ダリアの初恋2
ダリアは自分の容姿に自信があった。あの母によく似た自分なら好きになってもらえるものだと思っていた。
ところが、ランドルフはダリアのことを全く目に入れない。それどころか、ランドルフが12歳になって学校に通うようになると全く接点がなくなった。
なかなか会えないことにしびれを切らし、ダリアは執務室にいる義兄のレットに突撃した。レットはダリアの8歳年上で、すでに跡取りとして仕事を任されていた。次男は結婚して家を出ていた。
今日はサイムズ子爵が屋敷にいないことを確認しての突撃だ。
「お義兄さま、ランドルフ様に会いたいの。どうしたら会えるの?」
「はあ? お前何を言っているんだ」
レットは思いっきり顔をしかめた。
「わたし、ランドルフ様が好きなの。彼と結婚したい」
「はああああ」
レットは大きくため息をついて、長椅子に座るように手で指示する。大人しく座れば、レットも向かいの席に腰を下ろした。
「はっきり言っておく。お前は絶対にランドルフと結婚できない」
「どうして?」
「ランドルフは侯爵家、うちは子爵家だ。しかもお前は養子で、実際はサイムズ家との血のつながりは証明されていない」
ダリアは茫然とした。レットが何を言っているのか理解できない。
「わたしのお父さんはアンディ・サイムズで、お義父さまの弟でしょう? わたしもサイムズの血が入っているわ」
「それはお前の証言だけだ。確かにアンディ叔父上はリンジー・バートンに屋敷を与えた。だが本当に彼の子供であるかどうかは、判明していない。アンディ叔父上はダリアを自分の娘であるとは認めていなかったんだ。お前が生まれる前、アンディ叔父上との交際中もリンジーは複数人の男と関係していたことは調査でわかっている」
がつんと頭を叩かれたような衝撃だった。ダリアは体の震えを止めることができない。
「少しでもお前がアンディ叔父上に似たところがあればよかったんだが。お前はリンジー・バートンにそっくりで、叔父に似ているところが全くない。だから養子という形でお前を引き取ったんだ」
「そんなの嘘よ……」
そう呟きながらも、ダリアはリンジーの言葉を思い出していた。よく幼いダリアの髪を撫でながら、自分によく似てよかったと言っていた。
それが自分の美貌を受け継いだ娘に向けたものだと思っていたが、もしかして騙すためだったとしたら?
向上心の強かったリンジーだ。ありえなくないとそう思ってしまう。
「それにランドルフはお前を苦手としている」
「そんなことないわ。いつだってランドルフ様はわたしに優しい」
苦手、と言われてむっと唇を尖らせた。レットは苦々しく笑った。
「現実を見ろよ。お前と二人で会ったことはあったか? いつだって俺たちのおまけでついてきたお前を相手していただけだろう?」
「それは……」
ダリアは指摘されて、過去を思い出す。一度くらいは二人だけであったことがあったはずだ。だがいくら思い出しても、いつだって誰かがいる。
「あれは侯爵夫人がご子息たちに放置しないようにと注意していて、上の二人が約束を守らないから仕方がなくランドルフが相手をしていたんだ。そもそもお前のどこに好かれる要素がある?」
「わたし、可愛いじゃない」
きつい言葉に泣きそうになりながら、ダリアは思わず答えてしまった。レットは呆れたようにため息をついた。
「ダリア、お前は確かに綺麗な部類だと思う。だが、貴族では見た目だけでは駄目なんだ。家を守る妻としての役割を果たせないような女は求めていない」
「だったら今からでも勉強するわ」
「無理だな。幼いころからのお前を侯爵夫人は見ている。勘違いした女の子がランドルフに我儘を言って困らせていたんだ。そんな女を結婚相手として認めることはない。血筋も悪い、貴族としての立ち振る舞いもできない、そんなお前と結婚する利点はなんだ?」
次から次へと言われて、ダリアは我慢ができず涙を流した。嗚咽を押し殺すために唇を噛みしめた。
「悪いことは言わない。他に目を向けることだ」
最後に大きくため息をつくと、レットはダリアに部屋を出るように言う。ダリアは泣きながら部屋を出ていった。
******
ダリアはランドルフに会おうとそれなりに努力した。もちろん彼と結婚するために貴族としての礼儀作法や社交なども力を入れた。サイムズ子爵夫人は突然やる気を出したダリアを喜んだ。
サイムズ子爵夫人と一緒に成人前の令嬢でも参加できる茶会に参加して、それなりに交友関係を築いた。同じ子爵家や男爵家の令嬢とも仲良くなった。時間はあっという間に過ぎ、ダリアも成人する16歳を迎えることになった。
昼食時に、ダリアのデビューのことで話が出た。サイムズ子爵夫人は用意するドレスのことをあれこれと話し、一緒に食事をしたサイムズ子爵とレットは黙ってそれを聞いていた。ダリアはサイムズ子爵夫人の話が終わった後、思い切って口を開いた。
「デビューの時にランドルフ様にエスコートしてもらいたいの」
希望をサイムズ子爵に告げれば、呆れたように見返された。その眼差しに怯みながらも、ダリアは目を逸らさなかった。
「デビュー時にエスコートするのは家族と決まっている」
「……では、一番目のダンスを踊ってもらいたいの」
決まりなら仕方がないと、ダンスのことを言えば大きくため息をつかれた。
「レットからお前がランドルフ殿と結婚したいと思っているとは聞いていたが……本当なんだな」
「だって好きなんですもの」
「そういう問題ではない。すでにアクロイド侯爵家からはダリアとの結婚はないと言われている」
驚いて目を見開いた。何か言おうと思ったが言葉が出てこない。
「当然ですよ。アクロイド侯爵家にとって全く利点がないじゃありませんか」
当たり前のように言うのはサイムズ子爵夫人だ。彼女へと目を向ければ、彼女は慰めるように微笑んだ。
「お義母さま」
「心配しなくとも、成人したらいい嫁ぎ先を見つけてあげますよ」
「わたしは」
「ダリア。貴族の結婚は好き嫌いではありませんよ」
やんわりと注意されて、ダリアは黙った。ここで反論しても仕方がないと自分に強く言い聞かせる。
デビューする夜会にはランドルフも出席しているはずだから、直接お願いしたら断られないだろうと自分を慰めた。
綺麗なドレスを着て、美しい宝飾品を付けて、ダリアはその日のデビューする令嬢の中でも一番の美しさだった。
「どうして」
ダリアの希望通り、何曲目かの時にランドルフと踊ることができた。だが、彼は礼儀正しく一曲踊ると別の令嬢の元へと行ってしまう。親しく会話を交わすことなく、義務的な会話だけで終わった。
これから夜会に出席していれば会うことがある。
だが、ダリアの思いが叶うことはなかった。
デビューしてから婚姻の申し込みがいくつかあったようだが、どれもこれも断った。礼儀として1、2度会うこともあったが、ランドルフ以上の男性はいなかった。
婚姻を申し込んでくる男性と会えば会うほど、ランドルフと結婚したい気持ちは膨れ上がり、他の人との結婚など考えられなかった。
どうしても振り返ってもらいたくて、わざとランドルフとは秘密の付き合いをしていると噂を流したりした。でもそれもすぐに立ち消えてしまい、ランドルフから接触してくることはなかった。
そんな日々を送っているうちに、恐れていた事態となった。
「男爵家の後妻、ですか」
呼ばれた執務室にはサイムズ子爵夫妻とレットがいた。サイムズ子爵夫人はため息をついた。
「ええ。貴女ももう20歳を超えたわ。こうして後妻でも申し込んでくださったのですもの。ありがたくお受けするべきだわ」
「でもわたしは」
ダリアは男爵家の後妻などなりたくなくて、反発した。サイムズ子爵は難しい顔をして、ダリアの反論を封じた。
「これは決定事項だ。明後日、男爵が我が家に来る。挨拶をするように」
「嫁入り支度をしないといけないわね」
助けを求めるようにレットに視線を向けたが、レットは肩をすくめただけだった。
どうしたらいいのかわからないまま、男爵がやってきた。
年齢は30歳、先妻との間に子供が二人いた。とても人のよさそうな男性だ。目を見張るほどの容姿ではなかった。ダリアはランドルフのような男性ならと思っていたため、落胆した。
ダリアの気持ちなどお構いなしに、物事は進んでいく。
もうこれ以上はと思っていた時に信じられない噂を聞いた。
「アクロイド様は伯爵家に婿入りするらしいわ」
それはデビュー前から仲の良かった令嬢からもたらされた情報だった。ランドルフがある伯爵令嬢に結婚を申し込んでおり、今熱烈に口説いているという。
「嘘だわ」
「その令嬢よりも貴女の方が綺麗なのにね。でも仕方がないわ。貴族にとって爵位はとても魅力的ですもの」
友人はそう慰めたが、ダリアは全く話を聞いていなかった。
******
サイムズ子爵夫人に強く頬を叩かれて、体が後ろにぐらついた。そっと痛む頬に手のひらを当てる。頬はじんじんと熱を持ち、手のひらの冷たさが気持ちがいい。
「この恥さらし!」
夜会で起こした行動で、サイムズ子爵家は醜聞にまみれた。面白おかしくダリアは噂され、どこから掘り起こしてきたのかダリアの母であるリンジーのことまで噂されている。
前にダリアが流した噂とは規模が異なり、色々な形になって広まっていた。
「男爵家からは婚約破棄の連絡があったよ」
ため息をつきながらサイムズ子爵は告げる。ダリアは思わず笑みを浮かべた。
「それほどサイムズ家が嫌いならば、出て行きなさい!」
頭に血が上っているのか、サイムズ子爵夫人にはいつもの穏やかさは全くなかった。
「母上。少し落ち着いて。持病が悪化しますよ」
「これが落ち着いていられますか! まだ婚約も成立していない令嬢に、しかも相手は伯爵家ですよ。その相手に愛人として認めろだなんて!」
「常識外れではありますね」
冷静にレットが指摘すれば、ますますサイムズ子爵夫人は憤った。ダリアは何も言わなかったがこれで婚約はなくなるし、今後、申し込んでくる人間もいない。噂を聞いて、窮地にいるダリアにランドルフが手を差し伸べてくれるはずだ。
ランドルフが爵位が欲しいと言うのなら、愛人という立場でも問題ないとまでダリアは考えていた。愛されているのはダリアだ。他は努力のしようがないので受け入れるつもりだ。
「とにかく。ダリアは一か月以内に修道院へ入れる」
「え?」
「それとも、サイムズ子爵家から籍を抜くか?」
どちらでもいいと冷めた態度でサイムズ子爵は言った。予想外の言葉にダリアは呆けた。
「アクロイド侯爵家がかなり怒っていてね。きっちり始末をつけるようにと連絡があったんだよ」
レットが淡々と教えてくれる。
「ランドルフ様は?」
「まだそんなことを言っているの? お前は今まで何を学んできたの?!」
サイムズ子爵夫人の背中を宥めるように子爵が撫でた。
「あとのことはレットに任せる。ほら、あまり興奮すると体に悪い」
サイムズ子爵は興味なさそうに夫人を連れて部屋を出て行った。残ったレットがため息を漏らした。
「勘違いしないようにはっきり言うが、お前をどうにかしろと望んでいるのはランドルフだから」
「え?」
「前にも言ったと思うが、ランドルフはお前が嫌いなんだよ」
「そんなはずはないわ! 会えばきっと昔のように優しくしてくれる」
ダリアは勢いよく否定したが、レットは左右に首を振った。
「お前が修道院へ行くのは決定事項。侍女に支度をさせるから、大人しく部屋にいるんだ」
それだけ告げるとレットも出て行った。一人残されたダリアは茫然と立っていた。
「どうして?」
理解できない頭の中は、いつまでもぐるぐると疑問が渦巻いた。




