01.古代世界の犬と猫
1万年前に農牧が始まると、狩猟の友であった犬は羊を追うようになり、また羊の番をするようになった。こうして新たなカテゴリとして牧羊犬と番犬がこの時点で成立した。
一方、猫を飼い慣らすのは穀物の貯蔵をするようになってからである。ペットは利便性に始まるが、その必要性は必ずしも愛着に転じるというわけではなかった。
表題は中世のペットと銘打ってはいるが、歴史の連続性や時代毎の比較にも繋げるため、まずは古代のイスラエルとエジプトから始める。
「トビアが天使ラファエルと共に旅立つ時、彼の犬も出てきてついて行った」
──聖書外典トビト記
トビト記が書かれた紀元前3世紀頃、ヘブライの人々は犬を飼っていたようである。しかし聖書の他の部分では人の死骸を食べる生き物として扱われたり、敵対する人々に準えたりしている。
「イスラエル王バシャに属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば天の鳥に食われる」(列王記16)
「犬たちが私を取り囲み、苛む者たちが群がって私を囲む」(詩篇22)
もしかしたら彼らの飼い犬だった羊の番犬ではなくパリア犬のような野犬、或いは敵対するベドウィンたちの飼い犬を指して酷評していたのだろうか。
ベドウィンの犬はカナーンドッグあるいはその祖先の犬種群である。紀元前5世紀頃、恐らく間引きか宗教的な理由でアシュケロン犬墓地に埋葬された多数の子犬も類似した犬種だったという。
とはいえ犬を侮辱の言葉として使うことがいつの時代にも見えること、当時が当然のように野犬のうろついている時代だったことを考えると、彼らが自身の番犬に対して、さほど愛情を向けていなかっただけとも捉えられる。
また聖書には猫に関する記述が全く無い。飼っていなかったのだろう。
古代エジプト人が犬に向ける愛情は対照的である。
「かの犬は主人の護衛役だった。アヴティユーが彼の名前である。彼の主人は、かの犬が墓に埋葬される際に王家の宝物である棺、良質なリネン布、薫香を授けることを命じた。主人は香油を塗った後、石工の集団によって墓所を建てることを命じた。彼の主人は、これを彼──アヴティユーの栄誉のために行った」
資料によれば、ギザで発見された第六王朝の頃とされる墓所で発見された犬のミイラを包むリネン布に記されたテキストだという。
エジプト第六王朝は紀元前三千年紀、犬に関するテキストとしては最古の記録のようだ。またピラミッドにおける発見は、初期から飼い犬の壁画や犬を模った彫刻があったことを示している。
ヘロドトスの歴史において、エジプト人は家畜と同居している。(巻2.36)
※家畜でない動物は野生の動物を示す。
犬や猫は自分の小屋ではなく、人間と一緒の家に住んでいた。ヘロドトスの記述への信頼性に拘らず、少なくともパピルス絵画において猫は人間と同居していて、椅子の下や膝の上に座っているものが残っている。
犬は散歩をしているような絵画と、ガゼル狩りに同行する絵画が多い。絵画に残っているものは、その飼い主の地位故に狩猟犬として飼われてたのだろう。
古代エジプトの犬種は、クフ王の飼っていたというグレイハウンド系統に近似したチスムと呼ばれる既に絶滅した中型犬のほか、吠えないことで知られる犬バセンジ、そして垂れ耳のサルーキ(或いはスルーギとも)の祖先もいた。いずれもアヌビス神のような黒犬(※そもそも犬ではなくジャッカルとも云われている)ではなく、例えばチスムは黄褐色の短毛で現代のファラオハウンドの姿に似ていたという。
犬は革製の首輪を何重にも巻いて、リードを付けていた。市井の犬は放し飼いにされていたかもしれないが、個人の所有物であることを示すために首輪が付けられていた。首輪の使用はエジプトかメソポタミアが最古の例である。
狩りの際、犬はガゼルを追い立てる役目を与えられ、また戦争用の犬は人の頭部に襲い掛かるように躾けられた。狩りは多頭で行うのが一般的だったようだ。
猫は遅くとも前三千年世紀には飼われるようになっていて、家屋に潜むネズミや蛇を捕まえる役割を与えられた。当時はサバトラ柄の家猫と、斑点柄のジャングルキャットの二種がいて、少なくとも初期は主にジャングルキャットが飼われていたが、プトレマイオス朝の頃には懐き辛いとしてジャングルキャットは飼われなくなっていた。映画に出てくる毛の短い黒猫はバステト神の象徴にも見えるが、黄金の首輪装飾などからしてミイラ猫を模ったブロンズ像や棺をモチーフにしており、架空の存在である。またスフィンクスという種はそもそも原産国が異なる。
猫は主人の狩りにも参加して、鳥を捕まえてたりもしていた。
飼い猫の食事には魚肉や鶏肉、骨が載せられたボウルもしくはそのままで与えられ、勿論狩ったネズミも食料になった。そして年老いた猫にはミルクに浸されたパンが与えられた。犬も似たようなものだろう。ただしこれらは絵画を残すような一族──つまり裕福な社会階級の者に限られる。
当時、ネズミや蛇を捕る仕事は猫だけでなくイタチに似たマングースにも任せられていたようだ。
ヘロドトスはこうした家畜の生育に、町単位で男女の飼育係が世襲で担当していたと書いている。そして人々が願掛けをする際に魚肉が餌として与えられたというが、以下のように個人が動物を所有しているように見える描写もある。
「亡くなった犬は飼い主によって町の墓地に葬られ、猫はミイラにされてブバスティスの町(バステト神信仰の町)の墓地に埋葬された。そしてエジプト人は猫が亡くなると持ち主は片方の眉を剃り、犬が亡くなると全身と頭を剃った」(巻2.65-67)
ところで大英博物館にある大量のミイラ犬猫は主に若い雄であり、犠牲のためにまとめて飼育され、絞殺された後でミイラにされたといい、猫の繁殖抑制のためでもあったとも考えられている。
これがヘロドトスの触れた部分──つまり神聖な動物に対するカルト宗教的な扱い方だろうか。
カンビュセスがペルシウムの戦いでエジプト人に対して猫を盾に貼り付けて戦ったことは伝説的で信頼性はない。
犬や猫には昔から人間と同様に名前が付けられた。資料にはアブティユーの他にノジメット、タミィトなどの名前が墓標に刻まれている。名前は一般的な人名と同じであったり、毛色や能力を示すものだったり、時として通し番号で呼ばれていた。
他の代表的なペットとしてサル(トト神の象徴)がいて、人間の家に同居して人の肩や背中に乗ったりしていた。リードを付けて散歩もしていたし、ワイン作りのための葡萄を踏む作業も手伝ったようだ。
またハイエナの両足を縛ってペット化を試みたという資料もある。