謝罪
いつもは明るく朗らかな印象であるが、今日はどことなく落ち込んでいた。レジーナは屋敷を訪れたランドルフを客間で迎え入れる。
「やあ、レジーナ嬢。元気そうだ」
「こんにちは」
そんな簡単な挨拶をした後、座るように勧めた。侍女が手早くお茶を用意し、部屋の隅へと控える。彼が来た理由をレジーナは理解していたが、特に急かすことなくランドルフが話し始めるのを待った。
ランドルフは言いにくいのか、目をやや伏せて直接レジーナを見ようとはしない。
いつもは軽薄な感じの部分もあるのだが、こうして殊勝にしているランドルフを見るのはどことなく新鮮だった。彼が話し出すのを待っている間、じっくりとレジーナはランドルフを観察した。
フィオナはレジーナがランドルフに恋をしていると言っていたが、レジーナにはよくわからなかった。確かにダリアの存在は気になっているし、彼の今までの行動が嘘かもしれないと思えば辛い気持ちもある。
でもそれは、心を許した友人に対しても同じような気持ちは生まれるのではないかと思うのだ。今まで頑なに男性を拒絶していたレジーナにはフィオナの言葉が理解できなかった。
「……すごく見られている」
「ああ、ごめんなさい!」
パッと顔を上げたランドルフと目が合って、レジーナは慌てた。あまりにも不躾過ぎたかと謝罪を口にする。ランドルフは一瞬だけいつもの笑みを浮かべたが、すぐにそれも消えてしまった。
「今回は謝罪に来たんだ」
「謝罪だなんて……。アクロイド様が原因ではないでしょう?」
「それでも、ダリアの行動は俺が原因だから」
肩を落とし、力なく答える。
「彼女とお話をして、アクロイド様とはお会いしていない感じでしたけど」
どこまで彼女がランドルフと会っていないかまではわからなかったが、彼女との会話から長いこと会っていないような印象を受けた。自信満々な態度はよくわからないが、ランドルフに好かれていると信じているようだった。
「そうだね。彼女がデビューした年が最後だから……5年前かな?」
この国の社交界デビューは男女とも16歳だ。親しいと言いながらも、お互いに王都にいるにもかかわらず5年も会わないのは不思議だ。
相手の出席するかどうかはわからなくとも、人気のある夜会などに何度か参加していれば顔を合わせるものだ。現にダリアもレジーナと特に約束していないにも関わらず、夜会で友人たちを引き連れて突撃してきた。
「はは、驚くよね? でも本当なんだ」
「夜会でもお会いしなかったのですか?」
「そうだね。ダリアは思い込みが激しいので、僕が避けていたのもある。変な噂もあったけど下手に否定することもできなかったし、無視していればそのうち消えたしね」
避けていた、と明言されてやや気の毒そうな視線を向けた。ランドルフはため息をついた。
「サイムズ子爵家と仲が良かったのは兄たちでね。それぞれが成人した後は当主の交流の他はないんだ。夜会なども避けてしまえば会うことはない」
ランドルフは侯爵家の3男で王城に勤める文官だ。仕事をし始めてしまえば、特に跡取りでもないランドルフが家同士の繋がりを求めて社交することはない。ランドルフの様子を窺いながら、レジーナは夜会であったことを静かに話した。
「彼女のお友達がアクロイド様とダリア様が如何にお似合いかを語っていたので、てっきり婚約しないようにと言われていると思っていたの」
ランドルフはダリアの友人で思い当たる人物がいないのか、首を傾げている。
「もしお互いに気持ちが通じ合っているのなら、結婚したらいいじゃないと思ったのだけど」
「ちょっとそこだけは訂正させてほしい。俺は軽い気持ちでレジーナに結婚を申し込んでいるわけじゃない」
真面目な顔で言われて、レジーナは驚いて目を丸くした。
「え?」
「はあああ。もしかして、爵位狙いだと思っていた?」
「え、ええ」
ランドルフがちょっと睨むように見てくるので、レジーナはばつが悪くなる。ランドルフはレジーナに自分の気持ちが全く伝わっていないことに息を小さく吐き、強い眼差しを彼女に向けた。
「そう見えるようにしていたんだ。そうじゃないと、レジーナ嬢は逃げるだろう?」
「逃げるかしら?」
「絶対に逃げる。こうして親しく話してもくれなかったと思う」
間違いない、と頷かれてレジーナも嘘は言えなかった。いい言葉が見つからずに、黙っていればランドルフがふっと力を抜いた。強い視線を外されて、レジーナも緊張していた体が少し緩む。
「ダリアのことは本当に申し訳なかった」
「そのことはもういいです。ただ……アクロイド様を結婚相手として見るのは難しいです」
正直に心の中を話してくれたランドルフに、レジーナも素直に話した。
好き嫌いを別としても、やはり結婚は無理そうだった。変な期待をさせるよりは、ここで断ってしまった方がいいはずだ。そう思うのに、何故か喉の奥にぐっと詰まるものがある。
ランドルフはじっとレジーナの言葉を待った。
「アクロイド様がどう、ということではないの。もう理屈でも何でもなく……」
レジーナは言いよどんだ。まだ起きてもいないことを心配しているだけというのはレジーナも自覚していた。
「レジーナ嬢の気持ちを教えて」
優しく促されて、レジーナは伝えることにした。きっと避けていても仕方がないことであるし、実際問題、ダリアとの会話でかなり自分の気持ちが負に向かっている。
「お父さまのように困って頼られたら愛人にしてしまうのではないか、という気持ちがどうしても抜けないの」
レジーナは膝の上に置いた手をキュッと握りしめた。ランドルフの反応が怖くて彼の目を見ることができなかった。求婚者に言うべき内容ではないのは、理解していた。
「それは仕方がないと思うよ」
ややかすれた声だったが、ランドルフはレジーナを否定しなかった。ランドルフもレジーナと接しているうちに、まだ両親のことが整理できていないと彼女の態度から感じていた。そこにダリアが余計なことをしたおかげで、具体的な恐怖を持ってしまったのだ。
「ごめんなさい……」
「謝ることはない。こればかりは仕方がない」
ランドルフは柔らかく笑った。
「でも、べインズ伯爵は君の中ではどんな立ち位置にいる?」
エドマンドのことを聞かれて、レジーナは瞬きをした。どうしてここで彼の名前が出てくるのか、わからず首を捻る。
「ベインズ伯爵は別に……」
「自分で言うのも情けないけど、僕はかなりレジーナ嬢の心を開こうと頑張っていたよ」
レジーナはランドルフが何を聞きたいのかわからずに困ってしまった。
「べインズ伯爵は特に何もしていないのに、君の中にするっと入っていった」
「そうかもしれないけど……」
レジーナは告げてもいいのだろうかと、悩む。エドマンドはレジーナに対して妹のような感情を持っており、レジーナもそれを知っているからこそ安心して頼りにできる。決して結婚相手としてではないのだ。
「うーん、僕の勘違い?」
「信頼はしています」
信頼と口にした途端、ランドルフが目に見えて落ち込んだ。間接的にランドルフを信頼していないと読み取ったようだ。そんなつもりはないのだが、レジーナはそれ以上は何も言わなかった。
「レジーナ嬢、もう少しだけ僕とのことを考えてほしい」
「それは……」
「ダリアのことを解決した後、もう一度、レジーナ嬢の気持ちを聞かせて」
「アクロイド様」
レジーナは困ったように眉尻を下げた。
「心配しなくても、無理強いはしないよ」
いつものように明るい口調で別れを告げると、部屋から出ていった。残されたレジーナは彼の出ていった扉を見つめていた。