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02.古代ギリシャ──イスカンダルの犬

「アレクサンドロス大王は自ら育てた愛犬ペリタスが死んだとき、都市を建設して愛犬の名前を付けた」

──プルタルコス「対比列伝」


 紀元前4世紀末にマケドニア領だったシドンで発見されたアレクサンドロス石棺の一面──獅子狩りの彫刻には主人と共にライオンを襲う犬の姿が彫られている。

 また同時代のマケドニア王国貴族の墓とされるカスタ墓には、犬と共に鹿を狩猟する壁画が残されている。どちらも見た目からグレイハウンド系の犬種とされる。

 古代ギリシャには多くの犬種がいた。

 アレキサンドロス大王の教師アリストテレスは、その著作「動物誌」において大型のモロティア犬、ラコニア犬、エペイロス犬、そして小柄なマルタ犬の四種を挙げている。このうちモロティア犬は大型で、羊の番犬に適していたという。(九巻1章)現代のマスティフの系統であろう。

 そしてラコニア犬は10歳程度の寿命を持つ狩猟犬で狐と犬の雑種という。(六巻20章・八巻28章)

勿論、犬と狐に雑種は生まれない。古代ギリシャには、狐は足の速さで犬に勝るという考え方があるので、足の速さに優れた犬なのだろう。実際にはグレイハウンド系種で、同種のクレタハウンドに近似していた。


 クセノポンの著作「狩りについて」を読むと、当時の犬を使った兎狩りの様子を窺い知ることができる。

 その最初の部分では、犬たちの鼻を使って追跡していく過程での、兎の仕草や動作パターンを綿密に書いている。このとき犬には首輪、革のリード、身体を守るための腹帯を身に着ける。首輪は犬の毛をこすらないように柔らかくて余裕があるもの。リードの革紐には掴むために結び目のこぶを作っておく。腹帯も幅に余裕のあるものにする。

 狩りに出掛ける際、犬は健康のために満腹にしていなければならないし、狩りには三日置きに連れていかなければならない。そして強風の日は臭いが飛んでしまうので骨折り損である。

 犬たちを森につれて行って犬が兎を追跡し始めたら、適度に名前を呼ぶようにする。兎が近くに迫ると犬は尻尾だけでなく全身を震わせて狩人に伝え、鳴き声を上げながら再び兎を追い、狩人は鳴き声を追いかける。

 最初のタームで見失ったら犬を呼び戻して別の獲物を狙い、そうでなければ諦めずに犬を追いかけるべし。再び兎に遭遇出来たら犬を沢山褒め、そうでなければ走り続けて、犬が臭いをロストしたら呼び戻して諦める。

 また匂いが強いとき犬が競い合わないようにすることや、犬は兎の近くに来た時に吠えたり跳んだりして狩人が追いつくまで兎をビビらせること。犬が疲れてきたり日が沈み始めたら狩人自身が兎を探さなくてはならないこと。また犬が空腹になったら狩人自身が餌を与えることに触れている。


 狩猟犬の育成については、繁殖の段階から準備して子犬が産まれたら母犬と一緒に過ごさせる。最初の一年間は母犬の母乳を飲ませないとならない。重い食べ物は足を歪ませてしまう。

 子犬は生まれて八か月で最初の狩りに参加させる。十か月目までは長い革紐に繋いだままにしておいて、他の犬を追いかけさせ、臭いも覚えさせるという。


 ほか、クセノポンは狩猟犬の名付けについて43個もの例を挙げている。

 ある程度意味を併記すると、プシュケ(生命)、テュモス(勇気)、ポルパクス(盾)、ストゥラクス(栓)、ロンヒ(槍)、ロコス(軍隊)、フルーラ(護衛)、フィラクス(守衛)、タクスィス(兵士)、シーフォン(剣士)、ポイナクス(フェニックス)、トラレス(太陽神ヘリオスの戦車を引く馬)、アレケー(戦い)、テゥフォン(実行、準備)、フゥレウス(?)、メダス(狡猾)、フォソン(妨害)、スペルフォン(迅速)、オロゲー(怒り)、ブレウモン(吠えるもの)などで、狩りや戦いに関わる意味が多い。


 ライオンを狩る犬の描写は、大プリニウスの博物誌にある。

 アレクサンドロス大王がインド遠征の際にアルバニア王に貰った150匹の大型犬の話である。

 力試しのために借りた三匹の犬はクマや猪や鹿には相手にならないと見向きもせず、大王は怒って一匹を打ち殺した。しかしアルバニア王の勧めに従い強い敵──ライオンを用意すると犬は一瞬でライオンを狩り、次に象を出すと犬は周囲を跳ね回って攻撃し、象は目を回して倒れたという逸話であるが信憑性はない。


 犬が戦場に赴く描写はストア・ポイキレの遺跡に描かれたマラトンの戦いの壁画にある。壁画の中では一匹の犬が重装歩兵の合間を非武装で縫うようにして走っていた。

 そうではなく戦場に赴く主人を家族とともに見送る犬の姿も古代ギリシャのテラコッタに刻まれていた。陶器の表面に刻まれた犬たちは大抵狩りをしたり子供と遊んでいた。



「オデュッセウスが豚飼いのエウマイオスと相談しながら自宅に迫ると、オデュッセウスの狩猟犬アルゴスは眠りから醒めて顔を持ち上げ耳を欹てた。かつてアルゴスはヤギや鹿、兎に対して猟犬たちを率いていたが、彼の主人がトロイに旅立った後、喜びを失くしていた。

 彼は屋敷の扉の前に積み重ねられた堆肥の上に横たわった。奴隷たちによって彼の広い庭には堆肥が積み重ねられていて、彼はノミに集られていた。主人を見て、アルゴスは耳を横にして尻尾を振ったが、主人の元に近寄る気力は残っていなかった。オデュッセウスは涙をぬぐうとエウマイオスに事情を尋ねた…。(略)

 オデュッセウスが自宅の広間に向かった後、アルゴスはその二十年目の再会を果たして寿命を終えた」

──ホメロス「オデュッセイア第十七巻」


 ギリシャの飼い犬は、屋内ではなく庭で飼われていた。当時の著作には、飼い犬が木の下でくつろぐ描写や屋敷の入り口を守る描写もある。ただし犬小屋は確認できない。

 しかし図版によれば少なくとも人の食事中に犬は屋内にいた。幾つかの図版では、寝台に横になっている人間の傍で犬が蹲っている。

 犬の餌の一つには、指拭きパン──食事中、ナプキン代わりに使われたパンが提供されたと、ローマ時代の古代ギリシャ研究者ユリウス・ポッルクスはいう。ときには食後の皿を嘗め回したりもしていた。ギリシャ人は食事の時に寝台に横になるので図版は食事中だろう。

 犬は食事中、そして家庭次第で雨の日も屋敷の中にいただろう。


 イソップ物語には、犬や猫の首輪に鈴をつける話がある。少なくとも飼い犬と飼い猫は様々な地位の人間が飼っていて、ご主人が出掛ける時には首輪に付きのリードを引かれて付き合っていた。そして恐らく立ち話しているときなどに犬が勝手なことをしないように鈴が付けられていた。

 何かと犬が噛みつく話は別に幾つかある。ただ地獄の番犬ケルベロスに鈴は付いていなかったようだ。

 時々文献に出てくる犬の日は犬の祭日ではなく、夏の暑さによって野良犬が野垂れ死に、病気をまき散らす日である。



 ギリシャの猫は紀元前二千年世紀半ばにエジプトから伝わったようで、ミノア文明の出土品に猫が描かれている。そしてイソップ物語にあるようにネズミを捕まえることを目的としていた。ただしこの役割はイタチにもあって、物語の中で何度かイタチがネズミを食べる描写がある。

 アリストテレスの動物誌によれば、猫は寿命六年の生き物で、業務的に飼育されていたという。当時の文献を見ると、犬と比較して飼い猫の記述は少ない。

 ギリシャ喜劇の中には食べ物泥棒をする描写がいくつかある。とはいえ犬にもチーズ泥棒の罪を問われる茶番が「スズメバチ」というアリストファネスの喜劇にあるが。

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