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不思議な距離感



 レジーナはランドルフと一緒に領地にある街を歩いていた。王都ほど立派ではないが、領民が暮らすために必要な店が立ち並び、街はとても活気にあふれている。オルコット伯爵領は隣国へ抜ける道の途中にもあるのでそれなりに人の出入りがあった。


 ランドルフも興味深そうに街の様子を眺めながら、あれこれと質問しながら二人で歩く。その何でもない時間がとても普通過ぎて、レジーナは気負うことなく彼の隣を歩いていた。


「頑張ってください!」

「ああ、ありがとう」


 何を勘違いしたのか領民の一人が、大声で声援を送る。それに対してランドルフも気軽に手を上げて応じていた。


「……」


 二人で歩いている様子がどのように見えるのか想像して恥ずかしくなってくる。赤くなる顔を隠すようにレジーナは少しだけ俯いた。


「レジーナ嬢は領民に愛されているね」


 ランドルフは楽しそうに言う。レジーナはちらりと視線を上げて、隣を歩く彼をそっと見た。


「普通だと思うわ」

「普通のお嬢さまは領地をあまり歩かないみたいだよ」

「……そうかしら? わたしの知り合いの方は領地に帰れば毎日のように外を歩いているようだけど」


 レジーナの知っている女性は行動的な人が多いため、王都に入れば社交に力を入れ、領地に入れば領地経営に精力的に動いている。それにレジーナの母であるレイチェルも領地の見回りをよくしていた。それを知っているので、ランドルフの言葉が信じられない。

 レジーナが納得できずに顔をしかめている間に、ランドルフの興味は別の所に移った。ふらりとレジーナから離れていってしまう。慌ててレジーナは彼の腕を掴んだ。


「どこにいくの?」

「いい匂いがする」


 食欲をそそる焼けた肉の香りがするのだが、どこから匂っているのかわからないようで、ランドルフはくるりと辺りを見回した。


「さっき食べたばかりじゃない」


 真剣に美味しそうな匂いの元を探している彼の様子に、レジーナは呆れたような声を上げた。この街に入ってすぐにランドルフは子供のおやつである揚げ菓子を食べていた。その時は甘い香りがして、食べたくなったのだと言っていた。


「甘い菓子を食べたから、しょっぱいものが食べたくなった」

「……アクロイド様」


 子供のような言い分にレジーナは曖昧な笑みを浮かべた。王子さま然とした整った顔立ちのランドルフが食べ歩きなど、今まで想像していなかったので何とも言えない。


 レジーナのランドルフへの印象は夜会で出会う礼儀正しい姿か、一度だけ一緒になった仕事の時の姿であった。こうして砕けた様子で街を歩くとまた別の彼が見えてくる。自然体な彼を見ているだけで心が温かくなった。


「ランドルフ」

「え?」


 ランドルフがレジーナを振り返り、にこりと笑った。


「こんな開放的な場所にいるんだ。名前を呼んでほしい」

「でも」

「僕はレジーナと呼びたい」


 許可を求めるような眼差しに、思わず頬が赤くなる。レジーナは小さく頷いた。


「わかったわ」

「呼んでみて、レジーナ」


 レジーナと敬称なしで呼ばれて、なんだかくすぐったい気持ちになる。その気持ちを隠して、何でもないことのように彼の名前を呼んだ。


「ランドルフ様」

「うん。いいね」


 彼の嬉しそうな笑みにレジーナもつられて微笑んだ。ランドルフは気負いないレジーナの笑みに目を見張る。


「何か変だった?」

「レジーナ、可愛い」

「可愛いだなんて……」


 聞きなれない褒め言葉にレジーナはどんな顔をしていいのか、わからなくなる。ランドルフは手を伸ばし彼女の髪を一房摘まんだ。


「背筋を伸ばして前を見ているレジーナも素敵だけど、気を抜いて笑っている君も可愛い」

「……」


 何も言い返せず恥ずかしさに震えていると、大きな声が掛けられた。


「お嬢さま! そういう時はにっこり笑ってありがとうと言えばいいのよ!」


 はっとして周りを見回せば、いつの間にか女性たちが目をキラキラさせて見守っていた。ランドルフに見とれているわけではなく、レジーナとランドルフの二人にうっとりとした眼差しを向けていた。

 彼女たちの頭の中でどんな妄想が膨らんでいるのか想像して、ぼぼぼぼと一気にレジーナの頬が赤くなる。


「見ていたの!」

「ここは大通りだから。お二人ともとても綺麗で、目が逸らせないわ」


 当然のように口々に言われて、恥ずかしさが増してくる。何も言えないレジーナにランドルフが代わりに応えた。


「勝手に見せてすまなかったね」

「レジーナ様はわたしたちの大切なお嬢様よ。泣かせないでくださいね!」


 女性たちがそうだそうだと賛同する。いつの間にか人数が増えていて、レジーナはぎょっとした。普段から親しくしている領民に見られてしまったのも恥ずかしかったが、こんな状態になっても嫌がらずに嬉しそうに笑うランドルフを見てさらに恥ずかしくなる。


「ところで、このいい香り、どこで手に入るか教えてもらえないか?」


 ランドルフは声を掛けられたのをいいことに、肉を焼いている店を聞いている。レジーナは平然としているランドルフをやや恨めしげに見ながら、会話を聞いていた。


「こっちだ」


 ランドルフはレジーナの手を取ると、教えてもらった店へと向かった。


 

******


 いつの間にか、賑やかな宴会になっていた。レジーナも領地にいるときは代表たちと親睦を深めるため、食事を共にすることがある。いつもは穏やかな空気で行われているのだが、今日は違った。


 ランドルフがいるだけで、これほど違うのかと驚くほどだ。

 代表たちはランドルフが侯爵家の人間であり、レジーナの婚約者候補だと知っていた。そのため初めのうちはきちんとした対応をしていたのだが、ランドルフがその枠を取ってしまった。


 身分差という枠がなくなってしまえば、代表たちもそれなりに本音で話し始める。初めは産業の話、領地の話など、レジーナがいつも聞かされていることが多かった。そのうち、レジーナの婿としてはどうなんだとあれやこれやと探りが入ってくる。 


「ははは、大変だな。これほど沢山のお目付け役がいるとは」


 ランドルフが上機嫌にそういえば、じろりと最年長の代表が睨みつけた。ブルースと変わらない年齢の代表だ。レジーナを次期領主として敬いながら困っている時にはよく話を聞いてくれる。


「当然だ。お嬢さまには幸せになってもらわねば」

「もちろん幸せにしますよ」


 ランドルフが急に真顔で頷いた。レジーナはふわふわした気持ちでそんな彼の様子を見ていた。彼と一緒にいることがとても自然で、居心地がいいと思い始めていた。


 夜も遅くなりはじめたので気分よく皆に別れを告げ、ランドルフと一緒に馬車に乗り込む。馬車に乗れば急に静かになった。


 からからと車輪の音を聞きながら、レジーナは余韻に浸っていた。今日は楽しいことばかりで、気持ちがとても軽い。


「楽しそうだね」


 レジーナの浮かべた笑みにランドルフは目を細めた。


「ええ、楽しいわ。お酒、沢山飲んでいたけど、気分は大丈夫?」


 次から次へと途切れることなく、ランドルフに酒を飲ませていた。あれだけ飲まされても少しも酔った様子もなく、逆に心配になるほどだ。


「僕は酒に強いんだ。知り合いは皆酒に強いからね。彼らに鍛えられた」

「そうなの」


 知らない彼を見つけられて、嬉しい気持ちになる。穏やかな気持ちのまま馬車が止まる。


「どうぞ」


 先に降りたランドルフが手を差し出した。レジーナは自然とその手を取る。レジーナの手を握ったまま、ランドルフは歩き始めた。


「今日はありがとう」


 ゆっくりと歩きながら、レジーナは彼に礼を述べた。


「僕も楽しかった。レジーナの色々な顔を知ることができた」


 楽しげに言われて、レジーナも笑う。


「そんなに変わっていないと思うけど」

「王都ではいつもしゃんとしているからね。隙がない」

「どうせ可愛くはないわよ」


 隙がないと言われて、レジーナは拗ねた。男性に付け入られないようにするにはどうしても強くなければいけない。それが可愛げがないと言われればその通りだ。


「レジーナ」


 名前が呼ばれたのと、彼に抱きしめられたのは同時だった。広い胸に抱きこまれて、レジーナの頭が真っ白になる。腕をどうしたらいいのかわからなくて、されるままになっていた。

 頭の中も忙しく、ここは突っぱねるところだとか、余裕を見せるべきだとかなんだかよくわからないことばかり思い浮かぶ。結局はどうすることもできずにじっとしていれば、耳に息が吹きかけられた。


「……やだ」


 くすぐったくて慌てて耳を押えれば、低く笑う声がした。耳を押えた両手首を握りしめられ、唇に暖かなものが触れる。仄かにお酒の香りがした。恥ずかしさに目を閉じる。


「明日、帰らなくてはいけないけど、君が王都に戻ってきたらもう一度婚姻の申し込みをする」

「ランドルフ様」

「レジーナ、好きだ」


 ランドルフはレジーナの答えを封じるようにもう一度キスをした。




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