穏やかなような、穏やかじゃない裏方
屋敷はひっくり返すほどの騒ぎだった。レジーナの耳には入らないように配慮されていたが、裏方ではランドルフの訪問で軽い混乱に陥っていた。
使用人の一人が慌てて街の方へと伝令に走り、家令が丁寧に応接室に客人を案内する。
予定していない訪問客に使用人たちは誰もが不審に思っていた。ただすべてを任されている家令が追い出さないことで、色々な憶測が飛んでいた。
「とても洗練されていて、いかにも貴族って感じの方ね」
客人にお茶を用意した侍女が周囲を気にしながらも、ぽつりと感想を口にする。仲の良い使用人の女性がその呟きに応じた。使用人の女性はレジーナの部屋付きの使用人で、ステラの指示を受ける立場にいた。だからこそ、主であるレジーナとの関係にピンと来たのだ。
「ねえ、あのお方がお嬢さまの恋する相手ではないの?」
「え? お嬢さまは本当に恋していたの?」
ランドルフにお茶を出した侍女が驚きの声を上げる。レジーナの部屋付きの使用人が自信満々に胸を張った。
「あの悩ましいため息は恋をしていたからよ」
「そうよね。お嬢さま、すごく美しくなっているもの。同じ女が見ても、ため息が出てしまうほど艶やかだし」
「きっとそうよ。ああ、なんて素敵なの! 王都からわざわざ追いかけてくるなんて!」
あれこれと想像した二人の若い娘たちの言葉に、男性陣は若干引き気味だ。それに対して、女性陣は二人の会話に興味津々で耳を澄ましている。皆が皆、温度差はあれどレジーナとランドルフの恋模様に興奮していた。
「落ち着きなさい!」
騒々しい使用人たちに一喝したのはステラだ。彼女は両手を腰に当てて、使用人たちを一瞥した。突然冷や水を浴びせられたように使用人たちは大人しくなる。
「いいですか。お嬢さまが今までの辛さを癒し、暖かな家庭を築けるかどうかの瀬戸際です。ここは我ら使用人が一丸となって、盛り立てる必要があります」
きりっとした表情でステラが宣言した。使用人たちは気分が高揚したのか、目を輝かせた。
レジーナとフィオナの両親が亡くなってから、二人が辛い時期を過ごしていたのを屋敷の者は知っていた。貴族令嬢でありながら、気取らず、真摯に対応する二人のことを皆が大切に思っている。
若い使用人たちも幼い頃一緒に遊んだ覚えもあり、二人の幸せをいつだって願っていた。フィオナは結婚し幸せになったようなので、あとはレジーナが幸せになる番だ。
「アクロイド様がこのオルコット伯爵領で気持ちよく過ごせること。そして、さり気なくアクロイド様とお嬢さまを二人きりにすること。素敵な時間を二人で過ごせば、心の距離はぐっと縮まるはずです。お嬢さまの頑なな心もほぐれ、素直に恋を自覚できるように我々も協力せねばなりません」
「わかりました!」
こうしてオルコット伯爵領にある屋敷の使用人たちは動き出した。
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ステラはレジーナとフィオナの母であるレイチェルの侍女であった。ステラも伯爵夫人の侍女であった母親を持ち、そのつながりでレイチェルの侍女となったのだ。ステラが8歳の時に、5歳のレイチェルの遊び相手として引き合わされた。
レイチェルは可愛い令嬢で、黙って座っていれば本当に人形のような女の子だった。ところが、レイチェルは行動派だった。ステラは動き回るレイチェルについて回っていた。護衛もついていたが、令嬢と護衛だけで行動させることにブルースが難色を示したからだ。
元々はレイチェルは跡取りではなかった。レイチェルには5つほど年上の兄がいた。オルコット伯爵家には伯爵夫妻と息子、娘の4人家族だった。特に継承権の問題もなく、伯爵夫妻は恋愛結婚だったため、お互い愛人もいなかった。
そんな暖かな幸せを壊したのが流行り病だった。あっという間に感染し、品薄な薬を入手できずに伯爵夫人と跡取りである兄が亡くなった。この流行り病は王都を中心に猛威を振るっていた。幸い、レイチェルは領地にいたので感染せずに無事であった。
二人きりの家族になってしまい、ブルースはレイチェルを跡取りとしながらも過保護になっていく。ところがレイチェルは行動派なのだ。
真綿に包むように大切にしたいブルースであったが、流石にレイチェルを閉じ込めていくわけにもいかず、結果的には自由にしてしまっていた。レイチェルは閉じ込めても、部屋を破壊して出ていくような性格だった。事実、何枚かの窓ガラスが割られ、扉の鍵は無残にも壊されている。
そんな暴れ馬のようなレイチェルも年頃になり、美しく成長した。社交界にデビューすれば、猫を被ることを覚え、社交界を渡っていく。その激しい変わり方にブルースは何も言うことはなかった。
レイチェルはとても上手に貴族社会を謳歌した。ブルースにしてもオルコット伯爵家を任せることに不安はなかった。
レイチェルは釣り合いの取れる家の息子と政略結婚し、子供にも恵まれ、確かな幸せに包まれていた。娘二人であったが、レイチェル自身が女性でありながらも跡取りだったためか、性別はあまり気にしていなかった。
いつまでも続くと思われていた幸せも、突然幕を下ろす。
ステラはあの日のことを忘れない。恐ろしい悲鳴を聞きつけ、向かった先には血だらけのレイチェルが蹲っていた。その光景に体を震わせ、慌てて近寄った。
ステラがレイチェルに手を差し出したとき、レイチェルはまだ生きていた。ステラの手を強く握りしめて、子供たちを助けて、と。彼女が蹲っていたのは娘二人に覆いかぶさっていたためだった。
必死に頷き、医者をと叫んでいたと思う。この辺りはステラの記憶も曖昧だ。急き立てられる気持ちと、もう手遅れだという絶望が心の中で渦を巻いていた。
フィオナはレイチェルの気質を多分に受け継いでいたが、レジーナはどちらかというと父親であるジェッドの真面目で優しい性格を受け継いでいた。フィオナも両親の死をなかなか受け入れられなかったし、レジーナは両親の死を拒絶した。
当時、屋敷にいた使用人たちが一番気にしたのはレジーナのほうだった。一日中ぼんやりし、泣きもせずに笑いもしない。両親から誕生日にもらった人形を抱きしめて何時間も身じろぎ一つせずに座っている。フィオナは反対に泣きわめいて、大暴れしていた。感情を爆発させていた分、周囲の人間はまだ安心できていた。
フィオナは時間をかければ立ち直れるだろうと思っていたが、レジーナには心配ばかりが募っていた。フィオナよりも時間がかかったが、次第に感情を取り戻し、今では立派に跡取りとして成長している。
しかも恋をしてレジーナは眩しいぐらいに美しくなっていた。その恋を成就してほしいと願うのはステラばかりではないはずだ。今までが辛かった分、誰よりも幸せになってもらいたい。
未だにレイチェルとジェッドを殺した愛人と言われている女がなんであったか、はっきり知らされていない。使用人としてずっとこの屋敷に勤めていたステラにはジェッドに愛人がいたのが信じられないと言う事だけだ。
レイチェルとジェッドは間違いなく愛し合っていた。外に愛人を囲っても時間が取れるほど、ジェッドは一人で外出もしていない。屋敷に勤めている自分だからこそわかる事実。
そのせいなのか、色々な憶測が噂されていたがどれもこれもしっくりこない。ただステラは事実を知る立場ではなかった。きっと貴族たちにとって不都合があって、あのような形になったのだと考えていた。
そんなステラができることは、レイチェルが守った二人の娘の幸せを見届けることぐらいだ。
「ステラ」
客人の宿泊準備を進めていると、家令が声をかけてきた。ステラは顔を上げる。
「なんでしょう?」
「アクロイド様がこちらに来ているのは、伯爵さまのご意向だ」
「……では、レジーナ様の気持ち一つという事でしょうか?」
「少し懸念もあるようだが、そちらは王都の方で対処すると連絡があった」
「わかりました」
ステラが頷くと、家令は小さく笑った。
「使用人たちの引き締めを頼む」
「もちろんです。あの子たちが浮かれて粗相をして、お二人の関係が壊れてしまったら目も当てられません」
ステラが力強く頷くと、家令は任せると一言残して離れた。ステラは大きく息を吐き、残りの準備を始めた。




