フィオナの事情、レジーナの事情1
ため息を付くと、ペンを机に置いた。確認すべき書類はまだまだ沢山あるが、今日は集中力がなく全くはかどらない。レジーナは机に肘をつき、こめかみを強めに揉みこんだ。
「もう少しで終わりにしないと……」
ちらりと時計をみれば、すでにお昼前。午前中に終わった仕事はほんの数件だけ。
エドマンドと会った夜会からこの2週間のうちに色々な変化があった。
フィオナが戻ってきて、エリーゼとモニカとの茶会、ランドルフと一緒に仕事。ランドルフとは4日前に一緒に仕事をしてから連絡はない。
レジーナは机の上に一通だけ分けておいてある手紙を手に取った。エリーゼからの手紙だ。何が書かれているのか、だいたい予想はできる。憂鬱に思いながらも、返事を書かねばならないので封を切った。
「やっぱり」
さっと中を読めば、予想通り、ランドルフとの結婚を勧める内容だった。夜会で親しくしている上に、オルコット伯爵家の仕事の部分でも関わってきている。それはレジーナもランドルフに心を許しており、ブルースも快く思っていると捉えられても不思議はない。
母代わりとして接してきたエリーゼにしたらどうなっているのか気になるところだ。
「結婚かぁ」
レジーナはため息をついた。
この国では女性が跡取りの場合、結婚することで爵位は夫に渡ってしまうが、領地の権利は正式に女跡取りのものになる。結婚できずにいれば、いずれ爵位も領地も国へ返上することになるだろう。
エリーゼは手紙で結婚時の契約についても触れていた。レジーナが安心できるように、婚約時にでも条件を決めて契約書でも何でも作ればいい。女跡取りの場合どこの貴族家でもしていることだとも書いてある。
そこまでして夫と呼べる人間が欲しいかと言われればいらない。正直に言えば精神的に無理だ。どうしても両親の死が忘れられないし、大切であってもいずれは愛人を作られてしまうのかもしれないと考えるだけで吐き気がする。
このことはエリーゼにもモニカにも告げたことがないので、レジーナの気持ちを知ることはできない。
何度か言おうとも思ったが、両親があの女に殺されてから9年。
一度も言葉にすることができずにいた。常に亡くなってしまった親友の娘たちを心配している二人の気持ちを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
同時に、夫がいたら自分の仕事ももっと楽なんだろうなという気持ちも今は持っていた。ランドルフに付き添われた研究者との話し合いの時の自分との差が嫌でも意識される。
相手が研究者だったから余計かもしれないが、レジーナと話すよりもランドルフと話している方が話題が豊富だった。知識の差といえばそれまでだが、相手のレジーナに対する苦手意識や感性の違いなどもありそうだった。
ランドルフはレジーナよりも3歳年上だ。あと3年で今の彼と同じところまで成長できるかと言われれば、否としか言えない。レジーナは努力は欠かさないものの、優秀な頭脳を持っているわけでも、魅力ある社交術を持っているわけでもない。自分自身がよく理解していた。
男女の能力差なのか、それとも個人の能力差なのか。
どちらにしろ、あまり嬉しいものではない。
ぼんやりと物思いにふけっていると、扉の開く音がした。
「レジーナ、そろそろ休憩しない?」
「お姉さま」
フィオナがそっと扉を開けて入ってきた。扉を顔の方へ向ければ、帰ってきたときよりも幾分すっきりした体型のフィオナがいる。彼女はワゴンに食事を乗せていた。フィオナは長旅の疲れが出たのかずっと部屋にこもっていて、こうしてきちんと顔を合わせるのは彼女が帰ってきた日以来だ。
「一緒に食べようと思って、持ってきたの」
からからと小さな音を立ててワゴンを引いてくる。ワゴンの上には簡単に食べられそうな昼食があった。フィオナは手早くテーブルの上に簡単な食事をセッティングした。その動きを眺めて、違和感を感じた。
「お姉さま……?」
レジーナはフィオナの体を見て、見間違いかもしれないと何度か瞬きをした。フィオナは座っているレジーナの真正面に立つと、にこりと笑った。
「やだ、気がついた?」
「気がついた、じゃないわよね?」
慌てて立ち上がるとフィオナの側による。無作法にもレジーナは姉の体をペタペタと触った。
そして。
お腹にそっと触れる。明らかに太ったとは違う膨らみだ。
「え、本当に?」
「そう。子供がいるの。多分、5カ月?」
子供がいる。子供がいる。
あまりの衝撃にレジーナの頭が真っ白になった。
「えええええ!」
「うふふ。もう大変だったわ。クラークを騙すのはちょっと気が引けたけど、わたしとおなかの赤ちゃんのためですもの。すごく頑張ったのよ。褒めて?」
頑張った、と聞いてくらくらした。フィオナの嫁いだ国からこの国に戻ってくるまでゆっくりした旅程で1カ月はかかる。妊娠4カ月で旅を強行したことになる。
妊娠の判断は問診だけだ。つわりや月の触りがないことを確認して判断する。時々、症状が似ていて間違うこともあるらしいが、数カ月もすればお腹が大きくなるので間違ったとしても問題はなかった。
「もしかしてハガード公爵はお姉さまの妊娠を知らないの?」
「多分? お腹の膨らみと気分の悪さを誤魔化すために激太りしたのよ」
まさかの言葉に絶句する。彼女はにこりと可愛らしく笑った。
「ハガード公爵家には跡取りはいたかしら?」
「もちろん、いないわよ」
「それなら連絡したほうがいいと思うけど……」
「連絡なんて必要ないわよ。わたし、このまま離縁するつもりだし」
離縁、と聞いて目を大きく見開いた。予想外の発言に、何か言おうと口を開くが全く言葉が出てこない。
「クラークの所で産んだらこの子はそのうち殺されてしまうだろうから。あの国ではわたし達を守ってくれる人も少ない。でも、誤解しないでね? わたしとクラークはとても愛し合っているわよ」
何でもないことのようにさらりと言われて、レジーナは口を結んだ。フィオナは愛おしそうにお腹を撫でて、少し目を伏せ慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
「どうやらわたしがクラークと結婚して一緒に暮らすようになってから、ずっと侍女に毒を盛られていたらしいの。その侍女、ハガード家に来る前は王妃付きでわたし達の結婚前から仕えていたそうよ」
侍女が主人のいない間に妻を殺そうとしてくるなど、なんて恐ろしい。レジーナは身震いした。よくフィオナが無事でいられたものだ。
「でも、どうして侍女に殺されそうになっているの?」
よくわからず聞けば、フィオナがくすくすと笑う。
「クラークは実は王位継承権第2位なのよ」
「王位継承権?」
「そう。そして、生まれた子が男の子ならこの子が第3位になってしまうの。王太子である第一王子が病弱だからか、王妃にしたらこの子は目障りみたい」
思わぬ情報に唖然とした。フィオナは世間話でもするかのように気軽に話している。気軽ではないのはレジーナの方だ。
「ちょっと、それって国を出てきたらまずいんじゃないの?!」
「うーん。そうかも?」
フィオナの気楽さに眩暈がしてくる。家出で片付く話じゃない。
「お姉さま、せめてハガード公爵に連絡を」
「そのうちにね。それより座ってちょうだい。お昼を食べましょう」
慌てたレジーナにフィオナはのんびりと応えた。




