において貨物や家畜は船の中央部に集められていた。家畜を纏めておくのに犬は有用だっただろう。
他にハルフダン・エイステインソンのサガを見ると愛玩犬のように小さい犬が出てくるが、非常に獰猛で何人も引き裂いているので愛玩犬の参照にならない。
ヴァイキング墳墓の中に大抵発見されるのは犬の骨である。より価値があり大切な狩りの友である馬の骨が女性の墓に見られないにもかかわらず、犬の骨は発見されている。
イブン・ファドゥーンが記述する、夜のうちに捧げ物の牛や山羊や羊を犬が喰らうことで神が聖餐を受け取ったこととする習慣からも宗教的に犬が欠かせなかったものと考えられる。
飼い主とされる人物が死んだとき、犬たちは斧によって真っ二つにされるか八つ裂きにされて殺され船の中に放り投げられた。副葬品に貴重な器物があればその上に死骸の一部が乗せられた。
そうして犬は死んだ主人を冥府の河ギョッルの向こうへと導いた。そこには死者たちに割り当てられた住居がある。ワルキューレによってヴァルハラへと連れて行かれる英雄の魂を除けば、死後の世界の暮らしは明瞭では無い。しかし貴重な品々や多くの家畜たちは、豊かな者たちの死後の生活を豊かにしたのだろう。