研究者との話し合い
隣国の研究者との話し合いは、レジーナの付き合いのある商会の一室で行われた。この商会で取り扱っている研究者の提案した農作業道具を何種類か購入しており、今後を考えて仲介してもらうことにしていた。
案内された部屋には商会の代表と研究者がすでに待っていた。研究者は30代だと聞いていたのだが、彼の容姿は40代にも見えた。あまり頓着をしないのか、不快感はないものの若々しい雰囲気はない。意志の強そうな目と引き結ばれた唇に貴族特有の社交はしないのだろうなと思わせた。
「初めまして。レジーナ・オルコットです」
レジーナは余所行きの笑みを浮かべると、そう挨拶した。研究者は無表情ながらも丁寧に挨拶を返してくれる。
「アーベル・ファーカーだ」
「お時間を作っていただいてありがとうございます」
人当たりの良い口調でレジーナは応えた。アーベルは少しだけ眉を上げたが、すぐに無表情になる。レジーナが対応したことのある人たちとは少し勝手が違っていて、気分を害したのか、単に興味がないのか判断がつかなかった。
ランドルフも挨拶をした後、商会の代表に進められるまま腰を下ろす。
「先に言っておくが、貴殿が貴族だからといって好き勝手にできると思わないでほしい。これは我々の研究の成果であり、生産量の改善のため広まることを望んでいるが貴族に権利を渡すことは考えていない」
真っ先にそう牽制されてしまい、レジーナは困ってしまった。ちらりとアーベルの隣に座る商会の代表に視線を送れば、彼はぽかんとした顔をしている。
レジーナはアーベルと連絡を取ることに必死になりすぎていて少し周囲を見るのを怠っていた。レジーナは伯爵家の跡取りであり、アーベルは隣国の男爵家の出身だ。国は違えども、身分差は大きく、何も説明されていないために圧力を受けると受け取ったのだろう。
商会代表もそれに気が付いたのか、すぐに青くなった。
レジーナは謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ございません。誤解を受けるような状況になっていますね。わたしの言葉が足りませんでした」
「では、権利を売れという話ではないと?」
「はい。わたしが望んでいることは貴方が提案した器具の改良です」
ふうむ、とアーベルは腕を組んだ。レジーナはこのまま話し続けていいのか、不安に思ったがそれでも誤解されるよりは話してしまった方がいいと心を決める。
「実は大人の男性には丁度いいのですが、女性や子供が使うとなると少し勝手が悪くて」
「女性や子供?」
「はい。我が領地は農地が広いので、忙しい時期には女性や子供も手伝います。今は男性と同じ物を使っていますが、それでは少し大きすぎて逆に効率が悪いのです。できれば大きさをもう少し小さくしてもらえないかと」
「なるほど」
アーベルはようやく表情を緩めた。誤解は簡単に解けたようで、力の入った体からほんのわずかだけ力を抜いた。
アーベルは何やら考えて込んでいる。こんなにも自分の世界に入ってしまう人を興味深く観察した。思考を邪魔しないように、レジーナはお茶のカップに手を伸ばした。
どのくらい黙り込んでいたかわからない。アーベルが口を開いた時にはレジーナはすっかりお茶を飲み干していた。
「効果をそのままで小さくしたものを作ってみよう。だが、私はこの後国に戻るのだが……」
「直接のやり取りは私どもが行います」
商会の代表がそう申し出た。国外のアーベルとの金銭の発生するやり取りだ。商会を挟んだ方が任せておけるので、レジーナは口を挟まなかった。そもそも商会の代表にはその役割を求めていた。
「では、改良したものをこちらの商会に送ろう」
「引き受けて下さって、ありがとうございます」
レジーナは嬉しくてお礼を言う。アーベルはややばつの悪そうな顔をした。
「話も聞かずに疑って悪かった」
「いいえ。誤解されるような説明しかしなかったこちらの責任ですので、気になさらないでください」
その他、今後のやり取りの方法や必要な契約など事務的な手続きを行った。契約内容については、ランドルフにも見てもらう。ランドルフはやや驚いた表情でいいのかと視線だけで確認してきた。レジーナは頷いた。ブルースが頼んでこの場に立ち会わせたのだ。彼に見せてもいいはずだ。
「わかった」
軽く頷くと、彼はさっと書類に目を通し始める。流石に王宮に勤めている文官だ。色々なことを確認しながら進めていく。不足分は補い、曖昧な個所は誤解のない様に訂正する。
その仕事ぶりを見て、レジーナは目が覚めるような思いだ。レジーナも領地経営の一端を担っている。書類は多く、様々な不備や確認事項も多い。レジーナも細かく確認作業をする方だと思っていたが、それ以上にランドルフは多岐に渡っていた。
その上、先の展望もさり気なく混ぜていく。アーベルは嫌がるのかと思っていたが、まったく気にすることなく今の研究内容を語っていた。男同士の話に入ることなくレジーナは二人の会話を聞いていた。
レジーナの気がつかない視点、話している間に引き出した内容からさらに発展させての提案。
どれもこれもレジーナにはできない。
聞いているだけでもかなりの情報を手に入れている。アーベルは研究者だからだろうか。自分の研究内容に興味を持たれ、あれこれと意見を言うランドルフを好意的に受け入れている。アーベルは話しているうちに思いついた案をランドルフと議論を始めてしまう始末だ。
決して内容がわからないわけではない。わかるのだけど、こうやって次から次へとぽっと思いついた程度の考えをぶつけ合うことができない。レジーナが自分の意見を口にする時は沢山の話を聞いて、沢山考え抜いた後だ。
蚊帳の外にいるのはレジーナと商会の代表の二人だった。代表はこういう立ち位置に慣れているのか、気にすることなくレジーナにお茶のおかわりを淹れ、菓子を勧める。
「ああいうのは放っておくのが一番です。私も商売以外の話は苦手です。結論だけでよろしいと思いますよ」
「そういうものですか?」
研究者と会うのが初めてであるレジーナは判断ができない。代表はにこりと笑った。
「アクロイド様のおかげでいい取引になりそうです」
「それならいいのだけど」
レジーナは無理やり笑った。契約まではどうにでもなるが、こうして対等に研究者と渡り合うランドルフを見ると落ち込んでくる。
ブルースがここにいてもこんな風にはならなかったとは思う。思うのだが、ランドルフと自分の違いをまざまざと見せつけられて、自分が如何に足らないかに気が付いてしまった。
胸のざわつきを覚えながらも、レジーナは綺麗な笑みを張り付けた。
「オルコット伯爵令嬢は素晴らしい人と婚約しているようだ」
書類の確認も終わり、別れの際にアーベルがそんなことを言い出した。レジーナは驚いてぽかんとした顔になる。
「彼は婚約者では……」
「おや、そうでしたか? もし結婚を反対されているようなら、彼の有能さを訴えるといい」
「ありがとうございます」
頼まれただけなのだと否定しようとするレジーナよりも先にランドルフが礼をした。アーベルはかすかに笑みを浮かべる。
「勝手に盛り上がってしまって申し訳ない。有意義な時間だった。それでは失礼する」
見送りますと言う商会代表に不要だと言って、嵐のような勢いでアーベルは去っていった。
「お茶を淹れなおしましょう」
商会代表がそう言って腰を浮かせた。レジーナは慌てて彼を止めた。
「もうこれで帰ることにするわ。何かあれば連絡をちょうだい」
「わかりました」
商会代表に見送られて、レジーナとランドルフは馬車に乗り込む。
馬車に乗るとレジーナはふっと表情を消した。
「レジーナ嬢?」
「何でもないわ。今日は……そのありがとう」
「言いたいことがあるならはっきり言ってほしい」
ランドルフがレジーナのいつもと違う態度に眉を寄せた。レジーナはゆるゆると首を左右に振る。
「何でもないわ。少し疲れただけ」
問いたそうな眼差しを向けられたが、レジーナはふいっと外に目を向けた。もやもやとした、やるせない思いを押し殺して会話をすることが難しかった。