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10.中世の犬─14世紀初頭まで─

 アイルランドのフィン神話群の中で、フィンは何度となく猟犬ブランとスコランを連れて狩猟に赴いている。彼らアイルランド人は旧来通り槍を使っているが、中世盛期に入ると他の地域では弓矢も使うようになった。そして狩猟に使う犬種もリーダーとサルーキとその他だけでなく、目的に応じて多様な品種を使うようになる。

 フランスの武勲詩やドイツの法律文書などにそれを示すテキストは幾つかある。そこではグレイハウンド系の猪狩り犬vautre、グレイハウンド系のサイトハウンドlévrier、セントハウンド犬のブラッドハウンドlimier、セッター犬として働くポインター犬braque、鷹の落とした獲物を獲る鷹狩犬、そして普通の犬が区別されている。


 初期中世の際に触れたビーバーは川の中に住んでいるから魚であるという考えから、肉を食べてはならない四旬節の規制対象外だった。ビーバーは犬によって狩猟された。ただし狩猟する権利があるのは王の許可を持つ者だけであり、森林官が森の動物たちを管理していた。森の中の動物を盗んだ者がいれば、森林官は猟犬を連れて追跡して捕まえた。

 盛期中世のヨーロッパでは森林開墾が進んだ結果、領主層が自由な狩猟のために森林保護を始めた。その中でもイングランドでは1066年のノルマンコンクエストの後、最も厳しい規制を行った。

 ノルマンディー公ヘンリーは自身のイングランドにある領地の森林(に住む狩りの獲物たち)を保護するため、その近くに住む全ての犬たちの爪の一つを切り落としたという。(※野生動物を傷つけさせないため)

 1184年には国王であるヘンリー2世が、王の御料林(forest)には許可なく犬を連れて入ってはならないと定めた。

 事実、貴族たちは狩猟に熱心で、第一回十字軍の際にも中東で狩猟するために自身の犬や鷹を船に乗せて連れて行ったという。ギベール・ド・ノジャンの回想録によれば、荷馬車が不足していたため、犬たちはその代わりに適当な大きさの荷物を運ばされた。 またイングランド王ウィリアム2世は狩猟の最中の誤射で死んだ。


 聖エドマンズ修道院の年代記によれば修道院は領主の猟犬の世話を義務付けられており、僧侶たちは表立って狩猟を行わず、「僧侶たちは貴族の狩猟の観戦はしていたが、狩猟をしているところを見たことが無かった」とある。聖オールバン修道院や聖ピーターバラ修道院などの他の修道院も同様で、狩場もその近くにあった。

 1315年にローズデール女子修道院で愛玩犬を禁じたように、僧侶たちが個人的に犬や他の動物を飼うことは禁じられていることもあった。

一方でサリンベーネの年代記によれば、聖フランスシコの会派の僧侶たちは聖フランシスコと彼のキジほどでは無かったが、犬や猫、鳥と遊ぶことを楽しんだという。またガリチアの聖ゴンサーロの甥は司祭を代行していたが、その日々を狩猟と宴会に費やしたという。



 小さくて毛の長い愛玩犬は貴族の女性が良く飼っていた。「トリスタンとイゾルテ」の物語では、トリスタンがイゾルデに小さな犬を贈っている。13世紀に書かれた「ヴェルジのシャトレーヌ」の物語でも小さな犬は彼女が手放すまでシャトレーヌ夫人といつも一緒にいた。

 とはいえ男性でも小型犬を飼うことはあり、ハンガリー王アンドラーシュは食事の最中でも膝の上に犬を載せていたという。


 都市民は番犬として犬を飼っていた。法律にあるように人や動物を噛んだり引っ掻いたりすることもあった。盗難があれば犬がそれを追うが、追いかけようとしない犬は盗人に向かって投げつけられた。そして古来と変わらず、包囲戦のときの飢餓の際に食料になった。


 農民も犬を飼っていたが、基本的には羊や牛を追い、そして大陸では夜間に狼から羊を守ることを目的としていた。牧夫は雇い主の許可や代理人を立てること無しに羊の群れから離れてはならず、夜には藁葺きの牧夫小屋で犬と一緒に寝ることになっていた。

 13-14世紀の農事書には時々農民と共に犬の姿が見える。そして前述のように貴族たちが森林の保護を目的として、農奴に対して飼育制限が掛けられるようになった。


 数ある史料のごく一部には、ドイツや北欧を遍歴する芸人たちが犬を使った曲芸をしていたことが示されている。例えば12世紀のスヴェレのサガには赤い犬に横棒の上を飛び越えさせる曲芸師が登場し、同12世紀のリッペ讃美歌では曲芸師と共に犬と馬が人間のような振舞いをした。

 また12世紀のアレクサンダー・ネッカムのによる自然誌、13世紀フランスのシャンソニエ・デュ・ロワの詩、そして14世紀ライン下流域の詩集カールマイネットには人間とダンスを踊る犬が示唆されている。他にも14世紀フランドルのアレクサンダーのロマンスの写本の挿絵には楽団と共に犬が描かれている。

 犬以外にも猿がジャグリングの曲芸を披露していた。曲芸師の中には火を口の中で消したりをする者や動物の被り物をする者もいて、貴族の娯楽の一つとして機能していた。


 犬の生活環境はささやかに向上した。

 18世紀の研究者ピエール・ジャン・バティスト・ルグラン・ドゥシによる「12世紀及び13世紀のコントとファブリオ」にある動物寓話「ロバと犬」の猟犬は屋外で過ごしながらも台所や居間で食事をねだった。聖オールバン修道院の年代記によれば人間が夕食を取るときに犬も食事を食べた。

 またキッツィンゲンの聖アデロガの聖人伝にある貴族の青年の飼う猟犬のように、小型の愛玩犬に限らなくとも主人の寝室のベッドの上や傍らで眠る飼い犬たちも居た。

 食事は従来通りに犬用の大麦パンを含む穀物類で、残飯や骨も投げ与えられた。

メルローズの年代記によれば、13世紀の騎士ジョン・マンセルの猟犬の食事は糠furfuresと麦粉farinaであったという。

 子犬にはミルクが与えられた。

 アルベルト・マグヌスは子犬には最初にバターミルクを与えると良いとし、また1265年のレスタ―女伯エレノア・モンフォールの記録には飼い犬にミルクを与えるために猫を購入したとある。

 ロンドンでは異教徒から買った肉を犬に与えた者には罰金を科された。

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