新たな問題
胸の中にいつまでもしこりのように固まってるのに、問題というのは次から次へとやってくるものらしい。
レジーナはある夜会に出席していたのだが、今かつてないほどの訳の分からない状況に陥っていた。
どうしてこうなってしまったのか、まったくわからない。
レジーナは手に持っていた扇子を弄びながら、相手の言い分を聞いていた。
夜会に出席し、ある程度の挨拶を終えて人気の少ない場所に移動した時に、3人の令嬢に突撃された。年のころはレジーナよりも2、3歳年上のような感じだ。流行ではないが、皆、質のいいドレスを身に纏っている。
夜会に沢山参加しているわけではないが、それなりに夜会に出席しているにもかかわらず、紹介されたことも、見覚えもない女性たちだ。言いがかりに近い言葉を吐かれながら、この3人は一体なんだろうかと内心首を傾げていた。
こんな目立つ場所で、声も落とさずに気持ちよく囀っている。きっと自分たちがどれだけ悪目立ちしているのか、理解していないのだろう。
「アクロイド様はダリアを一番愛しているのよ。二人は幼いころから交流があったの」
一人の令嬢が得意気にランドルフの名を口にした。レジーナはその言葉でようやく3人の中心にいる人物がランドルフの幼馴染だと気がついた。艶やかな赤い髪に少し気の強い顔立ちをしている。とても綺麗な女性だ。
「……アクロイド様の婚約の申し込みは辞退しろと言いたいのですね」
レジーナは如何にランドルフとダリアが仲がいいのか、どれほどお似合いであるのかを延々と述べているので、面倒くさくなっていた。ランドルフの顔を思い浮かべ、心の内で悪態をつく。同時に疼くような胸の痛みを感じた。
「え、それは」
「アクロイド様が申し込んでいたにもかかわらず、他に将来を約束した恋人がいる。侯爵家にはこのことを伝え、お祝いをしないといけませんね」
レジーナはじっと3人を見つめた。両脇にいた友人と思われる令嬢たちが目に見えて狼狽えた。その様子にレジーナは目を細める。
「素敵ではありませんか。家の決めた婚約を取りやめ、愛を貫くなんて」
「それは」
3人が言葉に詰まった。顔色を悪くしているのは両脇にいる友人たちで、中央にいるダリアと思われる女性は無表情だ。何を考えているのか窺えない。
「それから、まずお名前を教えてもらえないかしら? あなた達とは初対面だと思うのだけど」
「わたしの名前を知らないなんて嘘をつかなくてもいいのに」
ダリアと呼ばれた令嬢がぽつりと呟いた。レジーナはその呟きに話が通じない種類の人間だと判断した。そもそも名前を知っていたとしても、初対面だ。紹介者を介さずに声をかけるのはこの国では眉を顰められる行為だ。
「それで、お話はそれだけでいいかしら?」
「わたしは婚約してほしくないわけではないのよ」
ダリアはレジーナが切り上げようとするのを引き留めるつもりなのか、友人たちが言っていたことと真逆のことを言い始める。レジーナは怪訝そうな顔をした。
「よくわからないわ。いかにお似合いかをご友人たちが話していたと思うのだけど。当てつけが言いたかったの?」
もうどう突っ込んでいいのかわからない。
友人たちも動揺したようにダリアの顔を窺っている。ほとほと困っていると、ようやく救いの神が現れた。
「レジーナ嬢、探しましたよ」
いつもよりも丁寧な感じで声をかけられて、彼の方へと顔を向けた。ほっとした表情を見たのか、エドマンドが少しだけ問うような眼差しになった。
「エドマンド様、いらしていたのですね」
「ええ。ところでご友人ですか?」
ちらりと3人の令嬢に視線を向けてからエドマンドに問われて、レジーナは情けない顔になった。
「それが、わたしは知らない方なのですが、アクロイド様について色々と言いたいことがあったらしいです」
具体的な内容は避けながら視線で助けてくれと訴えれば、エドマンドには通じたようだ。彼は重々しく頷く。
「失礼だが、名前を教えてもらえないだろうか」
「……ダリア・サイムズよ」
「サイムズ? 子爵家のご令嬢か?」
名前を聞いても、心当たりがなかった。サイムズ子爵家も知識として頭の中にあるだけで、オルコット家との付き合いが過去にも現在にもない。ますます不可解で、レジーナの眉が寄った。エドマンドもレジーナの困惑が分かったのか、会話を引き受けてくれる。
「オルコット家とは接点はなかったように思えるが。何か用だろうか?」
「貴方こそ誰かしら?」
ダリアは不機嫌そうにエドマンドに食ってかかった。友人たちが真っ青になってダリアに余計なことを言わないようにと腕を引っ張っている。
その言い方に、唖然としてしまう。ここは貴族社会だ。年上の、しかも爵位の上の相手に失礼にもほどがある。エドマンドがどう思ったのか、その顔からはうかがえない。
「エドマンド・べインズだ」
手短に名乗ってから、エドマンドはレジーナの腕を取った。レジーナは突然腕を引っ張られてよろめいた。完全に注意力不足なのだが、エドマンドは気にせず、支えるようにレジーナの腰に腕を回す。
「では失礼する」
どうやらエドマンドはこの令嬢たちから離れることを選択したようだ。レジーナ自身、ここを離れたいと思っていたので特に止めることはしなかった。
「ちょっと待ってください」
「まだ何か?」
エドマンドがじろりと睨めば、ダリアはほんの少しだけたじろいだ。
「わたしはランドルフ様の恋人よ。遠回しでは、分かってもらえないみたいだから、単刀直入に言うわ。ランドルフ様と結婚したらわたしを彼の愛人として認めてほしいの」
「……はい?」
レジーナは頭の中が真っ白になった。今までの流れから、ランドルフとの婚約を非難されていると思っていたのだが、違ったようだ。戸惑っているのはレジーナだけではなかった。友人たちも唖然とした顔をしている。
「ちょっと、ダリア!」
「流石にそれは……」
小さな声だがダリアを窘めている。その様子に、友人たちはダリアが愛人にしてくれと談判するとは思っていなかったようだ。
「君には常識がないのか?」
「常識? そんなもの、気にしていたら欲しいものを手に入れることができないじゃない」
エドマンドの言葉をダリアは鼻で笑い飛ばした。
「愛人になるのだから、ちゃんと別邸を用意してほしいの。大丈夫よ。月の半分は貴女の所に帰るようにお願いするから」
「……アクロイドの愛人になるのだから、その準備はアクロイドに求めるべきだ」
ひどく常識的なことをエドマンドが告げた。愛人は隠された存在だ。愛人を持つ貴族も多いが、その存在が表舞台に上がることはない。同時に、愛人関係になる相手が愛人の生活全般は用意するものであり、その配偶者に求めるものではない。それこそ、いい笑いものだ。
ダリアはイライラしたように手に持っていた扇子を開いたり閉じたりしている。
「用意どころか、ランドルフ様にはまだ話していないわ。だから先に直談判しに来たのよ。結婚する貴女が許可すればいいだけの話だから」
「話にならない」
エドマンドが呆れたように大きく息を吐く。レジーナはダリアを真正面から見据えた。
「……アクロイド様と相思相愛のようであるなら、婚約は辞退した方が良いみたいね」
「それではダメなのよ」
「わたしは結婚前から愛人がいるような人と結婚するつもりはありません」
そう言いつつ、ランドルフと幼馴染であることは正しいとしても今現在恋人同士であるとか、愛人関係を結んでいるとかではないと思っていた。ダリアの言葉からもそれは明らかだった。この短い会話の中でも彼女の思い込みの激しさが見え隠れしていた。
「レジーナ嬢」
「待たせてしまってごめんなさい」
歩くようにと促されて、逆らわずに歩き出した。後ろからダリアの言葉も聞こえるが、無視する。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか。助けてくださって、ありがとうございます」
そっと気遣うように囁かれて、レジーナは力なく笑った。
「気分転換にダンスに付き合ってもらえないだろうか」
沈みがちな気持ちを見越したのか、エドマンドがさり気なくダンスホールの方へとエスコートする。レジーナとしてはダンスという気分ではなかったが、帰るにはまだ早かった。
レジーナはエスコートされながらくるりと会場を見回した。見回したのはほんのわずかな時間であったが、こちらの様子を興味津々で見ている目を幾つも見つけた。
「壁に避難するよりはよほどいい」
エドマンドに囁かれて、レジーナは会場の隅で色々と詮索されるよりはいいかと了承した。エドマンドのリードに任せながらステップを踏む。気持ちがほぐれてきて、レジーナは思っていたことつい口にする。
「エドマンド様と一緒にいると安心できてしまうのが不思議です」
「そうか」
目を細め見下ろされた。エドマンドから感じるのは優しさだけだ。ランドルフが向けてくる視線とは違う。ランドルフはいつだって女性としてレジーナを見つめてくる。だがエドマンドからは色を含んだ視線を感じたことはない。朧げにしか思い出せていないが、幼い頃もこうして面倒を見てくれていたのだろう。
「なんだか本当にお兄さまみたい」
「そう思ってくれて構わない。私は君に幸せになってほしい」
「ありがとう」
レジーナはふふっと笑うとダンスを楽しんだ。