ヒーロー参上
小さな住宅街の中、俺は走っていた。
まだ着慣れていないスーツは体に張り付いて離れないし、靴は走りづらい。
最近は非常についていない。
昨日の面接は本当にひどかった。
「か! 花上昇!!(かじょうのぼる) です!」
自分の名前すら、うまく言えないなんて奴が面接もうまくいくわけがないけど。
ここ最近面接続きでしっかり寝ても疲れが取れず、今日ついに寝坊をしてしまって今に至る。
約束の10時まであと五分。
巨大なビルが並ぶ大通りを一目散にかけていく。
「俺に近づくなー!!」
遠くで野太い男の叫び声と何人かの悲鳴。
大通りから、反対側の歩道を見ると大型の男が公園の時計の下で人質を取りナイフを振り回していた。
人質の少女は涙で顔がぐちゃぐちゃ、男のそばには少女の母親であろう女が娘を助けようと男に向かって叫んでいる。
「急がなくちゃ…」
俺が行ったところで、あんな大男をやっつけて女の子を助けることなんて出来ない
それにあと4分後には会社に入って、1Fの面接会場である会議室の前で待機していなければ失敗は確実だ。
目の前で事件が起きていたが自分の力では何もできないと悟ると予定どうり会社へと向かう。
はずだったが、大通りをまたぐ歩道橋を渡り大男と少女のもとに走っていた。
まるで、さっきまで会社に向かって走っていたのが焦っていたのか自分でも疑うようなスピードだった。
急に現れたスーツ姿の男にナイフを持った大男とその周りに群がっていた人々は静まり返ってしまった。
しかし、もう後戻りはできない。
震える気持ちを抑え、面接よりハッキリと話し始めた。
「その子を離してあげてください。何があったかは分からないけど、子供を怖がらせていい理由はないと思います」
大きく手を広げながら必死に問いかけるが、ナイフを持った男は鎮まるどころか勢いを増していく。
「うるせぇー!! 俺に近くんじゃねーこのガキ切り殺すぞ!!」
「あぁやっぱり、俺なんかの話聞いてくれないよ」
目の前の事件に後悔しているところで、公園の時計は10時58分を指していた。
それでも、犯人の男と少女のもとにじりじりと近づいていく。
「何があったかはもう聞きません。でもその子は返してもらいます」
大きく息を吸って体全体に力を入れる。
ためこんだ息を大声と一緒に吐き出し男に向かって叫んだ。
「いのちなき! 砂のかなしさよさらさらと、握れば指のあひだより落つ!」
怒鳴り声も悲鳴もかき消したその声は公園の外まで響き、近くにいた人々には耳鳴りがするほどの爆音を発していた。
「なんだ?! いきなり何を言っていやがるテメェ!」
唖然としていた犯人も聞きなれない言葉につい意味を聞いてしまっていた。
「俺の好きな詩。短歌ってやつなんだけど、命はしっかりつかんでないと指の間からさらさらと砂のように落ちてしまうって意味なんだ」
固くこぶしを握り前に出す。
「だから、ちゃんと掴んでなきゃ簡単に落としてしまうものなんだよ。命っていうのわ」
午前10時59分も終わろうとしていたが、もうこの場にいる誰にもそんなことは関係なくなっていた。
「いまだ急げ!」
掛け声と同時に通勤中のふ二人のサラリーマンは手足を抑え、白髪の老人は杖で体を取り押さえる。
「なんだお前ら? 放せ! 手を放せコノヤロー!」
朝起きてから急ぎ続けていた体が一安心したのか、足から崩れ落ちる。
犯人の男は何人もの人たちに囲まれているせいか大型だった体は一回りほど小さく見えた。
「えぇーん。お母さん。怖かったよー」
人質だった少女はぶじ解放され母親は一目散に我が子に抱きかかえ、ほほに触れる。
涙でぐしゃぐしゃになった少女を守れたのかと一安心してなか。
「どけって言ってんだろー! お前ら全員生かしちゃおかね!」
抑えられていたはずの男が自分の周りの人たちを吹き飛ばし、暴れ始めた。
「危ない、みんな逃げろ!」
狂気に満ちた鬼のような顔を向けられるも、疲れ切った体がすぐに動くことはなかった。
「よくわからんことを言っていたそこのお前、さっきはよくも」
取り押さえられていた男がどんどん距離を縮めてくる。
少女がつかまっていた時とは立場が逆転していた。
「くそ、どうすれば。ん?」
後ろに引きずっていた体にあたったのは老人の持っていた杖だった。
大型の男が自分の目の前に立つと男の大きなこぶしは頭の上のはるか先。
「ひねりつぶしてやる!」
大きくこぶしを振り上げた隙に落ちていた杖を取り、構える。
一気に敵の凶器が振り下ろす男に負けず、ボウキレを振るう。
「ドス!」
鈍い音が響き体が頭から地面に落ちる。
男の言葉通り、ひねりつぶされていた。
しかし、それは殴った男も同じだった。
あの大型の男が尻もちをついたように腰を落としていた。
「ガハッ! 勝利というのは、最も忍耐強い人に訪れる。ある革命家の言葉だ」
周りの人々は何が起きなのかと近づくと老人の持っていた杖がきれいに折れていた。
確かに大型の男の攻撃は当たっていたが、それと同時にひざの関節へと杖で攻撃していた。
男の膝を叩ける位置に来るまで殴られても待っていたのだ。
「倒せた。けど、俺ももう限界」
遠くでサイレンが聞こえる中、花上昇は意識を失った。
町の地下。
一人の開発者は水に浮かぶ機体を見つめていた。
「報告。新しい被験者を二名選出しました」
「わかった。すぐに向かう」
息をするように機体は泡を吹き出し包まれる、主人を待っている。
「再始動だ。世界はついに変わる。」
薄暗い地下に建つ研究所に潜む人型の機械。
いつか来る戦いの準備は確実に進んでいるのであった。