素直な気持ちで
「どうして……」
ランドルフが屋敷の方へ来ていると聞いて慌てて帰ってきたのだが、彼を見るまでは半信半疑だった。ここはオルコット家の領地で、王都から3日ほどかかる。文官である彼が馬を飛ばしたとしても、1日では来られないだろう。それにランドルフは王城に勤めており、簡単に長い休みなど取れない。
そんな理由から、ランドルフの使いの者が来たのを慌てた使用人たちが間違ってランドルフが来たと伝えたのだと思っていた。
ランドルフは扉の所で立ち尽くしているレジーナに気が付くと立ち上がった。いつもと変わらない柔かな笑みを浮かべて、レジーナの傍までやってくる。レジーナは言葉が見つからないまま、彼の動きを目で追った。
「久しぶり」
上から覗き込まれるほど近くに立たれて心臓が跳ねた。フィオナに好きなのではと言われていたためか、変に意識してしまう。緊張に気が付かれないよう、ほんのわずかだけ彼の目から視線をずらした。
「元気そうだ。前にあった時よりも顔色がいい」
「そうかしら?」
「うん」
なんだろう、この会話。
レジーナはいつもと異なる空気に、困惑した。元々ランドルフは人当りがいい。一緒にいても嫌な気分になったことなどほとんどない。笑顔もいつもと変わらないのに、甘く柔らかな雰囲気はとても居心地が悪かった。居心地の悪さにレジーナの反応も悪くなる。
「今日なんだけど」
ランドルフはレジーナの機嫌を窺うように首を傾げた。レジーナは彼の小さな動きに目を奪われながら返事をする。
「何?」
「泊めてもらってもいい?」
「はい?」
レジーナの頭が真っ白になる。連絡もなく突然やってきて泊めてほしいと言われ、思考が停止した。常識的にはありえない申し出だ。しかもランドルフはレジーナに求婚している。下心を疑われても仕方がないお願いだった。
「はは、やっぱりだめだよね? 代わりに泊めてくれるところ、紹介してもらえないかな?」
レジーナはすぐさま駄目だと返そうと思ったが、言葉に詰まった。フィオナに自分の気持ちを大切にしろと言われていたせいなのか、力が抜ける領地にいるせいなのか、不思議とレジーナはランドルフを拒もうと言う気持ちがわいてこないのだ。
いつものように突っぱねるつもりでいたが、レジーナが口にしたのは反対の言葉だった。
「……こんな遠くまでわざわざ来てくれたから、客間を用意させるわ」
「本当にいいのか?」
「ええ。ここで追い返してしまったら、わたしの評判が落ちるわ」
レジーナはそっぽを向いて、無理やりこじつけた理由を早口で言い切る。ランドルフはそんな恥ずかしそうなレジーナをまじまじと見つめると、ほっとしたような笑顔を見せた。
「よかった。先触れもなく来たから追い返されるかと思っていた」
「わかっているなら、先触れを出したら良かったのに」
「先に連絡したら、逃げられるような気がして」
もっともらしい言い訳を口にしている彼をレジーナは軽く睨みつけた。
「逃げないわよ。どうせお祖父さまの許可をもらっているのでしょう?」
「ははは」
乾いた笑いに、レジーナは嘆息した。よく考えてみれば、わかることだ。観劇のように後先考えずに情熱だけで動くようなことは普通の人はしない。
観劇のような情熱的ではないけれど、レジーナは領地にまで来てくれたランドルフに嬉しさを感じていた。
「本当は……」
「レジーナ嬢?」
レジーナの呟きが聞き取れなかったのか、ランドルフが問い返す。レジーナは首を左右に振ると、長椅子に座るように促した。ランドルフが腰を下ろすのを見てから、レジーナも向かい側に座る。
「少し嬉しかったの」
恥ずかしくなりながらも、思い切っていってみた。今まで冷ややかな対応しかされてこなかったランドルフはぽかんとした顔をした。
「え?」
「嬉しかったと言ったの!」
恥ずかしさを誤魔化すように怒鳴れば、ランドルフは顔を真っ赤にして両手で顔を隠してしまった。その行動にレジーナが呆気にとられた。
「どうしたの?! 気分が悪いの?!」
「違う。こんな嬉しいことを言ってもらえるのが信じられなくて……」
ぼそぼそと本当に照れながら言われて、レジーナの方が恥ずかしくなってくる。どれだけ自分がつんけんしていたのか、わかってしまった。それなのにいつだって優しく受け止めてくれたのだと思うと、レジーナの頬もほんのわずかだけ赤くなる。
気持ちを落ち着けるようにお茶を用意してもらう。
「……」
レジーナは侍女にお茶を淹れてもらってから、ここは二人だけではなかったことに気が付いた。侍女と目が合うと、侍女は心得たような満面の笑みを返してくる。侍女の満面の笑みにどんな想像をしているのか、理解したレジーナは慌てて否定する。
「ち、ちがうのよ! これは!」
「お嬢さま、少しだけ扉を開けておきますのでごゆっくり」
侍女は顔を真っ赤にして焦ったレジーナに微笑ましそうな目を向けてくる。侍女は嬉しそうに笑みを浮かべ退出した。ほんの少しだけ扉が開けられており、レジーナの位置からもすぐにでも侍女が控えているのが見える。
突然二人になってしまって、レジーナは言葉に詰まった。今までだって普通に話していたのに、こうして意識してしまうと何もかもが違う。今までどんなことを話していたのかと、記憶を探るがちっとも出てこない。
レジーナが内心恐慌状態に陥っていたが、ランドルフは嬉しそうにそんなレジーナを見つめていた。
「レジーナ嬢、明日までここにいられるんだ。君と一緒にいてもいいかい?」
「そうよ! お仕事はどうしたの?」
「がっちり仕事をしたから休みをもらえたんだ」
「そうなのね……」
安心して呟けば、ランドルフはいつもの調子で聞いてくる。
「僕は期待してもいいのかな?」
何の、とは聞かなかった。ランドルフの言葉は非常に軽そうに聞こえるが、目が真剣だった。目を見返せば、彼の中に不安と期待の色が見える。
「……時間がかかってもいいのなら」
レジーナは掠れる声で呟いた。正直まだ結婚を考えるまでには至っていない。だけど、自分の中に育ちつつある好きな気持ちは大切にしてもいいと思っていた。
怖がる気持ちもあるが、手を伸ばしたい気持ちもある。でも今は手を伸ばす気持ちの方がとても小さい。レジーナの気持ちが定まるまでランドルフを待たせるのも違うような気がした。だけど、はっきりと断ることもできない。
「3年までなら大丈夫。待てるよ」
「3年」
レジーナの気持ちを読んだのか、ランドルフは期間を告げた。さらりと3年と言われて、レジーナは目を丸くした。それほど待ってくれるとは思っていなかったのだ。
「そう。それ以上になると結論は出せないと思う。だから、3年たっても結論が出なかったら何も考えずに僕と結婚してほしい」
「……それって意味があるの?」
結局、結婚するのではないかとレジーナは首を傾げた。
「意味はある。レジーナ嬢が自分で決めることができる」
レジーナは不思議な気持ちになりながら、ランドルフと色々と話していた。




